放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

岩手葉桜紀行(7) 最終章~盛岡の残照

2015年09月20日 02時48分36秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 一時間後、僕らは再び盛岡にいました。
 今度はJR盛岡駅東口の小さな駐車場に車を置きます。なかなかの炎天下。さっき買ったお土産が心配です(乳製品が多いからね)。とにかくクーラーボックスに毛布を2枚かけて温度対策。
 時間配分がどうもうまくいきません。うまくいっている旅がはたしてオモシロイのかという疑問もありますが・・・。なんかノルマをこなしているだけの旅になっちゃいそうで。おかげで盛岡で見たかったものをあきらめなければならないようです。ああ時間がうらめしい。

 盛岡で見たかったのは、お城と五百羅漢と光原社。
 でもきっと全部はムリです。今日中に仙台へ帰ることを考えれば、お昼過ぎにはもう観光していられなくなるのです。
 そうすると、盛岡駅から一番近いのは・・・、盛岡城っ。ではなくて光原社。

 光原社は今、民芸品を取り扱うお店ですが、かつては出版業も手がけていて、宮沢賢治の詩集と童話集とを世に送り出したお店としても知られています。出版にあたり、創業者の及川四郎は賢治と意気投合し、それはそれは採算度外視な装丁にして世に送り出したという。
 現在、光原社判の「春と修羅」を手に取った経験のある人はほとんどいないでしょう。あれは工芸品です。活版印刷の雰囲気を愛せる人ならば尚更オタカラです。

 実は恥ずかしながら、光原社にたどり着くまで少し迷いました。駅からすぐなんですけどね。
 開運橋ではなく朝日橋のほうへ行き、北上川と岩手山を一眼レフで撮影しながら渡りました。ここまでは順調だったのです。じっさい橋を渡るときに光原社の建物も見えていました。ところがそこからひょいっと川辺の船着場へ降りたのです。(実はここも朝のテレビ小説のロケ地です)
 理由は特にありません。川辺へとつづく細い道があって、その先に北上川があった。川に近いところを歩いたら気持ちいいだろうな、と罪もなく思っただけです。

 橋の袂から下ること約6メートルはあるでしょうか。このあたりは船着場が長く、そのまま散歩コースになるほどです。船着場から見上げると数軒先にまるで楼閣のようにせり出す白い建物が見えました。壁に「光原社」と書かれています。 ああ、そこか。ここ歩いていって、あの建物に行けるかな。
 
 ところが船着場の散歩コースは白亜の楼閣を通り過ぎてまっすぐ続いているのです。これは困ったな、と思って止まりました。
 川面を少しつめたい風が吹きました。
 ところどころに小さな上り石段を見かけましたが、どれも誰かのお宅に続いているだけのようです。それにしても、お宅の裏木戸から川へすぐに降りられるようになっているなんて、風流で贅沢な話です。大水のときは怖い思いをするのでしょうが、それでもかなりの高低差があるから、やっぱり贅沢だという感想が先行します。
 歩いていると、どうやら住宅でないところに上がれそうな階段がありました。
 やれやれ、と上ると、そこはお堂の後ろでした。あ、こりゃまたとんだ粗相を。
 
 お堂の脇を抜けると、やっと通りに出ました。こちらが商店の並ぶ通りのようです。光原社のお店も見えてきました。やれやれ。
 こちらには店舗のほかに珈琲屋さん、その他雑貨店舗などが入っています。お店そのものが民芸調で、なかなか見ごたえのある建物です。一方で、中庭があって、そこには二階テラスや樺の木の木陰が石畳に彩られていて、まるでどこかヨーロッパの古い農家にお邪魔したような気分にもなれます。そして庭の突き当りはそのまま高台。下を覗けばさきほどの北上川が滔々と流れているのでした。

 場所の雰囲気がいい。良すぎる。
 すっかり気に入ってしまいました。

 できればここでなにか買おうと思っていたのでした。放菴にぴったりな暖簾とか、せめてアンティークな釘とか、ボタン留めとか。
 でも結局やめました。
 理由は自分でもよくわかりません。きっと欲しいものに出会えなかったのでしょう。
 
 さて旅は終盤になっていたました。
 ほかにもいろいろ廻りたかったのだけれど、そろそろ仙台に帰らなきゃ・・・。

 こうして僕らは高速に乗りました。
 結局、銀河高原ビールは岩手では手にはいりませんでした。
 (おわり)   
コメント
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