私の中で〈東京〉に関心が高まったのは、定年退職が2年後に迫ったある日のことである。東京メトロに乗っていて、アナウンスされる駅名をいくつか聞いた後だった。どの駅名を聞いてもその名前をよく知っていて懐かしい感じが生じるのだが、その感覚を裏付ける実質がないことに気付いたのである。その地名を初めて知り、あるいはふたたび、みたび聞いたときの私自身に湧いた諸々がその地名にまつわる私の内なる実質なのだろうが、あまりにも頼りなく曖昧模糊としている。住んだこともなく歩いたことも見たこともない土地なのに、その地名を「よく知っている」という感覚に少しばかり驚いて、そんな東京のあちこちを歩いてみようと思い立ったのである。
東京の街歩きを始めてそれなりに歩き回ってみたのだが、特別な目的があるわけではない。強いて言えば「東京の街を歩く」ことだけが目的というしかない。なんとなく頼りないのである。本屋でも図書館でも、東京を主題とした本に目は行くのだが、その頼りなさを何とかしてくれそうな都合のいい本は当然ながらあまりないのである。姜尚中『トウキョウ・ストレンジャー』、山下柚実『五感で楽しむ東京散歩』、北田暁大『広告都市・東京』、吉見俊哉・若林幹夫編著『東京スタディーズ』、森達也『東京番外地』などなど、読書として大いに楽しんで終わってしまう。
本書は、前田愛の『都市空間のなかの文学』と同じように文学作品に描かれた東京(都市)を主題としているのだが、都市空間をアジールとして解き明かしている。本書が私の興味を強く引いたのは、著者がアジールとしてまず取り上げているのが、「駅」、「坂道」、「橋」などだという点にある。
街歩きの中でキイポイントとなるところは、駅や坂、橋などである。少なくともそういう場所があることが街歩きをする私の情感に変化を与え、足取りを強くしてくれるものなのだ。厳密に言えば、駅や坂、橋であれば東京に限らないわけだが、街歩きをするただの散歩人がなぜそのような場所に心惹かれるのか、その答えが本書で見つけられそうなのである。
著者が論考の出発点とする考えは、ごくシンプルに「アジールが、不特定多数の人々が集う一種の聖域であるということ」 (p. 16) である。そう考えることで、アジールを広い意味で考えることができ、東京そのものが「一個のアジールとして理解することが可能」 (p. 17) となり、古来からアジールと考えられてきた神殿・寺院・墓地・道路に加えて、駅や坂道をアジールと考えることができることになる。そうして、アジールとしての東京に包摂される形で「坂」や「駅」のアジールが二重に存在することになる。
アジールの原義的な意味としてもっとも重要だと思えるのは、社会的な規律、規範を犯した者が逃げ込み、捕縛されない聖域という点である。そう考えてしまうと、近代の日本にはアジールとしての空間はほとんど存在しなくなってしまうが、人間が心性においてある場所を強くアジールと見なしうる空間はいくらでも存在しうる。
おのれが生きる場所では規律に違背した不特定多数が互いに咎め、咎められることなくすれ違う空間として「駅」はあるだろう。あるいは、「坂」や「橋」は規律を異にする集落、国の境界であることが多いとすれば、その空間においては相異なる規律の共在する空間として高いアジール性を帯びることになる。したがって、アジールは時として反権力的であり、無政府的であるという強い政治性をも帯びることになるが、本書はそれを主題とはしない。近代的自我が東京という都会において身をもって体験するアジールを探し出し、その意味を解き明かすことが主題のように思える。
アジールとしての「駅」を語るとき、著者は漱石の『三四郎』において、九州から上京する時の主人公を引いている。京都駅から名古屋駅まで列車で相乗りになり、名古屋で三四郎と同宿する女との出会いと別れの場所として、駅は「男女にとって「無縁」の空間」 (p. 24) としてのアジールと捉えられる。
駅は都市にとって、外部の空間としてある。しかしまたそれが内部の空間でもあるということに、その複雑な様相はある。要するにそれは、駅が境界的な空間であることをいう。ここでアジールとしての駅というのは、そのことをさす。 (p. 30)
おそらく東京駅は、東京の内部の空間でも外部の空間でもないのであろう。それはまさに、境界的というほかはない空間である。東京駅は鉄道を通じて、日本全国と結びついていた。いやそれが現実に結びついていたかどうか、は問題ではない。そのような幻想が人々の間にあった、ということが重要なのである。近代の産物である鉄道は、人々の幻想を組織する装置でもあったのである。 (p. 33)
