ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎腐ったら、負け(5)

2016-01-31 21:56:46 | HKT48
腐ったら、負け(5)

なこみく

○2013年8月4日、3期生オーディションの最終審査が行われ、11月2日、3期生合格者の初お披露目があった
 荒巻美咲、栗原紗英、坂本愛玲菜、田中美久、筒井莉子、外薗葉月、矢吹奈子、山内祐奈、山下エミリーの9名である

○そのなかに2人の小学生がいた

矢吹奈子(2001年6月18日生まれ) 当時小学6年生(12歳)
「さしこちゃんがまだAKB48だった頃、握手会に行ったら「AKB48に入ってよ!絶対に入れるから」って言われたんですよ。…でも、さしこちゃんがHKT48になった時に行ったら、また「入ってよ!」って言われたんですよ。」(なこ)

田中美久(2001年9月12日生まれ) 当時小学6年生(12歳)

「もっと小さくて可愛いコがいっぱい来るんだって。大人にならなきゃって、でもイヤだなって。その時は思ってました」(田中優香)
「やっぱり怖かったです。自分たちが追ってた立場だったから、いつか絶対に抜かれそうって」(みお)

○11月10日の「AKB48グループ ドラフト会議」でチームHは山本茉央を獲得した


「ウインクは3回」

○2013年9月18日、日本武道館で「AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会」が開催された

 AKB48 34thシングルのタイトルは「鈴懸の木の道で…(略)やや気恥ずかしい結論のようなもの」(12月11日リリース)でタイプHのカップリング曲にHKT48の楽曲が収録されている
 その曲は「ウインクは3回」で、矢吹奈子がセンターに抜擢された

★2014年3月12日、HKT48の3rd シングル「桜、みんなで食べた」がリリースされた

 センターは前作に引き続き、めるみお
 なこみくが選抜に選ばれ、前作で選抜だった岡田栞奈、岡本尚子、谷真理佳が選抜からはずれた

○2月14日、HKT48が「ミュージックステーション」に初出演し、「桜、みんなで食べた」をテレビ初披露した

 トークコーナーで、さっしーとめるみおの間に、なこみくが座り、はるっぴまでが1列目で、さくらは1列目に座れなかった
「私は後ろに行ってって言われたんです。みんなの後ろ姿を見ていたら…涙が出てきちゃって。…その年、総選挙で26位って順位をもらったのに、ファンの方に申し訳がなくて…絶対に腐るのはよそうって思っていたけど…もう、ファンの方たちのためだけに頑張ろうって思ってました。」(さくら)





◎腐ったら、負け(4)

2016-01-30 22:26:34 | HKT48
腐ったら、負け(4)

第5回AKB48選抜総選挙

○速報 2013年5月22日
さっしー 1位
はるっぴ 24位
さくちゃん 61位

2013年6月8日 第5回AKB48選抜総選挙 日産スタジアム

さっしー 1位 150570票 (大島優子は2位 13650票)
「15万票というすごい票数が入ったのを見て、私は孤独じゃないんだと感じることができました。…私がセンターになったらAKB48は壊れると言われるけど、絶対にAKB48を壊しません」(さっしー)

みお 59位 12126票
「いつかは自分が引っ張っていける存在になれるように」(みお)

める 55位 13246票
「絶対に美桜にも負けるって思ってました。…急にセンターになって、よく思わないファンの方もいるんだろうなって思ってましたし、Google+のコメントに、「なんでお前がセンターなんだよ!」って書き込みがあったりもしました」(める)
「この結果は通知表としてちゃんと受け止め、成長していけるように精いっぱい頑張ります」(める)

らぶたん 43位 16401票
「HKT48をAKB48よりも有名にできるように頑張ります」(らぶたん)

はるっぴ 37位 18145票
「今年は、昨年の篠田さんの言葉を胸に先輩方をちゅぶしにいくぐらいの気持ちで頑張ります」(はるっぴ)
「滑舌! 本当は女優業にも挑戦したいんですよ、私」(はるっぴ)


さくちゃん 26位 25760票
「速報では、61位。すごくショックでした。当日、26位っていう信じられない順位になって、震えました」(さくら)

