【続き】
《夏》1807年頃、油彩…カンバス…71.4×103.6cm、
ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク (画集 p. 18)。
《グライスヴァルトの草原》1820-22年頃、油彩…カンバス…34.5×48.3cm、
ハンブルグ、美術館 (画集 p. 18)。
ドイツ・ロマンティクの風景画には「山頂からの眺望と地平線を意識したパノラマ的絵画作品が数多く描かれる」 (p. 205) のだが、フリードリッヒの絵にはその風景を眺めているであろう人物が後ろ向きで小さく描かれることが多い。それは絵を見る者の視点をその人物の位置に誘導する効果があると評されている。
著者は、パノラマ的な風景の中に佇む人物によってもたらされる効果を「パノラマ効果」と呼び、次のように説明する。
自然に囲まれている状態とは、とりもなおさず社会や人間関係から離れるということである。つまり自然の真っ只中で人は自動的に孤立する。そうすると、この孤立が外へのまなざしを内に反転させるという現象が生じる。広大な自然を前にしたとき、それを見る者は同時に自分自身をも、というか自分自身のみを見るのである。こうしていわゆる「内省」とか「反省」と呼ばれるものが自然観察の対現象のようにして生じてくる。ただし、これにはひとつの条件がなければならない。それは離れる「社会や人間間係」がすでに自然と明確なコントラストをなすほどに発展していなければならないということである。 (pp. 208-9)
それは、「自然の中に一人立って自らの内面を眺める孤独な近代人の姿」 (p. 210) そのものである。フィヒテはそのような自らの内面を眺める自我を「何ものにも媒介されない最初の明晰判明な「直接的認識」」をもつことと「自分自身を見る、または自分自身のことを考える「反省」」 (p. 217) することの両面で捕らえている。シュレーゲルやノヴァーリスなどの初期ロマンティクの人々はフィヒテの哲学を熱狂的に迎え入れたものの、「反省」する自我という点においてフィヒテとは異なっていた。その点を著者は、ベンヤミンの言葉を引用して説明している。
ロマンティクの思惟は存在と措定を反省において揚棄する。ロマンティクの人々は現象としての、たんなる自己自身を考えることSich-Selbst-Denkenから出発する。これはすべてに当てはまる。なぜならすべては自己〔自体〕Selbstだからである。フィヒテにとっては自己Selbstは自我Ichにのみ属する。つまり反省はもっぱら措定に相関するものとしてのみ存在するのである。フィヒテにとって意識とは「自我Ich」であり、ロマンティクの人々にとっては「自己selbst」である。言い換えれば、フィヒテにあっては反省は自我に、ロマンティクの人々にあってはたんなる思惟に関わっており、まさにこの後者の関係を通して(略)独特なロマンティクの反省概念が構成されることになるのである。(Benjamin: Der Begriff der Kunstkritik in der deutschen Romantik, S.29) (p. 218-9)
ベンヤミンによれば、この自我のもとに展開される無限の反省的思惟の結果がロマンティクにとっての「小説Roman」なのであり、さらにそれを概念化するのが「批評」だということになるが、まさにそれこそロマンティクの人たち自身が言う「ポエジー〔詩情〕」にほかならない。またシュレーゲルはこの無限のポエジーの広がりを「累乗化Potenzieren」と呼び、ノヴァーリスはさらに象徴的に「ロマン化Romantisieren」と呼んだのであったが、それはまた奥深い自我の「内面」への旅立ちでもあった。 (p. 220)
おそらく、このあたりのことが、私(たち)が若い頃に持ったドイツ・ロマンティクの印象を形作り、次第にドイツロマン派から離れてしまった所以であったと思う。正直に言えば、「ポエジー〔詩情〕」で括ってしまう芸術的感情や思念が疎ましかったのだ。政治的な闘争が激しかった時代に、ポエジーなどと口走ることが恥ずかしかったということもあった。私的なことはさておき前に進もう。
「奥深い自我の「内面」への旅立ち」によって、「フリードリッヒの風景はたんなる外的自然の模写ではなく、画家の内的な心象風景、そう言ってよければ、内的自然の表現でもあるということにほかならない」 (p. 221) と著者は語る。自然の風景の美しさではなく、コラージュ風に再構成された創作された風景である。私が、フリードリッヒを初めとするドイツ・ロマンティクの絵画につぎ込まれた過剰な感情を見てしまうのは、おそらくそのせいである。それがたとえ宗教的感情に溢れ、自然の「崇高」の表現だとしても、である。
見られるように、ノヴァーリスやシュレーゲルの「内面」にはありとあらゆるものが 「ポエジー」の名のもとに取り入れられていた。なかでもわれわれの目を引くのが神話、宗教、メルヒェンにもつながる夢やファンタジーである。それはひとつ 狂えば幻覚や妄想にもなりかねない反理性的な存在である。別の言い方をすれば、それは合理を目指す自我の内面に宿る反合理的な「我ならぬ我」であり、自我 が自然と対立するものであるなら、それはまた「自我の中の自然」にほかならない。後の言葉で言えば、意識の奥に位置する「無意識」である。 (p. 228)
