辺見庸の著作をめぐって何かを書いておきたい、そんなふうに強く願っているが、そんなに容易なことではない。それは私の受容のあり方のためだ。その理路に深く同意するばかりではなく、時として散文詩のごとく論理が濃い主情をまとってリズムを刻むために、共鳴振動する私の感覚の振幅が発散してしまうためだ。深く同意すると、言葉を失う。そんなふうに思える。
たとえば、本書で取り上げられている日常における「ファシズム」と古層としての「ファシズム」、北京オリンピックの「熱狂」と文化大革命の「熱狂」、友人の自死、無名の市民の轢死、死刑制度における死者たち、あるいは「一九四二年、中国山西省の陸軍病院でいつもどおり何気なく実行された生体手術演習」のその現場へのあくなき想像力。そうしたものを一つ一つ取り上げて、社会的事象、歴史的事象として辺見庸の言葉と対比させつつ論じたりすることはそれなりに可能である。それらのどれもが歴史・社会的にきわめて重要な事柄であり、種々の言説が横行していることを考えれば、なおさらである。
しかし、本書はそのような(私が想定するような)読書後の言語行動を拒否しているのではないか。なぜそう感じるのかを、確実に指摘することは難しいけれども、強いて謂えば、一つだけ仮説としてとりあげることができるかもしれない。それは、「口中の闇あるいは罪と恥辱について」 (p. 63) において著者が引用しているジョルジョ・アガンベンの次のような言葉である。
「人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり、その閾を人間的なものの流れと非人間的なものの流れ(中略)がたえず通過する」 (ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』第三章「恥ずかしさ、あるいは主体について」上村忠男・廣石正和訳、月曜社)
つまり、辺見庸はいつでも意志的に「閾」に立とうとしているのではないか。たとえ、そこが絶望の果てであろうと、虚無へと発散する場所であろうとも。「人間的なもののこちら側か向こう側」の閾、「人間的なものの流れと非人間的なものの流れ」の閾。そのような「閾」から発せられる著者の言葉に応えるためには、わたしもまた私固有の「閾」を探し出し、執拗に立ちつくさねばならない。だが、今は下を向くばかりである。
さて、その「閾」とはどんなところだろう。その前に、人間の「閾」とまったく無関係にいる(らしい)人物について著者は述べているので、見ておこう。それは、民主党政権時の法務大臣、千葉景子のことである(ただし、似たような例は枚挙に暇がないほどあるだろうと思う)。
千葉さんがいまさら考察にあたいする人かどうかわからない。「アムネスティ議員連盟」事務局長をつとめ「死刑廃止を推進する議員連盟」にぞくしていたこともある千葉さんはかつて、杉浦正健法相が「信念として死刑執行命令書にはサインしない」と話したあとにコメントをとりさげたことにかみつき、死刑に疑問をもつなら死刑制度廃止の姿勢をつらぬくべきではなかったか、と国会で威勢よくなじったことがある。杉浦氏は発言を撤回しはしたけれど、黙って信念をつらぬき法務官僚がつよくもとめる死刑執行命令書へのサインをこばみつづけた。他方、千葉さんはさんざ死刑廃止をいいながら翻然として執行命令書に署名し、おそらくなんにちも前から姿見と相談してその日のための服とアクセサリーをえらび、絞首刑に立ち会った。これは思想や転向といった上等な観念領域の問題だろうか。それとも政治家や権力者や政治運動家によくある「自己倒錯」という精神病理のひとつとしてかんがえるべきことがらなのか。 (「鏡のなかのすさみ」、p. 67-8)
