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おっちゃんの世界史の栞 24 (3)古代ローマ世界 8 帝政ローマ/5

2011-01-10 12:35:07 | HKT48 AKB48
(3)古代ローマ世界 8 帝政ローマ/5

〔帝国の最盛期〕
◎「五賢帝」とアントニヌス朝 96~192年
◎193年の内乱
◎セウェルス朝 193~235年


◎セウェルス朝
☆セプティミウス・セウェルス帝 在位 193~211年
☆カラカラ帝 在位 211~217年
☆ゲタ帝 在位 211年
☆マクリヌス帝 在位 217~218年
☆エラガバルス帝 在位 218~222年
☆アレクサンデル・セウェルス帝 在位 222~235年


〈セプティミウス・セウェルス帝〉 在位 193~211年
・セプティミウス・セウェルス帝は、ローマ帝国初の北アフリカ出身のローマ皇帝だった
・セプティミウス・セウェルス帝はスコットランド征服を果たさぬまま、211年2月4日、ヨークで死んだ。
・セウェルス帝には、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(通称カラカラ)とプブリウス・セプティミウス・ゲタという2人の息子がいた。
・セウェルス帝自身は、おそらく帝位をカラカラにゆだねるつもりだったが、皇后ユリア・ドムナがゲタにも後継者の資格があるといって反対し、カラカラとゲタの兄弟は共治帝として即位した。

〈カラカラ帝〉 在位 211~217年
〈ゲタ帝〉 在位 211年


・カラカラの通称は、彼の愛用した「カラカラ」という頭巾つきの外套に由来する
・カラカラとゲタの兄弟の関係は悪く、211年12月、カラカラは弟ゲタを殺害し、単独皇帝となった
・カラカラ帝は、弟を支持していた人々を皆殺しにした。その数は2万人に達したという
・カラカラ帝は212年、「アントニヌス勅法」を発して、帝国内に住むすべての自由人にローマ市民権を与えた
・そのねらいは、相続税などの税収の増大にあった


★アレクサンドリアでの大虐殺
・カラカラ帝は215年12月にアレクサンドリアを訪れ、翌年の3月か4月まで滞在した
・なごやかに始まったアレクサンドリア訪問だったが、最後は数千人のアレクサンドリア市民に対する大虐殺で終わった。その原因はわかっていない。

★カラカラ浴場(アントニヌス浴場)
・216年、ローマ市南部のカペナ門外、アッピウス街道沿いにカラカラ帝が建設させていた公共浴場が完成した
・幅337m、奥行き333m、総面積11万㎡の敷地に25000㎡の浴場施設が建っていた
・プール、冷浴室、中央ホール、温浴室、熱浴室などが配置されていた
・屋外競技場、屋内体育場、図書室もあった
・共同浴場の収容能力は1000人を超えたという

★ローマ人の入浴
・入浴者は脱衣がすむとまず、発汗室(「テペダリウム」(温浴室)、「スダトリウム」、「ラコニウム」と言われた)に入る
・衣服は奴隷が見張った(盗難が多かった)
・次に入るのは湯浴の部屋で、「カルダリウム(熱浴室)」とよばれた
・カルダリウムには個人用(「ソリウム」)や集団入浴用(「ラブルム」)があった
・3番目は冷浴室(「フリギダリウム」)に入る
・冷水浴のあと、「デストリクタリウム」(肌かき器で体を擦る部屋)または「ウンクタリウム」(塗油やマッサージをしてもらう部屋)で、さもなければ発汗室に戻って服を着た
・共同浴場では床下暖房がなされていたという
・最初のうちは、男女は別々に浴場に通った
 女性専用の施設が造られていることもあれば、男女別に入浴時間が定められている場合もあった
・男女の混浴はカラカラ帝に時代に始まったという


・カラカラ帝は217年4月8日メソポタミア北部のカッラエで、暗殺された
・親衛隊長のマクリヌスが首謀者で、刺客は宮廷近衛兵のマルティアリスだった

〈マクリヌス帝〉 在位 217~218年
・カラカラ帝には子どもがいなかったし、後継者も指名されていなかったため、マクリヌスが帝位につくことになった
・セウェルス帝の妻ユリア・ドムナにユリア・マエサという妹がいた
・マエサは孫のエラガバルスを皇帝に擁立することに決めた
・218年マクリヌスは捕らえられ殺された

〈エラガバルス帝〉 在位 218~222年
・218年、エラガバルスは14歳の少年で太陽神を崇拝する祭祀長だったという
・エラガバルス帝は女装趣味で、肉体的にも女になりたがった
・222年、エラガバルスは母ともども殺された

〈アレクサンデル・セウェルス帝〉 在位 222~235年
・エラガバルスの死後、エラガバルスの従弟のアレクサンデル・セウェルスが帝位についた
・227年ササン家のアルダシール1世が戴冠し、ササン朝ペルシア帝国が成立した
・アルダシールは230年、メソポタミア北部のローマの属州を襲い、ニシビス、カッラエを掌握した
・231年アレクサンデル帝は出陣した
・235年アレクサンデル帝は母ユリア・ママエアとともに軍隊の手で殺害され、軍人マクシミヌス・トラクスが帝位につく
・これ以後、「軍人皇帝の時代」に入る