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◎武田信玄の「7分勝ち」

2016-01-16 23:46:34 | ことば
武田信玄の「7分勝ち」

武田信玄の「7分勝ち」

○信玄公が仰せられたことで、
合戦における勝負のこと、10のものならば6分か7分勝てばそれで十分な勝ちであるとお定めになった。とりわけ大合戦においては右の点がとくに重要である。というのは、8分の勝ちはすでに危険であり、9分10分の勝ちは味方が大敗を喫する下地となるから、というのである

●これは「甲陽軍艦」の品三十九の「信玄公御一代敵合の作法三ケ条」の2つ目の部分で、原文は

一、信玄公被仰は、弓箭の儀、勝負の事、十分(を)、六分七分の勝は十分の勝なり、と御定なされ候。中にも、大合戦は殊更右の通、肝要なり。子細は八分の勝は、あやうし。九分十分の勝(は)、味方大負(まけ)の下作(したつくり)也との儀也。
(「改訂 甲陽軍艦 中」磯貝正義、服部治則 校注、新人物往来社)

完勝してしまうと、おごりの気持ちが生じ、次の戦いで大敗する原因となる
 勝ちすぎてはいけない
 6分か7分の勝ちが一番いい勝ち方である


また、「名将言行録」には

5分の勝ち

晴信はいつもいっていた。「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」と。ある人がその理由をたずねると、「五分は今後に対して励みが生じ、七分は怠り心が生じ、十分はおごりが生ずる」といわれた。だから晴信は、つねに六、七分の勝ちを越さなかった。上杉輝虎は、いつも自分が信玄におよばぬところは、実にここだといわれた。
(「原本現代訳 16 名将言行録(上)」北小路健、中沢恵子 訳、ニュートンプレス より)