○さくらは次々と目標を達成していく

来年の総選挙では絶対に選抜に入りたいです」→2014年の第6回AKB48選抜総選挙で選抜の11位に入る
マジすかとか観てて、すごく憧れてたので、チャンスがあったらぜひ、やってみたいです」→2015年のマジすか学園4、5に出演することになる


HKT48セカンドシングル

・2013年6月13日、セカンドシングルが9月4日に発売されるとの知らせがあった

AKB48 2013真夏のドームツアー
 7月20日(福岡ヤフオク!ドーム)にはじまり、8月25日(東京ドーム)に終わる、5大ドームコンサート

・「「真夏のドームツアー2013」っていうコンサートがあって、その資料が帰りのバスの中で配られたんですよ。そこにセットリストが書いてあって、アンコールのあたりに「HKT48、新曲」って書かれてたんですね。で、別のところにHKT48のメンバーの名前があったんですけど、選抜メンバーの名前の横に◎が付いてて。だから選抜の子たちは事前に歌詞とか渡されてたと思うんですよ。すごくショックで、泣きました」(若田部遥)

・セカンドシングルの選抜では、4人の1期生が落ち、2期生の4人があらたに選抜入りした(選抜16人のうち7人が2期生)

●「メロンジュース

 セカンドシングルのタイトルは「メロンジュース」

 センターは、ジャケット撮影現場でわかった
 「「さっき、センター「めるみお」だったよね」って話をしていて。…悔しかった。でも私より、はるっぴのほうが悔しかっただろうなって」(さくら)

「メロンジュース」は、田島芽瑠と朝長美桜のダブルセンターとなった


●「メロンジュース」のカップリング曲

○「そこで何を考えるか?」(センター はるっぴ)
 1期生に向けて書かれたものだった
 特に、さくらとはるっぴに向けたメッセージだろう

「悔しい
 次のチャンスはまたあるよね これで決まるわけじゃないし
「今まで自分のことエースだと思ってた」
初めて後輩に私のポジションを取って代わられたのがショックだった
「夢 叶えるためにすべてを捨てて来た」
    (「勉強も、医者の夢も本当にすべて捨てちゃったから」(さくら))
次のチャンスがまた来るまで 愚痴は今日で封印しよう
ここで順位落ちたって ここでポジション外れたって
 自分が強くなればいい

「汗を流したその分だけ どんな願いだって叶うんだ」


○「泥のメトロノーム」 うまくち姫(センター はるっぴ)
○「希望の海流」 あまくち姫(センター さくら)



「メロンジュース」のジャケット撮影があった日の夜

 さくらははるっぴのホテルの部屋を訪れた
「これから…どうしようか」(さくら)
「…わかんないや」(はるっぴ)
2人でポロポロと涙を流した
「でも…もう1度、頑張るしかないよね」(さくら)
「…うん」
……
全力で頑張ってたら、絶対誰かが見てくれてるよね」(さくら)
「うん!」
その夜、2人は約束した
これから、どんなことが起こっても、お互い、絶対に腐らないようにしよう」(さくら)
「腐っちゃったら…それ以上、伸びしろがなくなっちゃうもんね」(はるっぴ)
「もし、お互い腐っちゃったり、ブレそうになったら注意し合おうね。
 諦めないように!」

◎腐ったら、負け(3)

2016-01-29 23:09:44 | HKT48
腐ったら、負け(3)

●チームHの「博多レジェンド」公演が2013年3月1日から始まった

「HKT48」(M01)、「君のことが好きやけん」(M02)、「初恋バタフライ」(M04)、「ガラスのI LOVE YOU」(M05)、「ハート型ウィルス」(M07)、「てもでもの涙→禁じられた2人」(M08)、「遠距離ポスター」(M11)、「回遊魚のキャパシティ」(M13)、「大声ダイヤモンド」(M15)、「お願いヴァレンティヌ」(EN02)、「スキ!スキ!スキップ!」(EN03)など、AKB48の過去のリバイバル公演ではなく、AKB48の楽曲から「好きな曲を選んで」セットリストを組んだものだった

