hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

お年玉ハガキの賞品

2015-01-24 05:00:19 | 日記

切手シリーズその42。お年玉付き年賀はがきの件は以前にもブログに書いたが、その賞品の変遷と時代の流れについて触れてみたい。

お年玉付き年賀はがきのスタートは1949年、そのアイディアは当時では大変珍しいことだが、役所に民間人たる林正治という京都の人が持ち込んだものである。そのアイディアは(1)寄付金を集めて社会福祉に活用する、(2)年賀状にクジを付けたら爆発的にヒットするといったもので、その見本やポスターも付けられていたとのこと。しかし、その目的が自らの私腹を肥やすのではなく、戦前のように年賀状が復活すれば相手の居どころの分からない人と再会できて日本が明るくなるというものであったことが素晴らしい。

小生が子供の頃は成人の日は1月15日と決まっており、必ずこの日がお年玉付き年賀はがきの抽選日であった。楽しみも少なく、テレビニュースで流れる当選番号を必死にメモしてそのメモに従い、親父がハガキの束をより分けていたことを思い出す。但し、あれだけのハガキがあっても当たるのは末等の切手シートかその上の郵便セットが関の山だが、最高賞品を見て当たらないかなあと真剣に考えていた。

では実際の賞品だが、これが時代を反映して面白い。第1回(抽選は1950年)の賞品は特等がミシン、以下、1等紳士服地、2等学童グローブと当時国民が何を欲しがっていたかが、よく分かる。

その後の最高賞品だが、1956年電気洗濯機、1958年桐ダンス、1960年マットレス、1961年ステレオ、1963年8ミリカメラ、1965年ポータブルテレビ、1984年電子レンジ、1986年ビデオテープレコーダー、そして平成以降は海外旅行・液晶テレビ・パソコン・マッサージ椅子などから1点選ぶように変わってきた。つまり、平成に入り、国民の欲しいものが多様化、言い換えるとみんな欲しいものがなくなったということである。

そして、2013年は液晶テレビ・旅行券・一眼レフのカメラ・ノートパソコン・快適家電セットのうち一つが100万枚に1枚の確率で当たるというものであった。
しかし、2014年からは『現金1万円』が10万枚に1枚の確率で当たることに変わり、今年もそれが踏襲されている。国民の嗜好の多様化が進みすぎて金をあげるから勝手に使って欲しいことになってしまった。

それがいいとか、悪いとか言おうとしている訳でなく、これは時代の流れ。そしてさらにもう20年もすれば年賀状を書くこと自体が旧習にしがみついていることになりそうな気がする。というのは子供の世代で年賀状を書く人は少数派になってしまっており、さらに益々加速することが容易に想像がつくからである。