ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

★平成30年史 ノート 1

2019-07-21 10:13:26 | 歴史 本
平成30年史 ノート 1

◎私的 覚え書き

平成元年 1989年
○昭和64年 1989.1.1~1989.1.7の7日間
平成のはじまり 1989.1.8
○ワンレン、ボディコンが流行
○新語 セクシャル・ハラスメント
○流行語 オバタリアン、24時間タタカエマスカ
○消費税3% 4.1
○ベルリンの壁崩壊 11.9
○バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2


平成2年 1990年
○新語 ファジイ、オヤジギャル、アッシーくん、メッシーくん
○流行語 バブル経済、成田離婚、愛される理由
○ティラミスブーム
○人面魚
○写ルンです
○ちびまる子ちゃん、「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)


平成3年 1991年
○バブル崩壊の始まり 3月
○ジュリアナ東京
○東京ラブストーリー、「ラブ・ストーリーは突然に」
○101回目のプロポーズ、「SAY YES」
○新語
○流行語 僕は死にましぇーん、
○写真集「Santa Fe」宮沢りえ
○きんは100歳100歳、ぎんは100歳100歳。
○カール・ルイス 9.86秒 100m世界新
○マイク・パウエル 8m95  走幅跳 世界新
○ソ連解体 12.26

◎「1%の人だけが実行している45の習慣」

2015-04-26 21:37:45 | 歴史 本
「1%の人だけが実行している45の習慣」

★「1%の人だけが実行している45の習慣」井上裕之、PHP文庫 を読んで

1%の人は

・自分はまだまだダメと自己否定しない

・根拠のない自信でも持っていい

・自分は唯一無二の存在であると思う

・時間はゆるく管理する

・具体的なことなしに、「がんばります」と言わない

・あとでではなく、すぐとりかかる

・苦手な仕事は引き受けない

他人ではなく、過去の自分自身と競争する

・別れをポジティブにとらえる

・限界ギリギリを体験する

・楽しみながら努力を続ける

すべての生き物は幸福になるために生きている

 単細胞生物にも幸福になる力がある

 すべての人はこの世で幸福になるために生まれてきた

◎イスラーム 1

2015-03-22 21:22:47 | 歴史 本
イスラーム 1

○私は「イスラーム」の信徒ではありませんが、「イスラーム」について知りたいという気持ちはあります

 おもに以下の本によります
「イスラームのとらえ方」世界史タブレット、東長 靖、山川出版社
「イスラームとは何か」小杉 泰、講談社現代新書
「イスラム教入門」中村治廣郎、岩波新書
「イスラームの原点」牧野信也、中央公論社
「人類の宗教の歴足」フレデリック・ルノワール、株式会社トランスビュー


★「イスラーム」はムハンマドによって創始され、「教」を付けずに言う
 「イスラーム」は元来、「神へ帰依する」「神に絶対的に服従する」ことで、信徒は「ムスリム」と呼ばれる
 アラビア語ではもとイスラーム(Islām)であるが、ヨーロッパ語で転写する際にIslamと書いて長音記号を省いてしまったため、日本人は「イスラム」と読んでしまった

★「アッラー
・アッラーはアラビア語の定冠詞アル(al)に神をあらわす普通名詞イラーフ(ilāh)がついた「アル=イラーフ(alilāh)」の短縮形Allāhである
 すなわち「アッラー」は「the god」すなわち「神」を意味する
 だから「アッラーの神」という言い方は「神の神」という意味になって、おかしい

・アラビア語では、「アッラー」はキリスト教やユダヤ教の神もさしている
 ムスリムの主張では、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムの信じている神は同一である

★「クルアーン
・「コーラン」は正しくは「クルアーン」(Qur'ān)という
 クルアーンは預言者が神から直接受けた言葉ではなくて、天使を仲介者として預言者に伝えられた神の言葉である
 クルアーンの第42章の50-51には
「普通の人間にアッラーが直接語りかけ給うということはない。必ず啓示によるとか、垂幕のうしろからとか、さもなければ使徒をお遣わしになって、その者がお許しをえて御心のままを人々に明かす仕組になっている」(「コーラン」(下)井筒俊彦訳、岩波文庫)

