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STU48 音楽、歴史 などいろいろ

おっちゃんの世界史の栞 8

2010-05-23 18:45:39 | HKT48 AKB48
おっちゃんの世界史の栞 8

(1)古代オリエント世界 2

2 東部地中海沿岸諸国

★カッシート
・前16世紀バビロニアにカッシート朝(バビロン第3王朝とも)を建てるが、前12世紀なかばにエラムの攻撃で滅亡。

★ミタンニ
・前16~前14世紀に北メソポタミア、北シリアを支配したフルリ人の王国。
・馬と戦車をオリエントに広めた
・最盛期にはアッシリアを支配下におき、エジプト、ヒッタイト等と拮抗したが、前14世紀にヒッタイトに敗れ、その後アッシリアに滅ぼされた。

★ヒッタイト
・1750年頃ハットュシャ(現在のボアズキョイ)を首都とする王国を建てた
・前16世紀はじめにバビロン第1王朝を滅ぼした
・その後、ミタンニを破りシリアに進出してエジプトと争い(カデシュの戦い)、前14世紀に最盛期を迎えた。
・カデシュの戦い
 前1286年にシリアの要塞都市カデシュでヒッタイトのムワタリとエジプトの第19王朝の王ラメス(ラメセス)2世が戦車で戦った。
 敗北したラメス2世は講和してヒッタイトの王女をめとった。
・カデシュの戦いの戦後、最古の成文化された平和条約が結ばれた。
・王は神格化されず(死後は神格化された)、貴族のなかの第一人者という性格だった。
・王は最高の裁判官、祭司、将軍で、王妃の地位は高かった。
・寛大な立法、罰金刑と禁固刑、男女の権利の保護が施行された。

・馬と戦車(2輪馬車)を使用したほか、最初に鉄製武器を使用した。
・それまで鉄は知られていたが高温で熱しないと武器として使い物にならない金属だった。
・ヒッタイト人は製鉄技術を発展させ(前1400年ごろ浸炭法によって鋼の製造に成功した。風を送るフイゴを発明して高温を得た)鉄を武器として使える金属に仕上げた。
・トルコのカマン・カレホユック遺跡から出土した鉄器がヒッタイトが成立する400年以上も前のものであることが判明した。
・製鉄技術はヒッタイト人のオリジナルではなく、改良技術であるという見方が出てきた
・ヒッタイト人はこの製鉄技術を国の最高機密にしていた(しかし交易品としたり、服従を誓う近隣の王への贈り物としていた)ので、ヒッタイトだけがもつ従来の青銅にまさる強力な武器によって周辺を圧倒した。
・また、スポーク付きの車輪、こしきは鉄製という2輪軽戦車の改良に成功した。
・馬は戦車馬として軍用に使うためには綿密な調教が不可欠であったが、前1400年代なかばごろには、ヒッタイト語で記された詳細な馬の飼育、手入れ、治療法や訓練のための「調教文書」があり、おそらく戦車馬専用の訓練施設がヒッタイトの軍事基地周辺に存在していた。
・ヒッタイト滅亡とともに、秘密の製鉄技術が知られるようになり、オリエントは鉄器時代となる。
・鉄器は青銅器よりも普遍的な性格を持っており、支配階級だけではなく庶民の道具としても利用された。
・ヒッタイトは前12世紀はじめ「海の民」の侵入によって滅ぼされた。

★アラム
・アラム人は前1300年ごろシリアに入り、ダマスクスを中心にアラム王国を建てた。
・アラム王国は前732年、アッシリアに滅ぼされた
・アラム人はラクダによる隊商を組織し、内陸貿易で栄えた。
・アラム人の交易活動によって、アラム語はオリエントの国際商業語となり、のちアッシリア、新バビロニア、アケメネス朝ペルシアの外交・通商用語などの公用語としても使用された。これは7世紀にイスラーム教の拡大とともにアラビア語が普及するまで続いた。
・ユダヤ教の経典の一部はアラム語で書かれ、イエスもアラム語を話したという。