著者は、この「内面」と「無意識」にドイツ・ロマンティクのもっとも特徴的な心性を見ているように思う。それは一見前近代的な意識の残差のように見える。しかし、著者によれば、近代科学のような近代性によって見えにくくなった人間の内面に光を当てていると見なすことができると主張する。「「神性」といった言葉もたんなる過去の神学的名残りというより、ドミナントな「近代」に対抗する「別の近代」の代名詞」だと擁護したうえで、次のように評している。
ロマンティクはたんに「非科学的」なのではない。そうではなく、あくまで「科学的であること」との対質において姿を現すオールターナティヴな運動であり、その意味でむしろ近代の一部なのである。ゲーテの色彩論、シェリングの自然哲学、カールスの病理学はいずれも当時の先端科学の成果を意識したところに生み出されたものである。 (p. 239-40)
《朝日の中の村の風景》1822年頃、油彩…カンバス…55×71cm、
西ベルリン、国立絵画館 (画集 p. 18)。
《大狩猟場》1831-32年頃、油彩…カンバス…73.5×102.5cm、
ドレースデン、国立美術館 (画集 p. 19)。
ドイツ・ロマンティクの熱狂がドイツを席巻していた時代、ドイツにはネイションとしての統一国家は成立していなかった。それだけいっそう人々は自分たちの国をもとめていた。その「家郷喪失(ハイマート・ロージッヒカイト)」の意識は、「理想化された中世への憧れや廃墟への偏愛」や「あるときは古代ゲルマンであり、あるときは古代ギリシア」 (p. 275-6) への憧憬として表象された。フリードリッヒもまた、新石器時代の遺跡を主題とした《雪の中の石塚》や《昔の英雄たちの墓標》などを描いて「民族の起源への関心」 (p. 243) を強く示していた。
自分たちの国を希求する人々の思いは「自由・平等・博愛」を標榜するフランス革命の精神に大いに鼓舞されたであろうし、ナポレオンは英雄として崇められていたであろう。しかし、1806年にナポレオンがドイツに侵攻して事態は大きく変わった。占領下のベルリンにおいて一般大衆に向けてかの有名なフィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』と題する講演が行われたのであった。
かくしてフィヒテにとってドイツ人こそが「民族」と呼ぶに値する「原民族」として、唯一共和国の憲法にふさわしいネイションでもあると宣言され、それがそのまま「祖国愛」に直結されていく。「民族」とは何かと問うこと、それはとりもなおさず「祖国愛」とは何かと問うことと同じだとして、こう主張される。
これまでのわれわれの考察の進行が正しいとすれば、同時に次のことが明らかになるはずである。すなわち、ドイツ人、しかも恣意的な決まりの中で死に絶えた人間ではなく、根源的なドイツ人のみが真に民族をもち、それに依拠する資格をもっているのであり、さらにはまたこのドイツ人にのみ自らのネイションに対する本来の理性に適った愛をもつ能力が備わっているのである。(Fichte: Reden an die deutsche Nation, S.127 ) (p. 260)
著者は、「自由と祖国の独立」を訴えて運動を起こしたブルシェンシャフトという学生運動団体を取り上げている。自由を求める彼らの運動は、新しい統一国家としてのドイツを求める運動であって、「つまり自由を前提にしたネイションへの希求である。このブルシェンシャフトに内在していたナショナリズムが後の歴史でプロイセンによるドイツ統一(ドイツ帝国)やナチの運動(第三帝国)に糾合されていく歴史」 (p. 251) に連続していくのである。
フィヒテもまた「世界や人類という普遍性に行き着く前に、いやでもその中間にある共同体ないしネイションという問題に突き当たらざるをえなかった」のであり、「本意とはまったく裏腹に、ずっと後のナチの歪められた世界主義となって実現してしまうという歴史の皮肉をわれわれは知っている」 (pp. 260-1) と著者は記す。
最終章は「ふたたびフロイトとハイデッガーへ」として、序章を受けている。
象徴的なのは、二人における「Heim」という言葉へのこだわりである。とりわけわれわれの関心を刺激してやまないのは、「家」「住処」を意味するこの言葉の近親概念たる「Heimat (家郷)」に始まって、さらにはそれらから派生した「heimlich (内々に、ひそかな)」や「unheimlich(不気味な)」といった形容詞を哲学や病理学の概念にまで高めようとする試みに掛かっているバイアスである。ハイデッガーはそこに「存在」を、フロイトは「無意識」を見ようとしたのであった。近代以降の思想史ではこうした概念に着眼することはかなり特異な出来事であり、この彼らの独創的な着想はおそらくロマンティクに見られるようなドイツ語圏特有の精神文化の風土を離れてはありえなかっただろう。 (p. 284)