鴎外の『雁』によって語られるのは、坂道のアジール性である。高利貸しの妾であるお玉の家は無縁坂の途中にあり、無縁坂を散歩する岡田への秘かではかない恋情を主題にした物語である。無縁坂の近くの称仰院は無縁仏を葬る無縁寺で、無縁坂がアジールの空間であることを象徴している。
しかし、無縁坂に限らず「坂」がアジールの空間であることは、地方出身者で医学生の岡田が山の手に住み、東京定住者の住む下町へ向かう散歩の途中に無縁坂があるということにも顕われている。その坂が象徴するものは、「山の手と下町との対立」ばかりでなく、「上京者と定住者との対立」でもある。上京者の山の手と在京者の下町という互いにとって異界であり、その端境にある無縁坂で岡田とお玉は出会い、お玉の思いとは「無縁」に別れがやって来るのである。
落日の坂を登りて来たりしかげに漂泊の歌はうたわず
福島泰樹 [1]
いくばくかわれの心の傾斜して日当たる坂を登りつつあり
宮柊二 [2]
ああわがみじめなる詩集を携ち
本屋より斷はられし詩集を持ち
悄として
されど踊りつつ坂をのぼらざるべからず
坂は谷中より根津に通じ
本郷より神田に及ぶ
さんとして
眼くらやむなかに坂はあり
室生犀星「坂」部分 [3]
著者はまた、道もまたアジール性に富むことがあると示唆するものの、坂は「道のなかでアジール性に富んだもの」 (pp. 61-2) として区別している。アジールの定義上はともかく、感覚的にはよく理解できる。
佐多稲子の『私の東京地図』は、文字通り東京が舞台の小説である。著者は、隅田川の西側で働いていた佐多稲子が「川向こう」の東側に住んでいたことに着目している。ここで「川向こう」というのは「西側からの、差別的な表現である」 (pp. 113-4) ということだ。佐多が生きる二つの世界を分けているのは、隅田川に架かる橋である。
その際橋は、東京と郊外との境界としての意味をもっている。一般に橋が、都市と郊外との境界であるというわけではない。しかしそれが、二つの異なる世界の境界であることはまちがいない。佐多稲子の『私の東京地図』の場合橋は、山の手と下町との境界としての象徴的な意味をもっている。おそらく山の手と下町との本来の境界は、坂であろう。しかし隅田川の橋に、そのような意味合いがないわけではない。 (pp. 120-1)
わたしたちはさきに、行逢坂に関する折口信夫の所説を問題にした。それは坂が、山と里との境の空間であること。そしてそれが、二つの共同体に属する人々の出会いの場であるといった趣旨のものであった。その際折口は、行逢橋についても書いている。というよりも行逢坂と行逢橋とを、まったくパラレルに論じている。すなわち橋もまた、村と村との境の空間であること。そしてそれは、二つの共同体に属する人々の出会いの場であるということである。橋が人々の出会いの場であるということは、わたしたちの共通の心性に属するであろう。 (pp. 123)
確かに橋は出会いの場所であり、物語の始まる場所には違いない。そのような例をいくつも文芸作品の中に見つけることができる。
旅をしてたれに逢ひたき夕暮のこころか古き木の橋渡る
大口玲子 [4]
「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていった」。山本周五郎の『さぶ』の書きだしだ。橋ほど物語のはじまりにしっくり似あうものはない。じぶんのなかにいる橋上の人に出会う。それが物語のはじまりなのだ。
長田弘「橋をわたる」部分 [5]
アジールとしての無縁坂で、岡田とお玉は出会いもするが、またついに無縁であることを暗黙の内に知らされる場所であった。橋もまた、異界との端境のアジールであってみれば、ついに無縁の人との別れの場所でもある。
別れを言いに行ったとき、斧次郎は、これでいい、きっぱりと縁を切るから、俺のことは忘れろ、と言った。
「永代橋のこっちに、俺がいることは、もう忘れるんだぜ。どんなことがあろうと、橋を渡ってきちゃならねえ」
斧次郎は、そのときの自分の言葉を守って、病気になっても知らせなかったのだ。だが、死に際になって、やはりひと眼あたしに会いたいと思ったのだろうか。
……(中略)……
永代橋を渡り切ったとき、おもんは立ち止まって橋をふりむいた。月明かりに、橋板が白く光って、その先に黒く蹲る街が見えた。
――橋の向うに、もう頼る人はいない。
と思った。突然しめつけられるような孤独な思いがおもんを包んだ。
藤沢周平「赤い夕日」 [6]