弁護士でもある千葉さんはこれまでずいぶんかっこうのよい正義や人格をかたってきた。だが、わかりやすい正義とともに、晴れがましいことも大好きで、出世や権威にめっぽうよわく、おのれのなかの権力とどこまでもせめぎあう、しがない「私」だけの震える魂がなかった。だから、死行命令書へのサインは「法相の職責」という権力による死のドグマと脅しにやすやすとひれふしたのだ。そう見るほかない。政治と国家はどうあっても死を手ばなしはしない。国家や組織とじぶんの同一化こそ人の倒錯の完成である。千葉さんだって若いころはそれくらい学んだはずだ。だが、老いて権力に眼がくらんだ。このたびの裏切りにさしたる謎はない。彼女の思想は、口とはうらはらに、国家幻想をひとりびとりの貧しくはかない命より上位におき、まるで中世の王のように死刑を命令し、じぶんが主役の「国家による殺人劇」を高みから見物するのもいとわない、そのようなすさみをじゅうぶん受容できる質のものであっただけのことだ。堕ちた思想の空洞を、ほら、見えないシデムシがはっている。ざわざわと。 (同、p. 68-9)
「閾」を見ようともしない、あるいは想像できないたぐいの醜く愚かな例ではあるが、これもまた「ファシズム」と同じように私たちの日常に満ちあふれているのではないか。
とまれ、辺見庸が立つところの「閾」を見よう。
たとえば、「魯迅は民衆というものをあらかじめ善なるものとはとらえなかった。なにかにつけて付和雷同し、裏切り、だましあい、たがいにたがいを食いあう度しがたい生き物と見ていた。魯迅の眼の深さは、食人的関係性にしばられた民衆を、たんに忌むべき"他者"とはせずに、自己のなかにも民草のやりきれなさを見ていた」 (「東風は西風を庄倒したか」、p. 45)と述べ、著者もまたそのような民草を自己として受容しようとしている。そのような覚悟がなければ、「いまは魯迅にならい、こう祈ろう。「人間を食ったことのないこどもは、まだいるかしら? せめてこどもを……」(『狂人日記』竹内好訳)」(同、p. 46)と書き記すことは不可能だろう。
たとえば、次のような「閾」。「向かい合ふ監房虚ろ走り梅雨 (大道寺将司句集『友へ』から、ばる出版) (「自分のファシズム」、p. 53)という死刑囚・大道寺将司の句が指し示す「〈いない自分〉あるいは〈いなくなった自分〉」をじっと見つめる自分の場所。自らの生と死の狭間。
たとえば、次のような「閾」。「一九四二年、中国山西省の陸軍病院でいつもどおり何気なく実行された生体手術演習」 (「口中の闇あるいは罪と恥辱について」、p. 59) の現場で、生きた中国人を切り刻む日本人医師たちや殺される中国人に優しく話しかけながら後ろ向きで微笑みながらペロリと舌を出す日本人看護婦と自分は同じところに立っていたのではなかったか、そう問いただす場所。その想像力が著者をとらえて放さない場所。
たとえば、次のような「閾」。「夜行列車に身投げした友人は首が切れてしまって、エンバーマーが首を繋ぎ合わせて、花で隠していました」 (「歴史の狂気について」、p. 156) という友人の死や「夜行列車の乗客たちが個として、自分の尾てい骨に伝わってきた「身体を破断する音」を共有する」 (同、p. 157) 場所。大衆とか市民とかではなく、あくまで「個的身体」として共有する生と死のあわい。その場所。
辺見庸は、そのような閾から世界を覗き込んでいるのではないか。そのような位置からみれば、「多分いつか、人々は狂気がどんなものでありえたかが、もうはっきりわからなくなるだろう。狂気の形象(フィギュール)はそれじたいのうえに姿を閉じてしまって、残してきた痕跡を判読するのをもう人々に不可能にさせるだろう」(ミシェル・フーコー『狂気の歴史―古典主義時代における』の《補遺》「一 狂気、営みの不在」田村俶訳) (「からだ、その石化、狂気そして苦痛と出口」、p. 211) という文言は、けっしてアイロニーでもシニシズムでもなく、深刻な人間の歴史的事象として受容するしかない。そして、著者は次のような言葉でこの本を閉じるのである。
わたしは狂者の錯乱した暗視界の奥からいかにも正気をよそおう明視界の今風ファシストどもを、殺意をもつてひとりじっと視かえすであろう。晴れやかな明視界にたいする、これがわたしの暴力である。 (「からだ、その石化、狂気そして苦痛と出口」、p. 212)
河津聖恵はこの著書の書評で、「もはや事態は絶望か。だが真の絶望だけが世界を「視かえす」力をもたらすのだ。「狂者の目」だけが、正気を装う世界から狂気の実相を暴き出す」と書いている。
絶望や狂気、暗い情念を組織しつつ、強靱な想像力と詩的構想力を獲得して紡がれたている。それが、この本である。