★フェニキア
・前10世紀ごろより現在のレバノン南部(レバノン山脈と地中海にはさまれた細長い地帯)にビュブロス、シドン、テュロスなどの都市国家を築いた。
・この地帯は良港と良質の木材(レバノン杉)に恵まれており、高い造船技術・航海術によって地中海での海上交易に従事しギリシアと覇を競った。
 全盛期には、大西洋やインド洋にまでおよんでいた。

〈レバノン杉〉
・まっすぐで丈夫なレバノン杉は船のマストに欠かせなかった
・腐りにくく虫に強く、材質が緻密で磨くとツヤがでて、芳香性があった。
・建材、船材、墓材、香油(ミイラの防腐剤)などに使用された。
・エジプトはレバノン杉を輸入していた。
・レバノン杉は神聖な木とされ、ツタンカーメン王の人型棺はレバノン杉でできていた。
・クフ王のピラミッドから発見された「太陽の船」もレバノン杉でできていた。
・レバノンの国旗にはレバノン杉が描かれており、力・高潔・永遠を象徴している。

・フェニキアが築いた最大の植民市は前9世紀後半に建設したカルタゴである。
・カルタゴはローマとの3次にわたるポエニ戦争(ローマ人はフェニキア人をポエニと呼んだ)によって前146年に滅亡した。
・紫の染色やガラス工芸で知られる。
・22個の子音記号からなる表音文字(フェニキア文字)を発明し、前9世紀ごろフェニキア文字がギリシアへ伝えられギリシア文字が生まれ、改良されて今日のローマ字のアルファベットができた。

★ヘブライ
・ヘブライ人(みずからはイスラエル人と称した。バビロン捕囚後はユダヤ人と呼ばれることが多い)は前1500年ごろパレスチナに移住、定着した。
・ヘブライ人の一部はエジプトにも移住したが、前13世紀ごろモーセに率いられてエジプトを脱出し(出エジプト)、「約束の地カナン(パレスチナの別称)」に入って定住した。
・その途上、モーセはシナイ山に登って啓示を受け、ヤハウェを唯一絶対の神と認める契約を結んで、10カ条の律法(十戒)を授かったとされる。
・しかし、ヘブライ人がこのとき実際にシナイ山を訪れたという確かな証拠はない。
・「出エジプト」のエピソードは旧約聖書の記述のほかに証拠はない。「モーセ」という名だったかどうかはわからないが、エジプトからの脱出を指揮しイスラエル人を統率した偉大な指導者が実在したのであろう。
・「十戒」の存在も「モーセ」が生きたとされる時代よりかなりあとになるまで、その存在を確認することはできない。

・モーセの遺志を継いだヨシュアに率いられ、カナンの地を征服したヘブライ人は前1000ごろイスラエル王国(ヘブライ王国)を建設した。
・ヘブライ王国第2代の王ダヴィデはエルサレムを都とし、統一王国の基礎を築いた。
・ダヴィデの子のソロモンはヤハウェの神殿を建設するなど「ソロモンの栄華」を誇った。
・ソロモンの死後、王国は南北に分裂した。
・北のイスラエル王国(首都サマリア)は前722年アッシリアに滅ぼされる。
・南のユダ王国(首都エルサレム)は新バビロニアの攻撃、征服を受け、多くのユダヤ人がバビロンに連れ去られて奴隷にされた。(バビロン捕囚、前586~前538)
・前538年、新バビロニアを破ったアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によりバビロンから解放された。
・ユダ王国はペルシア帝国の属国となった。
・帰国したユダヤ人はエルサレムに神殿を建てユダヤ教を成立させた。
・ユダヤ教の唯一絶対神ヤハウェを表わすYHWEは「神聖四字」と呼ばれヘブライ語をラテン語に置き換えたもの。みだりに唱えてはならないとされ(十戒の第2戒(神名濫唱禁止))、代わりに「アドナイ(わが主)」と発音していた。
・キリスト教の「エホバ」は宗教改革のころ、YHWEに子音をつけて誤読したもの。
・イスラエルの預言者は説教者であり、詩人であり、政治や権力の批評家でもあった。
・ユダヤ教の聖典は「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の律法(トーラー)とミシュナ(口伝律法)とミシュナの注釈を集大成したタルムード


