ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎イスラーム 28 アラビア科学 数学 4

2016-01-21 23:34:23 | アラビア科学
イスラーム 28 アラビア科学 数学 4

アラビア科学 数学 4 3角法

・おもに「非ヨーロッパ起源の数学」(ジョージ・G・ジョーゼフ、講談社)によります

○アラビアの3角法の直接の源はインドであるが、3角法の最古のものはバビロニアに由来すると思われる弦の幾何学で、プトレマイオスの「アルマゲスト」の中で示された3角法が2番目である


インドの3角法

・アレクサンドリアで、ヒッパルコス、メネラオス、プトレマイオスなどの天文学者によって3角法の基礎が築かれ、インドに伝えられた
 インド天文学は当時の最先端の天文学であり、3角法は天文学に必要な1分野だった

○インドの数学者らは3角関数の研究に半弦を用いていた

 半弦はジュヤアルダ(jyardha)として知られていたが、後、縮められてジュヤ(jya)またはジーバ(jiva)となり、インドの正弦となった

 jivaがアラビアに入ったとき、アラビア語の母音省略のルールによってjibと書かれていたが、チェスターのロバートが、それをjaib(ジャイブ)だと思い込んでしまった
 ジャイブは12世紀にラテン語のsinus(シーナス)に訳された
 sinusが現在のsin(サイン)となった


○アールヤバタ(476年生まれ)の「アールヤバティーヤ」

 古い天文書「シッダーンタ」の結果を修正して体系化したもの
 数学を扱った第2章には、1次方程式、2次方程式、1次不定方程式などが含まれている
 第2章で、半弦表を用いた計算によって3角法を導入している

 アールヤバタは円周率の近似値として3.1416(62832/20000)を用いた

○この3.1416という円周率の近似値について

 数学者のファン・デル・ヴェルデンによると、3.1416という円周率の近似値を求めたのは、アルキメデスの時代のベルゲのアポロニオス(200年ころ)である
 アールヤバタは、この円周率の近似値をアポロニオスから受け継いだ(「古代文明の数学」、ファン・デル・ヴェルデン、日本評論社)


○ヴァラーハミヒラ(505~587年頃)の「スールヤ・シッダーンタ」
 3角法についての解説がある
 3角法の3個の関数ジュヤ(半弦、またはインドの正弦)、コジュヤ(余弦)、ウトゥクラマジュヤ(正接)が与えられている
 正弦は半径1の円の中心角xに対する弦の長さであった
 その半分、半弦の長さが現代での正弦sin xに相当する

○ブラフマグプタ(598年生まれ)の「ブラフマースプタ・シッダーンタ」
 正弦表で与えられている角度の中間にあたる角度の正弦を得る方法を述べた

○バースカラ1世(600年頃)の「マハー・バースカリヤ」
 数表を使わないで鋭角のインド正弦を計算する近似式を与えている

○マーダヴァ(1340~1425年頃)
 マーダヴァは3角関数の無限級数を、ニュートンより約300年前に発見したかもしれない

 正弦級数および余弦級数が初めてヨーロッパに現れたのは、1676年に王立協会総裁オルデンバーグにニュートンが出した手紙の中である

 マーダヴァの正弦級数および余弦級数は、天文計算用の精度の高い正弦・余弦表を作るために用いられたのであろう


アラビアの3角法

・3角関数がアラビアに伝えられたのは、8世紀にアッバース朝(749~1258年)の第2代カリフ アル・マンスールの宮廷を訪れたインドの使節団がもたらした天文書によるとされている

1 正弦、余弦、正接、余接、正割、余割の6個の基本的な3角関数の導入

 正接(tan)と余接(cot)の起源はアラビアである
 タンジェント(tan)をつけ加えたのは、9世紀のアラビアの天文学者アル・ハースィブである

2 正弦公式の導出
 現代版の正弦公式はナッスィール・アッ・ディーン・アッ・トゥースィーに帰するとされている

3 補間法による3角関数表の作成
 アラビアの天文学者は天文計算のために、インドの正弦表より精密な正弦表の必要性を感じるようになる
 アル・ハースィブ(850頃)は1度の間隔で、10進法で5位まで正確な正弦表と正接表を作った

