放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

「父と暮らせば」劇団航海記版

2013年02月25日 00時31分02秒 | 観劇日記
2月23日(土)、観てきました。10BOX(仙台市宮城野区卸町)です。

予備知識といっても、井上ひさし脚本ということだけしか知りませんでした。

こういう状態がいいんですよ。
じっくり劇を見たいときに、予備知識ほど邪魔なものはありません。
目の前の劇と予備知識とを比較しながら観てしまうだろうし、その比較を誰かにしゃべりたくなってしまう。

たまたま一人で観劇することになったこともあり、気ままな気分で劇に浸たりたかったのです。
しかも初「10BOX」。道順さえ知りませんでした(なんかもう、この自由感が新鮮)。


目指すはソワレの19:00。どうにか到着したのが18:45分。けっこうドキドキでした。

劇は父娘のテンポの良い掛け合いで進みます。しかも広島弁。
ネイティブでもないのにこの小慣れた感じを出すにはそうとう稽古したはずです。
道具も照明もみいんなこの小慣れた雰囲気を演出するのに大活躍。よくよく丁寧に仕上げたものです。航海記さん! すごい!

幕と幕の間には必ず暗転して、しばらく音楽が流れます。ピアノのゆっくりとしたメロディ。
観客はその間、いまさっきの父娘の激しいやりとりの意味をかみしめるのです。

父はひたすら娘の幸せを願い
娘は(原爆から)生き残ったゆえの苦しみを吐き出す。
それでも父は娘の幸せを願い
娘は生き残ってしまった自分が許せずにいるのです。

なんだか、「震災」とダブって見えてきてしまいました。
あの日、僕らの街で、いっぺんに数千人の人が命を落としました。
その後の混乱と、続々入っている悲惨な報に、凍りつくような辛さをおぼえ、「悼むこと」の本当の意味を知らされました。
寒さに耐えて並ぶその胸の内は、不安と恐怖で溺れそう。そして人のぬくもりには何度も目頭が熱くなりました。

それゆえに劇中には「心に刺さる」ような言葉がいくつもありました。
そうしていつしか、父の願いと観客の願いは重なってゆきます。

「ぐちぐち言わんと早よ好いた人と幸せになりんさい!」
そう父の横で言ってやりたいくらい。でも娘の心はまるで病に罹ったように頑なでした。
「ウチはしあわせになったらいけんのじゃ・・・!」

この頑なな娘の心を動かす父の言葉がいいんです。
それは、生きる、ということが悪いことでもなんでもなく、むしろそれは「繋げてゆく」ことであり、大切な使命なんだよ、という脚本家のメッセージそのものでした。
同時にそれは多くの死者の声でもあったのです。

ラスト、娘が天を見上げて「おとったん、ありがとありました」という言葉には、「喜び」とか「別れ」とかいう簡単な感情ではなく、やっと前を向いて歩いてゆけそうな、少しだけ心が軽くなったような、不思議な開放感と現実感が織り交ざっていました。
とてもいい表情でした。
「いい娘さんでよかったねぇ」と「おとったん」に声をかけたくなるようなさわやかな涙でした。
コメント
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