HKT48初の単独武道館コンサート 2013年4月27日

「AKB48グループ臨時総会~白黒つけようじゃないか!~」のイベントが4月25日~28日まで日本武道館で行われた

 25日 SKE48単独
 26日 NMB48単独
 27日 昼の部 HKT48単独
 27日 夜の部 AKB48単独
 28日 昼の部、夜の部 AKB48G総出演
でそれぞれのグループが勝負する

○HKT48の初めてのコンサートの会場が「武道館」となったが、劇場デビューして1年5カ月のキャリアのHKT48にはオリジナルソングは少なかった
 そこで、AKB48の隠れた名曲、SKE48やNMB48の曲、さらには、乃木坂46の曲まで使ってしまおうということになった
 「AKB48グループ・乃木坂46スペシャルメドレー(16曲)」のなかに「1!2!3!4!ヨロシク!」「パレオはエメラルド」「絶滅黒髪少女」「青春のラップタイム」「制服のマネキン」「おいでシャンプー」などが入っている

日本武道館の舞台

・中央に置かれたステージで、360度、観客に見られる

「方向を覚えるのが難しいんです。いくつも入り口や出口があるんですけど、どこから出るんだっけ?ってわからなくなるんです」(なつ)

「人のために頑張るってなんだろう?って。「後輩たちがよりよく見えるために、自分たちが下になって支える」っていうことの意味がわからなかった。…今になってみればわかるんですけど…。スタッフさんもさっしーも、みんな2期生にしか目がいってない感じがして。…」(さくら)

「本当に、まったく2期生は覚えられなくて。とくに「16曲メドレー」が大変で、早替えもあるし、場所も覚えられないし、振りを覚えるのも必死だったし…。それでさしこちゃんにも怒られて。…もう、毎日戦争でした」(める)

○コンサート当日
 早朝リハーサル
・2期生は、当日になってもしっかりと立ち位置を覚えていなかった

できてる子は、できない子を怒るんじゃなくて、教えてあげればいいんだよ。もう時間ないんだから練習しようよ」(なつ)

・開演20分前
「間違えても「最悪…」みたいに落ち込まないで。私も絶対に間違えるから。…今までみんなのこと怒ったし、「絶対に間違えないで!」って言ってきたけど、それは気持ちを奮い立たせるために言ってきただけだから。…間違っても楽しく、…誰もあとで怒らないから。楽しくいきましょう!」(さっしー)


○サプライズ 27日

・ラスト1曲の前、戸賀崎AKB48劇場支配人が登場し、「これより、AKB48春のメンバー人事を発表したいと思います」
そのなかで、

「HKT48チームH、兒玉遥。AKB48チームAと兼任
「HKT48チームH、指原莉乃。HKT48劇場支配人、兼務…」

◎腐ったら、負け(2)

2016-01-28 23:13:55 | HKT48
腐ったら、負け(2)

2期生

・HKT48の2期生21名は2012年9月23日の劇場公演で「初お披露目」をした
 1期生の多くは2期生のメンバーに危機感を感じていたという
 9月30日から、2期生たちによる研究生公演「PARTYが始まるよ」が始まった
 中心には「10年に1人の逸材」といわれた、田島芽瑠がいた

・1期生はお互いに言い合わなすぎと言われたが、2期生はお互いぶつかることが多かった
「2期生は、いつもピリピリしてました。帰りのバスの中で、毎日反省会をしていたんです」(田中優香)
「2期生は、本当にバチバチしてたと思います。…ピリピリしてたんですけど、みんなすごく必死だったし、助け合ってたんです。ケンカもいっぱいしたけど、それを乗り越えて絆みたいなものを作ったんだって思ってます」(秋吉優花)

HKT48初のオリジナル曲

・2012年10月、AKB48の29thシングル「永遠プレッシャー」のタイプCのカップリング曲として、HKT48初のオリジナル曲が収録されるとの発表があった
初恋バタフライ」である
「初恋バタフライ」のセンターは田島芽瑠と発表された

1期生でずっとセンターをやってきた「はるっぴは、裏で泣いていたみたいです」(植木南央)