・預言者が自分が受けた神の言葉を今度は他の人々に伝える使命を負わされた場合、預言者は「使徒」と呼ばれる

◎預言者が聞いた神の言葉は正確に記憶にとどめなければならないから、言語作品として固定されなければならない
 客観的に言語作品として固定された神の言葉、1つ1つのことを「クルアーン」という
 個々の「クルアーン」の全体を1つの書にまとめたもの全体も「クルアーン」と呼ばれるようになった
 「クルアーン」の原型は預言者ムハンマドに下された啓示を、預言者や周囲の人々が記憶していたものを、預言者の死後、第3代カリフ・ウスマーンの時代に集録され、公式の「クルアーン」のテキストとして定められたものである(ウスマーン本)
 今日流布している標準カイロ版は1924年に決定されたものである

◎聖書や仏典は解釈が加えられ、編集が行われているが、クルアーンは解釈や編集の手が加えられていないとされる

◎しかし、現行の「クルアーン」がムハンマドに啓示された言葉をそのまま1字1句忠実に伝えたものであると証明するものはない
 読み方が異なる「クルアーン」の異本が10ほどあるという

◎「クルアーン」の言葉の意味は「誦(よ)まれるもの」であり、礼拝のときや会合のときなどで声に出して朗唱するものである

◎ディドロと百科全書 4

2015-03-01 22:51:02 | 歴史 本
ディドロと百科全書 4

★ディドロ(1713~1784)

趣意書
・ディドロはチェインバーズの「百科辞典」の原文に満足できず、まったく新しい「百科全書」を作り出そうとした
 1750年10月、ディドロの手による「百科全書」の「趣意書」が8000部配布された

・「技術と学問のあらゆる領域にわたって参照されうるような、そしてただ自分自身のためにのみ自学する人々を啓蒙すると同時に、他人の教育のために働く勇気を感じている人々を手引きするのにも役立つような、ひとつの「辞典」を持つことが大切だ、と私たちは信じたのである。
 これまで、誰もこれほど大きな著作を思いついたひとはなかった」

「私たちは「チェインバーズ辞典」の〔イタリア語〕全訳に目をとおした。そして、学問においてはあきれるほど多くの事項が足らず、自由芸術においては数ページが必要であったところに1語しかなく、また機械技術においては全部を補充せねばならぬことを、私たちは見出したのである」

「ひとりの著者にとって、ただその特殊的な研究をするのに全生涯かかったひとつの学問あるいは技術を根本的に取り扱うのは、どんなに困難なことか。ましてや、一体、どんな人間が、学問と技術のすべてをひとりだけで取り扱おうと企てるほど、向こう見ずで短見であることができるのか。
 この反省から私たちが結論したことは、私たちが担わねばならぬこんなに大きな重荷を支えるにはそれを分担する必要がある、ということであった」

「私たちの協力者の各人は自分が引き受けた部分についてひとつの「辞典」をつくり、私たち〔編集者〕はこれらの「辞典」全部をひとつの全体に統一したのである」

「この『百科全書』の全内容は、結局は3つの大項目に帰着しうる。すなわち、学問と自由芸術と機械技術」

「この書物は、少なくともいつの日にか、一般読者にとってはあらゆる分野において、また本職の学者にとってもその人の専門を除くあらゆる分野において、図書館の代りをすることができるだろう」

「それは人間知識の確立と進歩とに貢献するだろう。さらに、真の学者、すぐれた技術家および啓蒙された学芸愛好家の数を増大させることによって、それは社会の中にいくつもの新しい利益を普及させるであろう」

「彼(ディドロ)はこの『百科全書』の最も広範で、最も重要で、読者から最も待望され、また、あえていえば書き上げるのが最も困難な部分の筆者なのである。それはさまざまな技術の記述である」(「百科全書」、桑原武夫訳編、岩波文庫の「百科全書序論」より)

・「百科全書」は本文8巻、図版2巻の予定だったが、実際は本文17巻、図版11巻となった

○1751年3月4日、ディドロはプロイセン科学・文学アカデミー会員となった

○1751年6月28日、「百科全書」第1巻が刊行された
 大きさは2つ折り版(40cm×25cm)915ページで、左右2段組で各74行であった
 発行部数は2050部

◎ディドロと百科全書 3

2015-02-24 22:31:58 | 歴史 本
ディドロと百科全書 3

ディドロ(1713~1784)

