『江戸の坂・東京の坂』その33。坂道の話はこのブログでの評価が一部で低いようである。だから今回は桜が満開の桜坂を取り上げる訳ではないが、やはり桜は日本人のこころにはもっとも響く花なのかも知れない。
前回の多摩川駅近くの2つの坂を後に田園調布から田園調布本町方向に旧中原街道を目指し歩く。
因みに『さくら坂』『桜坂』は東京にはいくつかある。一つが赤坂サカスの中にある『さくら坂』、六本木ヒルズの中にある『さくら坂』、足立区のハートアイランドshindenの中にある『さくら坂』、しかし、これらの坂道は平成以降に新たに作られた坂ばかりである。
しかし、今回ご紹介する『桜坂』は旧中原街道が昭和初期に改修工事がなされ、今の切通しのような形になったが、1930年に桜が約20本植えられて、桜坂と呼ばれるようになったそれなりに歴史のある坂道である。もちろん、全国区になったのは福山雅治が2000年に『桜坂』を歌ってからで桜の季節以外も沢山の人がこの辺りにやってくる。
今回訪れた際にも桜もかなり咲いていて、切通しの上の部分にかかる橋(歩道橋・さくらばし)から花見をしようと多くの人が出ていた。坂の下には旧中原街道の道について書いた標識も付いていて、小生はこの標識を見て、初めて『中原』が『平塚市中原』であることを知った。因みにこの街道は塩の道ならぬ酢の道であったようだ。
混雑する桜坂を後に沼部駅方面に歩くと寺院(東光院)の向かいあたりを右に上がって行く坂道があるが、これが『おいと坂』がある。
この坂の由来は『鎌倉時代に北条時頼が中原に来たが、病となり難治であった。しかし、井戸水があり、使用した所ほどなく全治した。その井戸を沼部に移し、雌井・雄井と呼んだが、おいととは雄井戸のことではないか』と言われている。しかし、井戸をどうやって平塚から沼部に移したのかは不思議であるが。
坂を下り、先ほどの寺院の先着くが、この辺りには見事な桜の道が出来ており、週末にはかなりの人が押し寄せるであろう。小生は沼部駅から電車に乗ったが。
それにしても桜坂は中々見事なお花見スポットである。