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おっちゃんの世界史の栞 28 (5)朝鮮の歴史 古代朝鮮 2 高句麗

2011-05-29 12:27:37 | HKT48 AKB48
(5)朝鮮の歴史 古代朝鮮 2 高句麗

★楽浪郡(ナンナングン)の設置

・武帝が設置した四つの郡は、衛氏朝鮮の故地を中心にした楽浪郡(ナンナングン)、
衛氏朝鮮国に服属していた臨屯国、真番国の故地を中心にした臨屯郡(イムドングン)、
真番郡(チンボングン)、と玄菟郡(ヒョンドグン)である
・ただしこれらは、それぞれが境を接するかたちで設置されたのではなく、朝鮮半島北半の全域が、漢の直轄領となったわけではない

・前82年、真番郡と臨屯郡が廃止された
・前75年、玄菟郡の本拠地を西北方に移動させた
・結局、朝鮮半島には楽浪郡だけが残ることになった
・その後、中国の楽浪郡による朝鮮半島に対する支配は、前漢の衰退とともに衰える

★帯方郡(テバングン)の設置

・後漢末、遼東地方に勢力を持った公孫度が、玄菟のほか、楽浪郡をも支配するようになった
・公孫度のあとをついだ公孫康が、204年ごろに帯方郡(テバングン)を設置した
・あらたな領土獲得ではなく、楽浪郡を二つにわけて、その南方に帯方郡を設置したのである

・228年、公孫淵が即位する頃は、魏・呉・蜀の三王朝並立時代となる

・238年、魏によって、公孫氏は滅ぼされ、楽浪郡、帯方郡は魏の領土となるが東方への窓口として機能していく

・邪馬台国の女王、卑弥呼の使者も、帯方郡を経由して中国入りすることになる

・313年、楽浪郡、帯方郡は高句麗によって滅ぼされた

★高句麗の始祖伝説

・高句麗(コグリョ)の始祖を朱蒙(チュモン)という

◎朱蒙

・朱蒙とは東扶余あたりの方言で、「弓の上手な者」という意味

・「三国遺事」「高句麗」の条に記された高句麗建国神話は次のような内容である

・河の神河伯の娘・柳花(ユファ)は、天帝の子・解慕漱(ヘモス)と出会って結ばれるが、父母の許しなく結婚したため、東扶余へ流される。東扶余王の金蛙(クマ)の所へたどり着いた娘は、身ごもって大きな1個の卵を産んだ。…やがて1人の子供が卵の殻をやぶって出てきた
・顔立ち、体格は優れ、知恵もあり、わずか7歳にして1人で弓を造り、矢を射れば百発百中、外すことがなかった。その国の風俗で、よく弓を射る者を朱蒙といったので、それを名前とした
・金蛙の息子たちは弓や馬術の上手い朱蒙に嫉妬して殺そうとするが、朱蒙は母の助言でいち早く逃げ出し、やがて卒本州(チョルボンジュ)に至って、そこで高句麗を建てた(紀元前37年という)

・後代にいたると、扶余の東明伝説と結びつき、「始祖は東明聖王であり、諱(いみな)は朱蒙である」とされ、ついには「朱蒙は檀君の子である」とさえいわれた

◎国内城(クンネソン)

・3世紀初め頃、高句麗は根拠地を卒本州から集安市(中国吉林省)の国内城に移した
・集安市は、第20代の王、長寿王が都を平壌に遷都するまで、高句麗の都だった

・前220年、後漢が滅亡し、中国は三国時代・五胡十六国時代を迎える

・313年、高句麗は楽浪郡と帯方郡を滅ぼして、朝鮮半島から中国勢力を退けることに成功する

・故国原王(第16代)は、369年に百済を攻めたが敗れ、さらに371年、平壌まで進撃されて、故国原王は戦死した

・第17代の王、小獣林王(ソスリムワン)は国家体制の立て直しと中国との関係修復に力を注ぐ
・前秦から僧・順道が仏像・経文を伝え、375年には、肖門寺、伊弗蘭寺(イブルランサ)が建立されるなど、仏教を受け入れた
・国家の教育機関として太学が設けられた

◎広開土王(クワンゲトワン)