○翻訳家として
・1743年、イギリス人テンプル・スタンヤンの「ギリシア史」のフランス語訳3巻をブリヤソン書店から出版した
・次の翻訳の仕事は、シャフツベリ伯爵の作品の翻訳「道徳哲学原理、あるいは真価と徳に関するS★★★氏の試論」(1745年出版)

○ディドロ、トゥサン、エドゥ共訳「医学総合辞典」6巻をブリヤソン書店から出版(1746-48年)

○「哲学断想
・1746年、ディドロは「哲学断想」を匿名で出版した
 1746年7月7日、パリ高等法院は「哲学断想」を「重罪裁判所の執行官によって破棄、焼却されるべきこと」と命令した
 これがかえって宣伝になり、発行部数を伸ばし、ドイツ語やイタリア語にも翻訳された
 「哲学断想」の原稿料50ルイは、当時の愛人ド・ピュイジュー夫人に渡した

○「百科辞典、あるいは技芸・科学総合辞典
・近代的百科全書の先駆的業績としてふさわしい著作はエフリアム・チェインバーズの「百科辞典、あるいは技芸・科学総合辞典」(1728年)である
 諸項目を体系的に結びつけ、それぞれ参照項目を示す努力をした
 しかし、地理・歴史・伝記に関する見出し語は立てていなかった

○1745年にゼリウスという名のドイツ人がチェインバーズの「百科辞典」のフランス語訳の出版計画をパリの出版業者アンドレ・フランソア・ル・ブルトンにもちかけた
 1745年3月5日、本文4巻、図版120枚からなる翻訳の出版契約がル・ブルトンとゼリウス、イギリス人ミルズ2人との間に結ばれる
 しかしその後、ル・ブルトンはゼリウス、ミルズと争いをおこし、出版特許が取り消され、契約が無効になった
 ル・ブルトンは1745年10月、新たにパリの同業者ブリアソン、デュラン、ダヴィドを仲間に引き入れて政府に働きかけ、出版取り消し令は撤回され、特許が更新され、1746年1月21日に特許更新の件が正式に調印、公布された

○ル・ブルトンは1746年6月27日に科学アカデミー会員兼コレージュ・ド・フランス教授グワ・ド・マルヴに「百科全書」の編集を依頼した
 ディドロとダランベールはグワが編集・翻訳した項目の校閲係として関係した
 ル・ブルトンは信頼のおけないグワとの契約を破棄し、1747年10月16日からディドロとダランベールに編集責任者として依頼した
 ダランベールは数学者でフランス科学アカデミーの会員だった

○「盲人書簡
 1749年6月9日、「盲人書簡」を匿名で出版
 ディドロは盲人数学者ソンダーソンの口を借りて、宇宙の秩序から宇宙の創造者「神」の存在を証明する方法の無効を宣告した
 神の存在は疑わしい
 宇宙の秩序は器官と有機物の適者生存による自然選択の結果だと言った
 「もしも私に神を信じさせたいとお思いなら、神に触らせて下さらなければいけません」

○投獄
 「盲人書簡」の無神論に教会が抗議したためか、ディドロは逮捕された

 1949年7月24日、警察署長は警視ジョゼフ・デムリを伴ってディドロの住居を訪れ、「宗教、国家、道徳に背く」原稿を見つけ出そうと室内を捜索した
 「盲人書簡」2部と、31個のボール箱につまった「百科全書」関係の原稿が出てきた
 ディドロは「封印令状」によって直ちに逮捕され、パリ東方のヴァンセンヌ城に連行され、小塔の3階にある独房に監禁された
 ディドロは「失楽園」の所持だけを許された
 7月31日、警視総監ベリエはディドロの尋問を開始した
 8月13日、ついに屈服し恭順を誓う
 8月21日、ベリエあての「誓約書」を書き、ディドロは独房から解放され、ヴァンセンヌ城内にある城塞司令官デュ・シャトレ侯爵の屋敷に軟禁される
 執筆や訪問者との面会も許可される
 11月3日、釈放された
 ディドロは城塞司令官邸で軟禁されていた間に、プラトンの「ソクラテスの弁明」と「クリトン」の冒頭の一部をフランス語に翻訳している

○ディドロの入獄をきっかけに、同時代人は彼をソクラテス=ディドロというあだ名で呼ぶことになる