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おっちゃんの世界史の栞 26 (4)新約聖書の改竄にまつわる話 2

2011-04-03 19:11:17 | HKT48 AKB48
(4)新約聖書の改竄にまつわる話(ほぼ、バート・D・アーマン教授の著書からの引用) 2

・福音書の内容は多くの点で互いに食い違っている
・福音書を書いたのはマタイでもマルコでもルカでもヨハネでもなく、後世の記者が使徒の名をかたって書いたものである
・新約聖書のオリジナルテキストが現存せず、そのほとんどが何世紀も後に作られた写本である

・キリストの神性や三位一体といったキリスト教の伝統的な教義の多くが、最初期の新約聖書には書かれておらず、長い年月をかけて形成され、イエスや使徒の本来の教えから乖離していったものである
・キリストの神性、三位一体、天国と地獄などのキリスト教の教義はイエスの死後、後世のキリスト教会が創ったものである
・たとえば、三位一体の教義についても、新約聖書の4つの福音書には何も書かれていない

・後にキリスト教と呼ばれるようになった宗教はイエスの宗教ではない

★誰が福音書を書いたのか

・福音書は「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」と呼ばれている
・「マルコ」はおそらく最初に書かれた福音書である
・「マタイ」と「ルカ」は「マルコ」を下敷きに書かれた
・「ヨハネ」は最も新しい福音書であり、他の福音書に比べ、歴史的な信憑性は低い
・福音書はもともと匿名で書かれており、作者の誰一人として目撃者だと名乗っていない
・福音書の記者は、自分たちの著作物に「~による福音書」などというタイトルは付けなかった
・これらのタイトルは、後世の編集者や書記によって付加されたものである
・福音書の史料は、そこに記されている出来事が起きた時代の生き証人によって作成されたのではなく、イエスの死後35年から65年経ってから書かれたものである

福音書の記者はイエスを直接知らず、イエスを見たことも、イエスの教えも聞いたこともない人びとである

・福音書の記者は、イエスの死後、口頭伝承によって広まったイエスの物語を書きとめたのである

・初期キリスト教の集団は一枚岩ではなく多様性があった
・あらゆるキリスト教の集団はかれらが聖典とみなす書物を持っていた

聖書の正典は、最終的に勝利した集団(原始正統派)が護持していた書を収録したものである


◎正典化されなかった福音書
・トマスによる福音書
・ユダの福音書
・ピリポ福音書
・マリア福音書
などがある

★イエスの生涯についての史料

・イエスの生きた時代には、彼はほとんど誰も知らない無名の人物だった
・イエスのいた時代から1世紀の終わりにかけて作成されたギリシャやローマの史料は、イエスについて何も書かれていない
・現存する当時の異教徒の史料のなかで、言及されることも、反論されることも、非難されることもなく、いかなる形でも登場しない
・出生記録も、裁判や死の記述もない
・哲学者、詩人、自然科学者など多岐にわたる人びとの史料が残されているのに、1世紀のギリシャ人やローマ人の史料にはまったく登場しない

・歴史的イエスの生涯について知りたければ、4つの福音書に頼るほかないが、福音書の大部分はイエスに関する客観的な事実がそのまま語られているのではなく、数十年に渡って語り継がれてきた、口承にもとづく物語を書きつづったものである
・そのため、実際のイエスの言動や経験を正確に知るのはきわめて困難である



★イエスの誕生

・イエスの誕生について触れられているのは、「マタイ」と「ルカ」のみで、「マルコ」と「ヨハネ」では言及されていない

◎「マタイ」では、(「福音書」(岩波文庫))
・イエスの母マリヤがヨセフと婚約のあいだ柄で、まだ一しょにならないうちに、聖霊によって身重になっていることが知れた。夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、女を晒し者にすることを好まず、内証で離縁しようと決心した。しかしそのことを思案していると、主の使が夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。男の子が生まれるから、その名をイエスとつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」これはみな、主が預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためにおこったのである。……ヨセフは眠りから覚めると、主の使に命じられたとおりにして、その妻を迎えた。しかし、子が生まれるまでは、一緒にならなかった。そして子が生まれると、その名をイエスとつけた。
・イエスはヘロデ王の代にユダヤの町ベツレヘムでお生まれになった

・「マタイ」の見解では、イエスの誕生は、旧約聖書の預言が的中したことを意味している

◎「ルカ」では、(「福音書」(岩波文庫))
・天使ガブリエルが、神からガリラヤのナザレという町の一人の乙女に遣わされた。乙女はダビデ家の出であるヨセフという人と婚約の間柄で、名をマリヤといった。天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」マリヤはこの言葉にびっくりして、いったいこの挨拶は何事であろうと考えまどうた。天使が言った、「マリヤよ、恐れることはない。神からお恵みをいただいたのだから。見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。…」
・そのころ、全帝国の人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た。…すべての人が登録を受けるために、それぞれ自分の生まれた町にかえった。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。すでに身重であった妻マリアと共に、登録を受けるためであった。するとそこにおる間に、マリヤは月満ちて初子を生み、産着にくるんで飼葉桶に寝かせた。…八日過ぎて割礼の日が来ると、人々は、胎内に宿る前に天使からつけられたイエスという名を、幼子につけた。

・「ルカ」が抱える歴史的な問題は、ローマ皇帝アウグストゥスの治世に帝国全土で住民登録が実施され、誰もが先祖の出身地に帰って登録しなければならなかったという記録は見当たらない。
・「ルカ」はイエスがナザレ出身であることを知りながら、ベツレヘムで生まれたことにしたかった
・「ルカ」はヨセフとマリヤの故郷は「ナザレ」と言っているが、「マタイ」はそのことには触れていない