ここでは、ハイデッガーが1934-35年に行ったヘルダーリンの詩作についての講義録が取り上げられている。
ハイデッガーによれば、われわれ人間は個人として限られた時間を生きることを知っている。しかし、民族の時間を知ることはない。へルダーリンが「われわ れ」「彼ら」と言うとき、それはわれわれに隠されたままの「本来的な歴史的時間」「われわれの民族の世界時間」「根源的な時間」すなわち優れた意味での 「存在」を指し示している。そしてこの歴史的時間がほかならぬ詩作から生まれるとされる。つまり詩の中にこそ民族が宿っているということなのだ。 (p. 288)
そして、ハイデッガーの「「存在」にアクセントを置いた特異な読解を裏返せば、ハイデッガーの存在論がそれだけへルダーリンの詩作に近づいているということでもあるわけだが、これが著者のいうハイデッガーにおける自覚されたロマンティクの影の一端」 (p. 292) だとしている。
著者は、このようにハイデッガーとフロイトの二人とドイツ・ロマンティクに通底する近代を見たうえで、「ロマンティクはあくまで近代の現象である」 (p. 308) と主張する。しかし、「ロマンティクには漠然とした理念のほかに一貫した政治的スタンスというのは結局成立しえなかった」 (pp. 311-2) のであり、「その「場当たり主義」を逆手に取られて現実の暴力に抵抗なく籠絡されてしまったとき、あのような悲劇に加担してしまった」 (pp. 313-4) のである。
本書は、ハイデッガーとフロイトの視座から一世紀前のドイツ・ロマンティクを読み解き、そこからふたたび一世紀後に引き戻り、ハイデッガーとフロイトに流れ込んでいるロマンティクの影について論じている。 したがって、本書には19世紀初頭から20世紀初頭までのドイツ精神の歴史的俯瞰が与えられていると言ってもいいだろう。
著者は、最後の章でヘルダーリンの詩作についてのハイデッガーの講義録を取り上げて論じているが、そのハイデッガーの講義から70年の後、ジョルジョ・アガンベンはハイデッガーについて次のように述べている。
ハイデガーは、ポリス――隠匿性と非隠匿性、人間の動物性と人間性のあいだの葛藤を統べる天蓋――が、いまだなお実践可能な場であると、善意から信じることのできた、おそらくは最後の哲学者だった。ポリスという危険な場に身を置くことで、いまだなお人々――ひとつの人民(ポポロ)〔民族〕――は、みずからの歴史的な宿命を見出すことができるというわけだ。つまり、疑念や齟齬もないわけではないが、すくなくともある程度までは、ハイデガーは人類学機械が、人間と動物、開かれと開かれざるものとのあいだの闘争をたえず裁決し再編することによって、ひとつの人民にとつての歴史や命運をいまだなお生み出すことができると信じた最後の人物だったのである。 [2]
一方、本書の著者は、上に引用したように、ハイデッガーがヘルダーリンの詩の中に「本来的な歴史的時間」、「われわれの民族の世界時間」、「根源的な時間」すなわち優れた意味での「存在」を見ていると指摘して、「そしてこの歴史的時間がほかならぬ詩作から生まれるとされる。つまり詩の中にこそ民族が宿っているということなのだ」と継いでいるのである。
ところが、上記のように述べたアガンベンは、ハイデッガーが自分の誤りに気付いていたのではないかと指摘したうえで、本書で引用しているハイデッガーの講義録(Heidegger : Hölderlins Hymnen “Germanien” und “Der Rhein”, GA 39)から次のような文章を引用している。
人民の歴史的実存の大いなる震撼の可能性は潰えてしまった。神殿も図像も衣装も、人民の歴史的召命を帯びて、これを新たな使命へと衝き動かすことは、もはやできない。 [3]
もちろん、アガンベンの関心はヘーゲル-コジェーヴ的な「歴史の終焉」後の世界や実際の歴史上の全体主義のことにある。とはいえ、アガンベンの言葉に誘われるように、現代からハイデッガーを経てドイツ・ロマンティクに突き抜けて行くような視座はないものかと思ったのである。
本書は、フリードリッヒ論にとどまらず、総合的なドイツ・ロマンティク論であり、近代自我論ですらある。このような幅広い視座を横軸とすれば、縦軸である時間軸を伸ばすことは著しく仕事の困難さを増すことになるだろう。そう思いながらも、現代の視座からハイデッガー、フロイトを経てドイツ・ロマンティクまで描ききる才能を期待してしまうのである。絵を楽しみつつ、哲学も歴史も楽しめるという書籍はそうは見つからないのであるから。
[1] 『ドイツ・ロマン派画集(ドイツ・ロマン派全集 別巻)』(以下、画集)(国書刊行会、1985年)。
[2] ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれ――人間と動物』(平凡社、2011年) p. 132。
[3] 同上、p. 133。