おっちゃんの世界史の栞 7

2010-05-22 20:21:25 | HKT48 AKB48
おっちゃんの世界史の栞 7

(1)古代オリエント世界 1

1 メソポタミア

・「オリエント」とはラテン語で「日の昇るところ、東方」という意味
 古代ローマ人がイタリア半島から見て東方の地方を指した。
 おもにエジプト、西アジア、小アジアなどを含む地域をいう。
・対語は「オクシデント」(日の沈むところ、西方)
・メソポタミアはギリシャ語で「両河の間の地域」という意味で、ティグリス川とユーフラテス川の間の地域を指す。ほぼ現在のイラクにあたる。
・「肥沃な三日月地帯」メソポタミアからシリア・パレスチナにいたる地域
 考古学者J.H.ブレステッドによる古代オリエント文明発祥地の比喩的表現。
 農耕・牧畜はこの地に起源すると考えた。
・「エデンの園」旧約聖書の「創世記」におけるアダムとイブの居住地。
 エデンとは、シュメール語のエディニュー(荒野、平地を意味する)に由来すると考えられるが、ヘブライ語では「喜び、楽しみ」の意味。パラダイスと同一視される。
・「エデンの園」はメソポタミアのどこかがモデルとされる。

★シュメール
・前3000年ごろから、神殿を中心に都市をつくり、青銅器文明を開花させた。
・宗教はエンリルを主神とする多神教で、神殿に付属する聖塔は後代のジックラトゥの原型となった。
・楔形文字、円筒印章、六十進法、シュメール法(明文化された最古の法)の考案
・強力な都市国家は、ウル、ウルク、ラガシュなど

★ギルガメシュ叙事詩
・ウルク王ギルガメシュが永遠の命を求める旅物語で世界最古の文学作品
・ノアの箱舟物語の原型もみられる。
 大洪水のエピソードは当初の「ギルガメシュ叙事詩」には含まれていなかったが、オリエント各地に存在した洪水物語がある時点で物語にとりいれられた。
・さまざまな粘土板に記されていたギルガメシュにまつわる一連の叙事詩をまとめたもの。

★アッカド王朝
・前2400年ごろ、サルゴンがシュメール・アッカド地方を統一した。
・アッカド王朝は5代140年続いた。
・第4代の王ナラムシンは、はじめて「四方世界の王」を名乗り、自らを神とした。
 王の神格化の最初である。

★ウル第3王朝
・シュメール人の最後の統一王朝
・ウルナンムがウルを首都として創始した。
・ウルナンムが発布した法典は現存最古である
・エラム人の侵攻により滅亡した

★古バビロニア王国(バビロン第1王朝)
・前19世紀はじめごろアムル人がバビロンを首都として興した
・第6代ハンムラビ王が全メソポタミアを統一した。
・前16世紀はじめごろヒッタイト人の侵入により滅亡し、やがてカッシート人がバビロニアを支配した。