○15世紀になるとアル・カーシーは「弦と正弦についての研究」の中で、反復法を用いて3次方程式を解くことによってsin1°の精密な値を得る問題に取り組んだ
 アル・カーシーはsin1°を10進法で16けたまで正しく計算した

◎イスラーム 27 アラビア科学 数学 3

2016-01-20 22:06:33 | アラビア科学
イスラーム 27 アラビア科学 数学 3

アラビア科学 数学 3 幾何学

・おもに「非ヨーロッパ起源の数学」(ジョージ・G・ジョーゼフ、講談社)、「アラビア科学の話」(矢島祐利、岩波新書)によります

○サービト・イブン・クッラによるピタゴラスの定理の一般化
・ピタゴラスの定理を、直角3角形だけではなく、すべての3角形に適用できるように一般化することを試みた

○イブラヒム・イブン・スィーナン(908/9-946)
・サービト・イブン・クッラの孫
・「3種の円錐曲線の描き方」に放物線、双曲線や楕円の作図法が載っている

○アブル・ワファー(940-997/8)
・バグダードのシャラフ・アッ・ダウラの天文台で活躍した、天文学者・数学者
・「職人に必要な幾何学の部門」に直角定規とコンパスだけで描ける幾何学模様の作図法が載っている


★エウクレイデスの「原論」の翻訳

8世紀から9世紀にかけてギリシア語からアラビア語への翻訳
○アル・ハッジャージ・イブン・ユースフ
 ハールーン・アッ・ラシードの時代に訳し、アル・マムーンの時代に改訳している(第6巻まで)

○イスハーク・イブン・フナイン
 別の巻を訳し、後にサービト・イブン・クッラが校訂した(イスハーク-サービト版)

○ナジーフ・イブン・ユムンが10世紀後半に第10巻を訳し
 アブー・ジャハル・アル・ハージンが第10巻の注釈を書いている

○アブー・ウトマーンも第10巻を訳し、アレキサンドリアのパッポスがつけた第10巻の注釈をアラビア語に訳した

◎イスラーム 26 アラビア科学 数学 2

2016-01-15 23:14:22 | アラビア科学
イスラーム 26 アラビア科学 数学 2

アラビア科学 数学 2 代数学

・おもに「非ヨーロッパ起源の数学」(ジョージ・G・ジョーゼフ、講談社)、「アラビア科学の話」(矢島祐利、岩波新書)、「イスラームの歴史1」(ジョン・エスポジト、共同通信社)によります



アル・フワーリズミー(ムハムマド・イブン・ムーサー・アル・フワーリズミー)

 780年頃に生まれ、850年頃に亡くなった
 フワーリズミーは彼か彼の家系がフワーリズム(現在ではウズベクとトルクメンに属するホラズム地方)の出身であることを示している
 メルヴで占星術師?として有名になっていたアル・フワーリズミーは820年頃にアッバース朝第7代カリフ アル・マームーンに招かれてバグダッドに移り住み、「知恵の館」で最初は天文学者となり、後には図書館長にも任じられた

●「キターブ・アル・ムフタサル・フィ・ヒサーブ・アル・ジャブル・ワ・ル・ムカーバラ」(ジャブルとムカーバラの計算の抜書き)

・アラビアでの代数学の出発点となった書で、「アル・ジャブル」のラテン語訳にalgebra(アルゲブラ)という言葉が使われ、英語のアルジェブラ(代数学)になった

・アル・フワーリズミーはこの書で、あらゆるタイプの1次方程式と2次方程式を解く理論を提示しようとした

・「ジャブル」とは、今でいう「移項」である
「ムカバラ」とは、同類項を消去することを指す

・アラビア語で「根」にあたるjadhr(ジャズル)またはjidhr(ジズル)は、アル・フワーリズミーによって方程式の未知数を示すために用いられた

・アル・フワーリズミーはまた、2次方程式の幾何学的な解法を与えている

 もう1つのアル・フワーリズミーの書として
○「アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム」(インド数字による計算法)
・10進記数法による算術計算を紹介したもの

