久々に小田原城を訪れる。城は駅南口から正面まで700mくらいで駅前通りを左に曲がり、正面まで約10分ほど歩く。つい先日までは寒かったが、歩くと汗を掻くような日差しになった。
堀が見え、その先が赤く塗られた学橋が堀にかかる。渡ると左に登城の道があるが、行きはまっすぐ行くと大きな広場があり、その先には菖蒲園がある。
左に坂を上がると常磐木門、再興されたものだが、立派で堅牢なもので枡形門の形式を取る。
さらに坂をあがるとなぜかニホンザルがいる檻があり、その先には立派な天守閣がそびえる。
小田原城は15世紀に大森氏が築城したもので北条2代氏康が入城、秀吉の小田原城攻めに対応するため、規模を拡大し、城下町を含め周囲9kmにもなった。 江戸時代には譜代大名の大久保、稲葉、大久保と藩主を迎えるが、元禄年間に地震により天守閣など主な建物は崩壊、その後再興されている。
しかし、明治に廃城となり、今の建物は江戸時代の図面を元に1960年に建でられたコンクリート製の4階建のものである。ただ、外観からは全くわからない。中に入ると、他の城と同様に城の建物や骨格の模型、歴代藩主の甲冑、具足、刀などが並んでいるがあまり興味はわかず、ひたすら階段を登る。天守閣から眺めると四方に箱根、丹沢、三浦半島、真鶴半島が望める絶景ポイントでこれをかつて北条氏が見たのか、そして見える範囲を領地にしようとしたのか、などと考えてしまう。
ただ、お天気も良く、幼稚園児や小学生が多数見学に来ており、城の中は千客万来。彼らが登る前にと早々に切り上げ、天守閣は降りる。
下まで降りて、常盤木門からでる。堀に沿って行くと銅門(あかがねもん)、さらに馬屋曲輪を経て馬出門(うまだしもん)を経て堀に至る。馬出は博多では『まいだし』と読むが、ここは『うまだし』である。
ちょうど5月3日は北条五代(早雲~氏直)祭りだが、これだけの城を戦後建て直した小田原市民の城に対する意識の高さをひしひしと感じることができた。