★ハンムラビ王
・治水灌漑事業、バビロンの造営などに力をそそいだ。
・ハンムラビ法典を制定し、中央集権的な行政・司法・軍事の組織を確立した。

★ハンムラビ法典
・ハンムラビ王は新しい法律を制定したのではなく、ウルナンム法典やリピトイシュタル法典などのシュメール法典を継承し集大成した成文法である。
・この楔形文字法典碑は国内の複数の都市の神殿に建立されたと推定され、その1つがスサで発見されている。(法典を刻んだ石柱は現在ルーブル美術館に保存されている)
・序文、法規集、跋文で構成され、王が民の指導者として神に選ばれ法と正義を確立したと記して、窃盗、債務、婚姻、相続、傷害、賃貸などに関する約280項目の法規(民法、商法、刑法などの内容を含む)を定めている。
・「目には目を、歯には歯を」
 受けた害と同じ害を加害者側に加える刑罰のたとえ
・(第196条)「もしアウィールムがアウィールム仲間の目を損なったなら、彼らは彼の目を損わなければならない」
(第197条)「もし彼がアウィールム仲間の骨を折ったなら、彼らは彼の骨を折らなければならない」
 ハンムラビ法典にこのような同害復讐法の観念が明記されている。
・被害者の身分(貴族・平民・奴隷)が下がるほど刑罰が重くなる階級法の性格があった。
・刑罰は鞭打ち、身体切断、死刑(串刺、火刑、水刑)
・紀元前1770年ごろバビロニアでは、互いの報復行為がエスカレートし、ひとつの殺人が報復が報復をよび、部族間の抗争にまで発展することがあった。
・そこでハンムラビ王は社会秩序を維持するために、報復する相手は当事者のみに同等の処罰を与える「同害報復」の原則をさだめた。
・つまり「やられたら、やり返せ」という意味ではなく、「やられても、必要以上にやり返したらいけない」というのが「目には目を」の本来の意味である。
・しかしハンムラビ法典は現代の法律のような立派な法律ではない。
第1条は「人がもし他人を死刑に値するとして告訴し、しかもこれを立証しえないときは、告訴人は死刑に処せられる」(しかも立証する手段がないときは被告者を水に投げ込んでおぼれて死ねば有罪。生きて浮かんでくれば無罪で、逆に原告が死刑になる)
というような無茶な条文が並んでいる。



おっちゃんの世界史の栞 6

2010-05-22 20:16:06 | HKT48 AKB48
おっちゃんの世界史の栞 6

(1)古代オリエント世界 大まかな目次

(1)古代オリエント世界
1 メソポタミア
  シュメール
  アッカド
  古バビロニア
2 東部地中海沿岸諸国
  カッシート
  ミタンニ
  ヒッタイト
  アラム
  フェニキア
  ヘブライ
3 エジプト
  古王国
  中王国
  新王国
4 オリエント世界の統一
  アッシリア
  エジプト
  リディア
  新バビロニア
  メディア
  アケメネス朝ペルシア



おっちゃんの世界史の栞 4

2010-05-16 11:26:41 | HKT48 AKB48
〈文字の歴史〉

1 世界のおもな文字体系

(1)楔形文字体系
シュメール文字(シュメール文字、アッカド文字、ヒッタイト文字など)→太古エラム文字、古代ペルシャ文字
(2)ヒエログリフ文字体系
太古シュメール文字→エジプト文字→地中海各種ヒエログリフ(象形文字A・B、線状文字A・B)→ヒッタイト・ヒエログリフ文字
(3)アルファベット体系
エジプト文字→シナイ文字→フェニキア文字→①、②、③
 ① 南アラビア文字→エチオピア文字
 ② ギリシア文字→スラヴ文字(キリル文字)、ゴート文字、コプト文字、ルーン文字、エトルリア文字(エトルリア文字→ラテン文字(ローマ字))
 ③ アラム文字→(A)、(B)、(C)、(D)、(E)、(F)
  (A)古代インド文字(ブラーフミー文字、梵字)→チベット文字(チベット文字→パスパ文字)、デーヴァナーガリー文字、タミール文字、ビルマ文字、タイ文字、ラオス文字、カンボジア文字、ジャワ文字
  (B)ヘブライ文字
  (C)ナバタイ文字→アラビア文字
  (D)シリア文字→ソグド文字→ウイグル文字→モンゴル文字→マンチュウ文字(清朝文字)
  (E)アヴェスタ・パハラヴィー文字
  (F)グルシア文字、アルメニア文字
(3)漢字体系
漢字→日本文字(漢字+仮名文字)、ベトナム文字、西夏文字、女真文字、契丹文字
(4)その他(未解読文字を含む)
朝鮮文字(ハングル)、ロロ文字、モソ文字、インダス文字、マヤ・アステカ文字、イースター島文字など。

