放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

東日本大震災~The Life Eater35~

2011年09月11日 23時36分18秒 | 東日本大震災
 2011年3月11日。
 怖い怖い夜だった。

 町の機能はすべて停止し、漆黒の闇だけがどこまでも広がっていた。
 不気味な地鳴りと余震。ランタンが木の葉のように揺れた。
 ケータイも電池切れ。外界とつながることのできない不安が寒さをいっそう掻きたてる。そういえばファンヒーターも点いていなかった。

 そんななか、ラジオだけがひっきりなしに震災の恐ろしい状況を報告している。
 
 ライフライン寸断。食料もすぐになくなるだろう。
 この状況がいつまで続くのかな・・・。
 一週間? 一ヶ月?  2ヶ月?・・・半年?・・・一年後?

 
 あの日、遠く遠く求めた未来にやっと辿りついた。

 今日で震災から半年が経過した。
 でも恢復状況にバラつきが目立ってきている。

 あいかわらず他人事だと眺めている政治家と、マヒしている義捐金機構。
 そして「復興計画」を策定する能力のないボンクラ政府。

 復興計画が進まない理由は一つしか思い当たらない。
 「こんなの自分等の仕事じゃない」と思っているのだ。
  (「知恵を出さないヤツは助けない」とかいってた政治家もいる。つまりは行政所轄は他者の知恵頼みだってわけだ。)
 昨日、某経済産業大臣が辞任した。理由はもちろん「あり得ない"失言"」。
 自分の故郷が他者に放射能で汚染されたとしても同様の発言をしますか。
 不真面目すぎるよ、アンタらは。

 「東北」は「東北」を理解してくれる人たちと力を合わせて復興していくことを願っている。戊辰以降のプロパガンダが基礎の史観をもっているヤツに復興は携わってほしくない。


 で、個々の僕らに出来ることと言えば、やっぱり微々たるもの。
 時にせっせとコンビニで募金して、時に被災地へ伝(つて)を頼りに物資を送る。
 いまはコレしかできないけれど、それでも誰かの一日を支えるわずかな力になれたらいいな、と思っている。

 意識の上では震災の記憶はどんどん色あせてゆく。それでも、ふと地面が軋んだその瞬間に、身体中の感覚は半年前に戻ってしまう。それも一瞬のうちに。
 全身の血流がいっぺんに逆流するような、背中の真ん中のミゾにそって冷たい水がはい上がってゆくような感覚。突然襲ってくるこの恐怖感と、僕は時々闘っている。

 
 


 
コメント
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