「はるっぴは泣きすぎちゃって、そのままレコーディングできなかったんです。…私もショックで声が出なくなっちゃって、レコーディングができなくなっちゃたんですよ。…さっしーを囲んで1期生たちがみんな泣いていました。…芽瑠ちゃんは、申し訳なさそうにしていて…。芽瑠ちゃんが悪いわけじゃないのに。かわいそうなことをしたなって」(さくら)

○2012年11月1日、HKT48に移籍した多田愛佳の劇場デビュー

 多田愛佳は移籍を決めたとき「メンバーと絶対に仲良くならない」と決めていたという
「東京に戻ることになったとき、寂しい思いをしたくなかったから」
つらいことばかりだったけど、HKTの子たちは、誰も腐ってなかった
「みんなと仲良くならないでおこうなんて無理でした」(らぶたん)

デビューシングル「スキ!スキ!スキップ!」

・2013年1月、HKT48劇場でHKT48のデビューシングルの選抜発表が行われた
 センターは、田島芽瑠

「さすがにありえないって思ってました。だって、デビューシングルですよ。…なんで?なんで私が?って。もうプレッシャーがすごかったです。…取材も何を言っていいのか悪いのかもわからないし、…振りも覚えなくちゃいけないしで頭の中がパンパンでした」(める)

○「スキ!スキ!スキップ!」が発売されたのは、2013年3月20日
 全国握手会、個別握手会のイベントが行われた

 最初の握手会は、3月20日、よみうりランドでの全国握手会である

 めるちゃんのレーンには、多くのファンが集まった
 泣かないタイプのめるちゃんが、うれし泣きした
「ファンの方は、私の友達。私の味方。私の仲間。そう思えました。…宝物だって思いました」(める)

「隣のレーンが芽瑠ちゃんで。その時、自分のレーンだけ人がいないように見えちゃったんです。…それを見て「辞めよう」って思ったんです。それからは、「いつ辞めようか」ってことばかり考えてました。芽瑠ちゃんが悪いわけじゃないのはわかってるのに。」(さくら)



以下、握手会つながりで、個人的なことを書きますけど、ごめんやしておくれやす

さくちゃんとの初めての握手会

・私が、初めてさくちゃんと握手したのは、2013年3月23日の千里セルシーでの「スキ!スキ!スキップ!」の全国握手会だった

・そのとき、なんと魅力的な娘がいると思った
 すごく輝いていた
 この娘は、かならずブレイクすると確信しましたぞな
 それ以来、私はさくちゃんが好きになり、さくちゃん推しになった

・「さくめーる」が始まったのは、2014年4月やった

・たしか、2014年5月4日のインテックス大阪での個別握手会で、さくちゃんに「推しメンは誰ですか」と聞かれて、「さくらちゃんです」と答えた記憶がありまする

 前日の5月3日は写メ会で
 さくちゃんは、さわやかな白い服やった


センターについて思うこと少し

・センターは、1番注目をあびる
・しかし、センターじゃないとダメということは断じてない

 どこにいても、たとえ最後列にいたとしても、光っているものは光っている
 金はどこにあっても金である
 土の中に埋もれていれば、見えないけれど、金は金であり、銅になることはない
 たとえ今は注目されていないとしても、見てくれている人がいる

 センターじゃなかったとしても悲観する必要はまったくない

 また、センターになったとしても、あまり重く考えることはない
 センターは、持ち回りで、一時的なものであり、1つの役割にすぎない














◎腐ったら、負け(1)

2016-01-27 23:21:20 | HKT48
腐ったら、負け(1)

「腐ったら、負け」(篠本634、角川春樹事務所)を読みました

HKT48の結成が発表されたのは、2011年5月1日である

 1期生のオーディションの日は、バスケ部に打ち込んでいたはるっぴの、中学3年最後の大会の日でもあった
 はるっぴはバスケよりもオーディションを選んだ

・オーディション会場にやってきた中学2年の少女、宮脇咲良

 少女は小学2年生のときからミュージカル教室に通った
 ミュージカル教室では、歌、ダンス、演技すべてを習った
 その後、いろんな作品のオーディションを受けたが、最終段階で落ちた
 そんな中で、少女が出した結論は「何ごともポジティブに受け止めること
 そうして、劇団四季の「ライオンキング」のヤングナラの役を射止めた