2 楔形文字
・初期の楔形文字は絵文字(1つの文字がそれぞれ1つの物を表わす)だった。
・BC2900年ごろ、直線と三角形による記号が出現した。
・葦の茎を三角錐の形に切りおとし、その切り口を粘土に押しつけて文字を刻んだ。
・楔形の文字は、やがて、各文字が文脈によって異なる意味を持つようになった。
・楔形文字は、絵文字から抽象的な記号へと変化していった。
・また、表意文字から表音文字へと変化していった。
・しかし、長い間、表音の楔形文字と表意の楔形文字が同時に使用されていた。
・楔形文字は、アッカド、バビロニア、アッシリア、エラム、ヒッタイト、アケメネス朝ペルシャなどの言語表記に用いられた。
・イギリス人ローリンソンがベヒストゥーン碑文(イラン西部のザグロス山中の岩壁に刻まれたダレイオス1世の即位宣言碑文。古代ペルシャ語、エラム語、アッカド語(バビロニア語)の3か国語で刻まれていた)の古代ペルシャ語の部分を解読した。
・ベヒストゥーン碑文のエラム語の部分はイギリス人ノリスが解読した。
・ローリンソンはアッカド語の112行の文字を解読した。(1851年)
・さらに解読は進み、1905年ついにテュロー・ダンジャンがシュメールの楔形文字で書かれた文章の訳文を発表した。

3 ヒエログリフ(神聖文字、聖刻文字)
・ヒエログリフという言葉は、ギリシア語で「神聖」を意味する「ヒエロス」と、「刻む」を意味する「グリュペイン」からきている。
・古代エジプト人は、トト神がこの文字を発明し人間に授けたと信じていた。
・ヒエログリフは、最初から文字としての体系を持っており、あらゆる分野の事柄を書き表すことができた。
・ヒエログリフは、「神の文字」と呼ぶにふさわしい美しさがある。
・ヒエログリフは原則として右から左へと読むが、左から右へ読むこともあるし下から上へ読むこともある。
・メソポタミアでもエジプトでも、文字の読み書きの能力は特権であり、権力であった。
・5000年前、エジプトの書記(文字の先生)たちは、すでにパピルス、インク、ペンを使って文字を書いていた。
・インクも黒と赤の2種類あり、タイトルや書き出しには赤のインクを使った。
・パピルスはエジプトの国の専売となっており、高価なものだった。
・パピルスは地中海沿岸の諸国へ輸出され、エジプトの貴重な収入源だった。

〈神官文字〉(ヒエラティック)
・ヒエログリフは書くのに不便だったので、草書体の「ヒエラティック」が考え出された。
〈民衆文字〉(デモティック)
・BC650年ごろになると、さらに簡略化された「デモティック」が現れ、日常生活で使われるようになった。

4 ヒエログリフの解読
・フランスのシャンポリオンはヒエログリフに関心を抱き、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、アラビア語、シリア語、ペルシア語、サンスクリット語、中国語、コプト語を学んだ。
・シャンポリオンは1822年、ロゼッタストーンの碑文からヒエログリフの解読に成功した。

〈ロゼッタストーン〉
・ロゼッタストーンは1799年エジプト遠征中のナポレオンによって、ナイル河西支流の河口のロゼッタ村で発見された。
・前196年、即位したプトレマイオス5世の戴冠式のためにメンフィスに集まった神官たちが、ギリシア語で起草した法令が刻まれている。
・同一内容の文章が、ヒエログリフでも民衆文字でも書かれている。

