『江戸の坂・東京の坂』その22。番町の坂の2回目、今回はJR市ヶ谷駅がスタート。
改札口を出て右の方、つまり番町方面に登る坂が新坂。この坂は江戸時代にはなかった坂道で大正時代の地図に初めて記録されている。
坂を登り、右に折れると三年坂の頂上に着く。これは昔は三念寺坂といっていたが、いつの間にか三年坂になったものらしい。
元の道に戻り、逆方向に行くと日本棋院の横を通る帯坂の頂上を通る。この坂は以前『九段の坂』を紹介した際に既に書いたが、『番町皿屋敷の旗本青山播磨の腰元お菊が髪を振り乱し、帯を引きずって登った』坂道ということから帯坂とついた。
その先では面白いものを発見した。それは大奥に置かれていたとも言われる巨石がマンションの横に説明書付きで置かれたもの。よく見ると戦前には朝鮮公使館が置かれていたことも分かる。
坂の頂上をしばらく行くと東郷公園の横にでるが、これを左折すると東郷坂になる。この坂は明治38年に麹町区議会で命名したが、それ以前は法眼坂と呼ばれていたものらしい。
その先に2つの坂が連なっており、手前側が行人坂でその先が南法眼坂、東郷坂を含めて法眼坂とも言う。東郷坂からは坂を下り、行人坂を登り、さらに南法眼坂を下ることになる。
行人坂は古某法印と称する“行人”がこの辺りに住んでいたのがその起源。南法眼坂は斉藤法眼という人の屋敷がそばにあったのが起源とされている。まあ、地名の起源は曖昧で途中で転じたり、訛ったりすることも多いためはっきりしないが、周辺に法眼という僧か、医師や絵師など師匠・先生の類の居所に起因しているものらしい。そういえば、明治以降もこの辺りには滝廉太郎や山田耕筰、武者小路実篤など文人が住みついたのも何らか関係があるかもしれない。
坂を下りて左手に行くともう半蔵門駅は目の前、少しの間に散歩ができる番町辺りを歩いて江戸時代に想いを馳せるのもまたいいものである。