・さくらは中学1年生のときに、ニューヨークのブロードウェイに2週間ほど留学した
 初の日本人留学生のひとりだった
 最終日、ひとりずつ歌のパフォーマンスをした
 先生が言った
1番よかった生徒に、もう1度歌ってもらいます…
 さくら!
」(写真集「さくら」より)

・さくらは産婦人科医を目指して勉強していたが、その夢をすてたのである

・秋元氏が言う
「今回は、3年後に輝く原石を選んだつもりです
 夢というのはみんなが全力で両手を伸ばした1mm先にあるものです
 そのときに諦めて手を下ろしてしまった者には、絶対に届かない」

1期生は言い合いとか、意見のぶつかり合いとかもなかった
 「なんでも言い合えるぐらいの仲じゃないとダメだと思うよ
  相手のことを考えて言い合うことが大切なんだよ」(高橋みなみ)

・スタートしたけれど、劇場公演のチケットの応募数は激減し、2012年2月に入った頃、とうとう「定員割れ」を起こした

2012年3月、チームHが結成された

 穴井千尋がキャプテンに選ばれた
「人前でしゃべるとか、誰かに指示したり、怒ったりっていう経験がまったくなかったんですよ。むしろ陰でおとなしくしていたほうだったから」(ちーちゃん)

デビューしてから半年ほどたっても、劇場公演のチケットの応募数は増えなかった
「この状況を変えるには、どうしたらいいんだろう?ってみんな悩んでいました」(さくら)

2012年6月6日、第4回AKB48選抜総選挙

 さくらは母にひとつの約束をした
64位以内にランクインできなかったら、HKT48を卒業する」(写真集「さくら」)

結果は、HKT48からただ一人ランクインした(47位、6635票)
当時の支配人は、HKT48は始まったばかりで、「1人も入らなくていい」と言っていた

この頃は、さくちゃんは自分の魅力にあまり自覚がなかったのではないだろうか

・総選挙後、さくらは鹿児島の実家に帰った

 久しぶりの家族の夕食には、父の手料理が並んでいた
 父の得意なスンドュブチゲ(純豆腐鍋)
 辛いものが苦手なさくらのために、はちみつ入りの特製鍋
 中学受験のときは、父は先生になって、仕事に疲れていても、遅くまで勉強を教えてくれました
「HKTを頑張るか、勉強を頑張るかどっちかにしてほしい」
「どっちもやりたい。どっちも中途半端にしたくない
 だから両方とも頑張りたい」(「あなたがいてくれたから」朝日新聞出版)


2012年6月16日、指原莉乃がAKB48のチームAからHKT48への移籍が発表された

秋元氏の発言より
「指原莉乃の「不屈の精神」、「何があってもあきらめない気持ち」は、AKBのメンバーとして模範となるものです
この強さを後輩に伝えて欲しいと思い、結成して間もないHKT48に移籍させることにしました
指原莉乃に新たな挑戦をさせたかったこと
若いHKT48のメンバーの刺激になればいいと
そのうちにグループ最強のHKT48を率いてやって来るかもしれません」

今まで、お手本となる人が上にいなかったのはマイナスだったし、さっしーが来ることで、そういう存在になってもらえるかもしれない
当時のHKT48は、毎日の公演で慣れが出てきていたし、ただ仲がいいだけのなれ合いグループになっていて、何も進歩してなかったから」(ちーちゃん)

「さっしーが入ってくることに関しては、私は楽しみでした」(さくら)

指原莉乃の移籍は左遷ではなく、チャンスだった

・2012年7月5日、さっしーがチームHとして劇場公演デビュー
 さっしーは、メンバーが3か月ぐらいかかった「手をつなぎながら」公演のダンスを3日間で覚えてきた

 さっしーに一番最初に話しかけたのは、村重杏奈だった
「村重が一番最初にさっしーを打ち解けさせてあげようと思ってました」(むらしげ)

さっしーには、HKT48の問題点が見えていた

 一番大きかったのは、MCが下手だったこと
 MCで話すことをフリートークではなく、台本のセリフのように全部前もって決めて、練習していた
 だからおもしろくなかった
「お題だけ決めてあとは何も考えなくていいから」というさっしーのアドバイスで、うまくいくようになった