かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(1)

2024年04月22日 | 脱原発


2012年8月17日

原発というおごそかな機器を抱き滅びへ向かう青き球体
             (名古屋市)南真理子

 7月30日付けの朝日新聞の朝日歌壇で選者・高野公彦に選ばれた1首である。この歌はけっして絶望を歌っているわけではない。「青き球体=地球」への切実な愛おしさをベースにしている歌だと思う。この青き球体=地球を亡ぼさせてはならないのだ。危機は、福島、そして日本という境界をとうに超えている。福島第1原発が太平洋に流し出した厖大な量の放射性物質、この一点だけにおいても日本は重大な責任を世界に対して負っている。世界(=地球)にたいして採るべき日本という国の責任のありようは、何よりもまず国内の原発を即時停止し、廃棄に向かうこと以外にあるとは思えない。

 

2012年8月25日

傷軽きを頼られてこころ慄ふのみ松山燃ゆ山里燃ゆ浦上天主堂燃ゆ
いつ如何なる時代に平和ありきやとおのれに問ひて心くづれゆく
頒けやりし水飲み足りて言ひし一語幾夜聞えき「小父ちゃんは親切ね」
相近きゆゑ会ひたしと言ひくれき行きて君が世に必ず会はむ
父の日といふはづかしき日のありて昼の畳に酔ひ伏すわれは
立ちどまり立ちどまりわが離り来しかの老人(おいびと)の昏睡(ふかねむり)はや 
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ

 朝日新聞土曜版(8/25付け)のコラム「季をひろう」で、高橋睦郎が広島忌、長崎忌に因んで原民喜の俳句と竹山広の短歌を紹介していた。そのほとんどは、原爆の死傷者の悲惨を直截に詠む俳句であり、短歌であった。
 竹山広には原爆にまつわる良歌が多い。たぶん、原爆被災者の悲惨の鮮烈性で高橋睦郎は選んだのだと思うが、選ばれなかったなかにも、もちろん優れた歌がたくさんある。上の短歌は、私の「抜き書きノート」に含まれていた(つまり、私が好きな歌ということ)原爆にこと寄せた竹山広のいくつかの短歌である。
 私たちは、フクシマにおいて3度目の悲惨な歴史を繰り返さなければならないのである。戦争ではなく、経済的強欲さのゆえに(それにしても、『鋼の錬金術師』のグリードは最後には国(アメストリス)と国民のために我が身を捨てるというのに、わが国の経済グリードたちときたら)。

 

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