・391年、広開土王(第19代)が即位した
・広開土王の幼名は「談徳」、即位してから「永楽太王」の名があり、「広開土王」や「好太王」は死後のものである

・広開土王とは「広く領土を開いた王」という意味で、高句麗の領土を広く拡大した

◎長寿王(チャンスワン)

・広開土王の息子、長寿王は都を平壌に遷都(427年)し、高句麗最大の領土を築き上げた
・長寿王は中国の北朝(北魏)と南朝(宋)の両王朝に使者を送り、中国との安定した関係を保つことに腐心した

・6世紀中頃には、新羅が台頭する

・589年、中国が随によって統一された

◎曇徴

・随との戦争が目前に迫った高句麗が、日本に軍事援助を求め、その代償として、610年、曇徴・法定の2名の僧侶を日本に派遣した

・曇徴は、儒教の五経(詩経・書経・易経・春秋・礼記)を伝授し、彩色(絵の具)や紙・墨の製法、碾磑(てんがい)(水力で動かす臼)の製法を伝えた

・曇徴のもたらした彩色は、のちに仏像などの塗装に使用される
・紙・墨の製法は、写経などの需要を満たすこととなる

・法隆寺金堂壁画は曇徴が描いたものと伝えられている

★聖徳太子の経典研究会

・615年、「法華経義疏」が公表された
・聖徳太子の主宰により、高句麗僧の恵慈をはじめ渡来系僧侶たちと、定期的に仏教経典の研究会が開かれていたが、その成果の一部として法華経の注釈書「法華経義疏」が約1年余の短期間でまとめられ、公表された

・研究会は、重要メンバーの恵慈が帰国することになり抜けたことにより、事実上解散となる

★三経義疏

共同研究の成果は聖徳太子個人の仕事として「三経義疏」といわれるようになる


おっちゃんの世界史の栞 27 (5)朝鮮の歴史 古代朝鮮 1

2011-05-03 12:49:07 | HKT48 AKB48
(5)朝鮮の歴史 古代朝鮮 1

★朝鮮の行政区画

◎1948年8月15日 南部に「大韓民国(韓国)」が成立した
◎1948年9月9日 北部に「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」が成立した

・韓国は首都のソウル(「ソウル」は新羅語で王都を意味するソラボル、ソナボルなどからとられた言葉で、漢字におきかえられない)を「特別市」とし、そのほかの大都市については「広域市」と命名する
・これ以外の地域は、「道」制によって区画される
・京畿道(キョンギド)、忠清南道(チュンチョンナムド)、忠清北道(チュンチョンブクド)、慶尚南道(キョンサンナムド)、慶尚北道(キョンサンブクド)、全羅南道(チョルラナムド)、全羅北道(チョルラブクド)、江原道(カンウォンド)、済州道(チェジュド)の9道からなる

・北朝鮮は首都のピョンヤンを「特別市」とし、そのほかの大都市については「直轄市」と命名する
・これ以外の地域は、「道」制によって区画される
・黄海南道(ファンへナムド)、黄海北道(ファンへブクド)、江原道(カンウォンド)、咸鏡南道(ハムギョンナムド)、咸鏡北道(ハムギョンブクド)、平安南道(ピョンアンナムド)、平安北道(ピョンアンブクド)、慈江道(チャガンド)、両江道(リャンガンド)の9道からなる

◎「道」制は15世紀初頭、朝鮮王朝の成立にいたって完成した
・当時は、京畿道、忠清道、慶尚道、全羅道、黄海道、江原道、咸鏡道、平安道の八道(パルド)であった
・「八道」は朝鮮を意味する愛称となった
・八道は、現行の17「道」制にいたっている

・各「道」はいくつかの「郡」からなる
・各「郡」はいくつかの「邑(ゆう)」や「面」からなる
・邑や面の下に「里」や「洞」がある

★朝鮮史上の3つの流れ

〈1〉濊(イェ)、狛(パク)、沃沮(オクチョ)、や高句麗(コグリョ)、扶余(プヨ)、渤海(バレ)の北方系列
・渤海は高句麗滅亡後、698年に建国された

〈2〉三韓(馬韓(マハン)、辰韓(チナン)、弁韓(ピョナン))や百済(ペクチェ)、新羅(シルラ)の南方系列
・660年、新羅が唐と連合して、百済を滅亡させた
・668年、新羅が唐と連合して高句麗を滅ぼし、684年、新羅が三国統一を完成