5 線形文字
・イギリス人エヴァンズはクレタ島で3種類の線形文字を発見した。
・エヴァンズは2番目に古いものを線文字Aと名づけたが、現在まで未解読。
・さらに新しい文字を線文字Bとした。
・1936年、ロンドンでエヴァンズは「クレタ島の古代文明と文字」と題する講演を行った。その聴衆の中に、14歳の中学生のベントリスがいた。
・1952年ベントリスが線文字Bの解読に成功し、この文字がミケーネ時代のギリシア語を表記したものであることをつきとめた。


おっちゃんの世界史の栞 3

2010-05-09 18:31:32 | HKT48 AKB48
〈地図の歴史〉

1.古代の世界図
★バビロニアの世界図…現存する最古の世界図(前700年ごろ)
・アッカドのサルゴン大王の遠征物語を記した粘土板の一部に描かれている。
・バビロニア人によれば、大地は平たく、世界の陸地は円盤状をなしていて、それをとりまく世界の海の上に浮かんでいると考えた。
・世界の中心に首都バビロンが位置していると考えた。
★地球球体説の成立
・ピタゴラス学派(前5世紀ごろ)
 物体の最も完全な形態が球体であるとすれば、宇宙の中心に位置する地球は球体であると主張した。(哲学的な宇宙観として唱えられた)
・ソクラテスやプラトンもピタゴラス学派にしたがって、地球は球体であると考えた。
・アリストテレスは観察という自然科学的な方法によって地球が球体であることを実証した。月蝕の際に月面に映る地球の影が円形をなすことなど。
★地球の大きさの測定
・アレクサンドリアの図書館長の職にあったエラトステネス(前3世紀)が地球の周囲の長さを44500km(25万スタディア)と測定した(1スタディウム=178mと換算して)
★エラトステネスの世界図
★プトレマイオスの世界図
・プトレマイオス(2世紀ごろ)はアレクサンドリアにおいて活躍した天文学者、地理学者だった。
・天文書「アルマゲスト(天文学大全)」はコペルニクスなどによって近代天文学が樹立されるまでは、天文学において唯一の権威ある書であった。
・プトレマイオスはできるだけ正しい世界図を作成するために「地理学」を著した。
・地球上の各地点の位置を決定するために、ヒッパルコスにしたがって地球の円周を360度に等分した経緯線網を設定した。
・地球を平面に合理的に描く方法として、はじめて投影図法の問題をとりあげ、球面に接する円錐面に経緯線網を投影する円錐図法を考案した。
・プトレマイオスが実際に世界図を作成したかは明らかではない。
・プトレマイオスの世界図は、経度で180度、また南緯20度までの範囲を表した半球図である。
・地球の周囲は3.2万kmとしている。
・緯度はわりに正確に測定し得たので、南北の位置関係はあまり大きな誤差は生じなかった。
・しかし、経度の測定はできなかったので東西の距離は正確ではない。(東西は長く見積もられている)
・経度の測定は海上でも正確に時を刻むクロノメーターの出現(18世紀 ジョン・ハリソンによって発明された)を待つことによる。
・経度15度は1時間に相当するので、正確な時計(クロノメーター)を用いてグリニッジ標準時との時差をもとめれば、その地点の経度を求めることができる。
・しかし不正確さがあったとしても、プトレマイオスの世界図はギリシア・ローマ時代の地理学の知識を集大成したものであり、近世の地図の基礎となったものであり、古代地理学の最も貴重な遺産である。