・イエス誕生に関して「マタイ」に書いてあることが「ルカ」には書かれていない。「ルカ」に書いてあることが「マタイ」には書かれていない。

・クリスマスにまつわるお話は、「マタイ」と「ルカ」に書かれていることをごた混ぜにしたものである


◎イエスの系譜

・「マタイ」と「ルカ」だけにイエスの家系図がのっているが、両者は別物である
・マリヤの家系図が載っていなくて、血がつながっていないヨセフの家系図のみ載っているのは意味不明である
・「マタイ」と「ルカ」とも、マリヤが処女だったと主張し、ヨセフはイエスの父親ではないとしているのに、なぜイエスの血統をヨセフからたどっているのか
・イエスと血縁関係にあるのはマリヤであり、「マタイ」と「ルカ」にのっている家系図はイエスの系図ではない


★過越の祭り

・旧約聖書の「出エジプト記」で語られている、モーセの時代のエジプト脱出を記念する祭り
・イエスの時代、毎年行われる過越の祭りは、ユダヤ人の最も大事な祭りで、この祭りを祝うため世界中のユダヤ人がエルサレムにやってきた

・過越の祭りの前日の準備をする日、ユダヤ人は子羊をエルサレムの神殿に持って行き、というかそこで子羊を買う場合のほうが多かったが、祭司が子羊を屠った。
 ユダヤ人は屠られた子羊を家に持ち帰り食事の支度をした
・午後に子羊を殺し、食事の準備を整えるのが過越の祭りの準備の日である
・伝統的なユダヤ教では、新しい日は日暮れとともに始まる
・食事は、過越の祭りの準備の日の夜(過越の祭りの始まり)に食される
・過越の祭りは、夕食から始まり、翌日の午前から午後までのおよそ24時間続く

・イエスと弟子たちは、過越の祭りを祝うため、エルサレムにやってきた


★「マルコ」と「ヨハネ」におけるイエスの死


・「マルコ」も「ヨハネ」もいつイエスが死んだのか記しているが、その日時は食い違っている

・「マルコ」によれば、イエスは過越の祭りの日の午後に死んだことになっている

・「ヨハネ」によれば、イエスは過越の祭りの準備の日の午後に死んだことになっている

・「マルコ」も「ヨハネ」も歴史的に正しいという可能性はない

◎「マルコ」に記されているイエスの死の記述

・過越の祭りの準備の日の朝、弟子はイエスに「どこへ行って過越のお食事の支度をしましょうか」とたずねる
・イエスは指示を出し、夜彼らは食事をとる
・食事をしているとき、イエスは「あなた達のうちの一人、わたしと一しょに食事をする者が、わたしを売ろうとしている」と言った
・イエスはパンを手に取り、神を賛美して裂き、弟子に「これはわたしの体である」と言った
・また、杯を取り、神に感謝したのち彼らに渡されると、皆がその杯から飲み、イエスは「これは多くの人のために流す、わたしの約束の血である」と言った
・食事を終えたあと、オリブ山へ出かけゲッセマネと呼ばれる地所に着いた
・裏切り行為に走ったイスカリオテのユダが群衆を引き連れてあらわれる
・イエスは連行され、牢獄で一夜を明かす
・夜が明けると、ローマ総督であるポンティオ・ピラトによる裁判にかけられる
・ピラトは、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるために兵卒に引き渡した
・兵卒は通りかかったシモンというクレネ人に十字架を負わせた(イエスにはもう負う力がなかったのである)
・兵卒らは、イエスをゴルゴタという所につれて行き十字架につけた
・十字架につけたのは朝の9時であった
・昼の12時になると、地の上が全部暗闇になってきて、3時までつづいた
・3時に、イエスは大声を出して「エロイ エロイ ラマ サバクタニ」と叫ばれた
・訳すると、「わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか」である
・そばにいたひとりがすっぱい葡萄酒を海綿に含ませ、イエスに飲ませようとしたが、イエスはそれを受けず大声を放たれるとともに、息が絶えた


◎「ヨハネ」に記されているイエスの死の記述

・過越の祭りの前日の夕食のとき、イエスは弟子たちの足を洗う
・イエスはパンが自分の体だとか、ワインが自分の血だとは、一言も言っていない
・イエスは「あなた達のうちの一人が、わたしを売ろうとしている」と言った
・イエスは捕縛され、ピラトの裁判にかけられる
・ピラトが判決を宣告したのは、過越の祭りの準備の日の12時ごろであった
・ピラトはイエスを兵卒らに引き渡すと、イエスは自分で十字架をかついでゴルゴタへ行った
・イエスは酸っぱい葡萄酒を受けると「すべてすんだ」と言って、首を垂れて霊を神に渡された
・死をたしかめるために一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた

「ヨハネ」はイエスが「神の子羊」であると言明した唯一の福音書である

・「ヨハネ」で描かれているイエスは、自らを犠牲にすることによって罪からの救済をもたらした過越の子羊だったから、過越の子羊と全く同じように、イエスはその日(祭りの準備の日)の子羊が神殿で屠られる時間(正午過ぎ)に死ななければならなかったのである
・ヨハネは神学上の理由から、歴史的な資料を改変したのである

★イエスの神性

・「マルコ」や「マタイ」の中で、イエスは自分が神だとは言っていない

・イエスの神性について言及している福音書は「ヨハネ」だけである

・イエスはおそらく自分自身を神と呼んだことはない

・最古の文字伝承のどれ一つとっても、自分が神であるとイエスが言ったという記述が見当たらない
・イエスの神性は、イエス自身の教えではなく、ヨハネ神学の一環である