〈3〉高麗(コリョ)の西方系列
・918年、王建が高麗を建国した

◎朝鮮の建国

・李成桂(太祖(テジョ))は高麗王朝を倒し、1392年、王位についた(このときの国号は高麗を踏襲した)
・1393年、国号を「朝鮮」と定めた(「朝鮮」と「和寧」の2つの候補を明に打診し、明が「朝鮮」を由緒あるものとして勧めた)
・1394年、漢陽(現ソウル)に遷都し、漢城(ハンソン)と改称


[1]古朝鮮(コチョソン)

・「檀君朝鮮(タングンチョソン)」から「箕子朝鮮(キジャチョソン)」、「衛氏朝鮮(ウイシチョソン)」までを「古朝鮮」という

・「檀君朝鮮」と「箕子朝鮮」は伝説の域を出ない王朝である
・「衛氏朝鮮」は衛満が建国(紀元前195年頃)し、紀元前108年に中国の前漢に滅ぼされるまで実在した

★檀君の建国神話

・檀君は朝鮮民族の始祖であると信じられている
・朝鮮の建国神話である「檀君神話」によると、朝鮮は紀元前2333年に檀君によって建国されたことになっている

・ソウルの旧市街の鍾路区社稷洞に社稷壇(サジクタン)という施設があり、その後方に「檀君」を祀っている「檀君聖殿」という祠堂がある

・1280年代に高麗の僧、一然(イリョン)が著した「三国遺事」に、次のような檀君神話の内容が記されている

・天神桓因(ファニン)の子桓雄(ファヌン)が人間世界を治めたいと、太伯山の頂きの神檀樹のもとに降下し、桓雄天王となり人々を教化した
・ある時、熊と虎が桓雄に「人間になりたい」と願い出た。桓雄は霊妙なヨモギ一握りとニンニク20個を与え、「これを食べて100日の間、日の光を見なければ、すぐに人間になれるだろう」と言った
・虎は途中で修行を放棄したが、熊は修行を終えて人間の女になった
・女は子をほしがったが、相手がいなかったので、桓雄天王は女と結婚し、子が生まれた
・名前を檀君王倹といった
・檀君は平壌城を都とし国を開き、朝鮮と称した
・やがて都を白岳山の阿斯達に移し、1500年間治めたが、箕子が朝鮮に封じられたので、阿斯達の山神となった

★箕子朝鮮

・箕子は中国の殷の紂王の親戚であった人物で、司馬遷の「史記」によれば、周の武王が箕子を朝鮮王に封じたという
・中国人による箕子朝鮮伝説は、それを朝鮮支配の大義名分としたもので史実ではない

★衛氏朝鮮

・燕の武将であった衛満は、仕えていた燕王が前漢に背いたため身辺に危険が迫り、1000人余りの人々を引き連れて朝鮮半島に逃れた
・当時朝鮮の地には準王という王がいたが、衛満は準王を攻めて政権を握り、国を開いた
・衛満は前漢の外臣となるものの、周辺諸国を服属させて国土を拡大していった
・衛氏朝鮮の態度は武帝の逆鱗にふれ、紀元前108年に衛氏朝鮮は武帝に滅ぼされた

・前漢は、滅ぼした衛氏朝鮮の地に、「楽浪郡(ナンナングン)」など四つの郡を設置して、朝鮮半島の直接支配に乗り出した

☆太王四神記

・ペ・ヨンジュン主演の韓国歴史ファンタジードラマ「太王四神記」は、高句麗の第19代王・広開土王を主人公にしているが、フィクションとして作られている
・「太王四神記」の第1話の中に「檀君神話」の話が出てくるが、それは本来の「檀君神話」とは内容が違っている
・「太王四神記」のドラマでは、神ファヌンの転生がタムドク(広開土王)であり、虎族の長カジンの転生がスジニの姉キハであり、熊族の長セオの転生がスジニであるという設定になっている