どのような死にざまあるや橋あるや疾風、駆けてゆきし一人に
福島泰樹 [7]
「スラム」も「病院」もアジールの場所として著者は取り上げている。スラム・貧民窟は、古典的な意味での聖域に近いイメージを与える。社会のしがらみや規範から逃れてきたもの、あるいは外のコミュニティから排除されたものが肩を寄せ合っている。
著者は、『再暗黒の東京』の著者の松原岩五郎を取り上げて、故郷の村や町への「埋没不安」によって故郷を離れた上京者が否応なく持たざるを得ない共同体からの「乖離不安」を癒す空間として貧民窟がアジールの役割を果たすと指摘している。
病院もまた、収容所や避難所を意味するアジールそのものである。精神病院や療養所は、刑務所や収容所などと同じく半ば強制的に外界と遮断された閉鎖的な場所としてある。収容所も避難所も本来のアジールの意味に含まれ、「ともに日常性から隔絶された空間である」 (p. 91) ことを意味している。しかし、著者はあくまでアジールを不特定多数が出会う開放的な場所と見なし、病院を収容所と見なすよりも避難所と見立てることが可能であることを示唆する。
泉鏡花の『外科室』において、伯爵夫人と高峰の出会いの場所は「公園」と「病院」である。その「無縁」の場所は、「二人が、身分や境遇の相違を越えることのできる場」 (p. 94) であったのである。その上で著者は、病院を「日常性から隔絶された空間」というネガティヴな場所としてではなく、「さまざまな人々の出会いの場」である「すこぶる社会的=社交的な空間である」 (p. 94) と捉えているのである。
著者はさらに「下宿」、「郊外」、「住宅」、「百貨店」。「カフェ」などに次々にアジール性を見出していく。たしかに、著者は東京そのものをアジールとして捉えているので、東京の中のすべてにアジールを発見するのは何ら不思議ではない。ただ、坂や橋に見た異境性、あるいは端境としての混淆性、異界への怖れや憧憬などの複合感情など興味深く魅力的なことどもが東京にあまねく広がっていると考えてしまうのは、私としては多少もったいない行いに思えるのである。
最後に、著者は生死をめぐるこの世界をアジールの空間として提起している。
生の世界がアジールの空間であるというのは、わたしたちがともに生を受けたことをさす。そして死の世界がフジールの空間であるというのは、わたしたちがともに死を迎えることをさす。ここで「わたしたち」というなかには未来に生を受ける人々。あるいはまた過去に死を迎えた人々も、当然含まれるであろう。というのは話を、いささか大きくしすぎたかもしれない。さしあたりわたしが強調したいのは、死の世界がアジールの空間としての性格をもつということである。そのことは生の世界と死のせ界との境界としての、墓所を通してもうかがい知ることができる。『無緣・公界・楽』のなかで網野善彦は、中世の墓所が「無縁」の空間であったことを書いている。具体的にはそれは、山中・河原・寺院などをさす。網野は墓所が、と密接な関係をもつこと。それはが、葬送に従事したことに基づくものであること。そして墓所が、の宿の近傍にあったことを指摘している。 (pp. 193-4)
一人で生れ、一人で死ぬという感覚はここにはない。著者はあくまで、アジールは開放的な社交・外交の場であって、人と人が出合うポジティヴな空間であると考えているのである。「はじめに」でも触れているのだが、私たちは「カインの末裔」としてアジールとしての都市を持ったのではないか、というのが著者のモティーフだった。そして、「近代になって、アジールは社会の論理から一掃されてしまったというのが一般の理解である」 (p. 203) にもかかわらず、東京をアジールとして解き明かそうとする試みが本書として結晶化したということであろう。
[1] 福島泰樹「歌集 柘榴杯の歌」『福島泰樹全歌集 第1巻』(河出書房新社 1999年)p. 388 。
[2] 『宮柊二歌集』宮英子・高野公彦編(岩波文庫 2002年、ebookjapan電子書籍版)p. 77。
[3] 室生犀星「抒情小曲集」『世界名詩集大成17 日本II』(平凡社 昭和34年)p.142。
[4] 『大口玲子歌集 海量(ハイリャン)/東北(とうほく)』(雁書館 2003年)p. 74。
[5] 長田弘『詩集 記憶のつくり方』(晶文社 1998年)p.60。
[6] 藤沢周平『橋ものがたり』(新潮文庫 昭和58年)p.119,135。
[7] 福島泰樹「歌集 エチカ・一九六九年以降」『福島泰樹全歌集 第1巻』(河出書房新社 1999年)p. 84。