2. 中世の世界図
★中世のキリスト教地理学
・中世では、古代科学の衰退とともに、世界図もギリシア以前の段階にまで後退した。
・キリスト教の神学が発達するようになると、地球球体説は、異端の説として否定され、地球はふたたび、球体ではなく平たいものと考えられるようになった。
・一般の地理的知識も聖書によって解された。
★TO図
・OとTの文字を組み合わせた形態の図式
・中心にエルサレムが位置する。
・Oは世界の周辺をとりまくオケアノス(海)
・世界の陸地はアジア(Tの上)、アフリカ(Tの右下)、ヨーロッパ(Tの左下)に3分割される。
・Tの横線は、タナイス川とナイル川、たて線は地中海を表す。
★マッパ・ムンディ(Mappa mundi「世界の布」の意)
・聖書に記されている物語や事物などを世界図の形をかりて表した絵図。
・代表的なものは「ヘレフォード図」
 イングランドのヘレフォード寺院に収蔵されている。
・英語のMapはこの言葉に由来する。
★イスラムの世界図
・「イドリーシーの世界図」(12世紀)
 方位は南が上
・アフリカの東端に黄金の国「ワクワク」がある。
・ワクワクが日本(倭国)を指しているとすれば、西方の地図に最初に日本が記されたものである。

3.近世地図のはじまり
★ポルトラノ型の海図(13~16世紀)
・中国で発明された羅針盤は12世紀末ごろから、地中海でも利用されるようになる。
・中国では11世紀末には磁針が南北を指すことは知られていた。(「夢渓筆談」)
・現存する最古のポルトラノは「ピサ図」と呼ばれるもの(1300年ごろ)
・図上に描かれた方位盤から32本の方位線が放射状に交錯していて、これらの方位線を基準にして一つの港から他の港に向かうに必要な舵角(航路の方角)を読みとることができる。
・図上の諸地点の位置は経験的に推定された相対的な位置である。
★プトレマイオスの復活
・1406年プトレマイオスのギリシア語本地理書のラテン語訳が行われた(ヤコブス・アンゲルス)
・1445年活字印刷術が発明される(グーテンベルク)
★ベハイムの地球儀
・1492年マルチン・ベハイムが地球儀を作成(現存する最古の地球儀)

4.大航海時代の世界図
★ヴァルトゼーミューラの世界図(1507年)
・ヴァルトゼーミューラは1507年に「世界誌序説」を著し、アメリゴ・ヴェスプッチの「四航海」を載せ、その解説において、世界の第4の大陸がアメリゴ・ヴェスプッチによって発見され、大陸名は女性名を用いるならわしにしたがって、アメリゴの名にちなんでアメリカと称すべきことを提唱した。
・1507年、その付図として「プトレマイオスの伝統およびアメリゴ・ヴェスプッチの航海による世界図」と題する木版刷り世界図を刊行した。
 南アメリカのところに「AMERICA」と記されている。
・アメリカの呼称は、はじめは南アメリカのみを指していたが、メルカトルの世界図(1538年)以後は北アメリカにも適用されることとなる。
・コロンブスの名は、南アメリカのコロンビアの国名ぐらいにしか伝わっていない。

5.メルカトルから近代・現代の世界図へ
★メルカトルの世界図(1569年)
・正角円筒図法(一般にメルカトル図法と呼ばれる)による世界図
・地図上の任意の方位線は直線で表され、方位線と経線とのなす角が常に正しい舵角を示す。海図に最適の図法。
★アトラス(地図帳)
・1595年、世界各地の地図を総合した世界地図帳(107図よりなる)がメルカトルの息子ルモルドによって出版された。
・ギリシア神話の天空を支える巨人の名にちなんで「アトラス」の表題がつけられた。
・これ以来、地図帳はアトラスと呼ばれるようになった。
★国際地図
・1891年ベルンで開催された国際地理学会議においてドイツの地理学者アルブレヒト・ペンクにより、世界の基本地図として国際地図を作成することが提案された。
・「国際100万分の1世界図」変更多円錐図法で各図幅は経度6度、緯度4度ごとに区画される。
・「100万分の1航空地形図(ONC)」アメリカ運輸省発行。世界を271枚でカバーしている。