・現在アルゴリズムは計算一般や解を求めるための一定の手順を表わす語として使われている



サービト・イブン・クッラ(836頃-901)
 エウクレイデスの「原論」、アルキメデスの著作、アポロニオスの「円錐曲線」の一部、プトレマイオスの「アルマゲスト」などをアラビア語に訳した
 「代数問題についての正しい幾何学解」の中で、2次方程式の幾何学的な証明を与えた

オマール・ハイヤーム(1048-1131)

 2次方程式を解く一般的方法を与えた

 3次方程式の幾何学的解法を与えた
 実根をもつ3次方程式を2つの円錐曲線の交点をもちいて解いた

 補助曲線と幾何学的図形をつかって3次方程式を解くハイヤームの方法は、フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596-1650)のものではない

○シャラフッディーン・トゥースィー(1135以前-1213頃)

 史上初めて代数式の最大値という概念を考え出した

 この概念は、誤ってフランスの数学者フランソワ・ヴィエト(1540-1603)のものとされる

 トゥースィーは「微分係数」という言葉に相当するアラビア語は使わなかったが、微分係数がゼロに等しくなる変数xの値を計算することによって、3次関数が最大値をとるような値を求めた

◎イスラーム 25 アラビア科学 数学 1

2016-01-12 23:09:09 | アラビア科学
イスラーム 25 アラビア科学 数学 1

アラビア科学 数学 1

・おもに「非ヨーロッパ起源の数学」(ジョージ・G・ジョーゼフ、講談社)によります


インド・アラビア数字

○アラビア数字の便利さ
 ローマ数字などでは、10とか100とか大きい数を表すのに、次々と新しい記号が必要になる

○インド記数法
 1から9までの9つの記号(インド数字)とゼロ(0)の記号(アラビア語でシフルと呼ばれる)による位取り記数法によって、どんな大きな数でも表わすことができる
 インドのゼロ記号は、今の0のような丸ではなく、点(・)であった

○インド数字がアラビアへ入ったいきさつ
・8世紀後半、アッバース朝の第2代カリフ アル・マンスールの宮廷を訪れた北インドの外交使節団のメンバーだったカンカフという天文学者が、「スールヤ・シッダーンタ」や「ブラフマースプタ・シッダーンタ」という天文書を紹介した時だという
 アル・マンスールはこれをアラビア語に訳すことを命じ、天文学者アル・ファザーリが翻訳し「シンドヒンド」と呼ぶようになった天文書が生まれた

・また、イブン・スィーナー(980~1037頃)によると、イブン・スィーナーが10歳くらいの頃、出生地のブハラにエジプトからイスラームの布教団が訪れて、そのメンバーから「インドの計算」を学んだことになっている

○インド数字の形は年代や場所によって変わっている
 インド数字が西欧に入ったのは12世紀以後のようであり、アラビア数字と呼ばれるようになった

 アラビア数字の形も変化している
 西アラビア数字(グバール数字)と東アラビア数字の2種類の数字があって、西アラビア数字が変化していって現代の形になったようである
 15世紀の数学書になるとアラビア数字は現代の形になっている

 ローマ数字がアラビア数字に代わるまでには幾多の曲折があった
 その理由の1つは、アラビア数字はローマ数字に比べて改ざんされやすい(0を終わりにつけ足したり、0を6や9に変えるなど)ことである

●算術計算
・アラビアで系統的な算術計算が初めて現れたのはアル・フワーリズミーの「インド数字による計算法」の中で、位取り法と加減乗除の算術計算が述べられている

●10進小数
・整数と分数を区別するための記号や仕組みを最初に考え出したのはアラビア人だった

・10進小数が初めて体系化してアラビアの数学に現れたのは、アル・ウクリーディスリーの「インド式計算についての諸章から成る本」(952年)の中である

○アル・ウクリーディスリーは紙とペンによる計算を唱えた
 それまでは、砂や塵を乗せた板の上で計算していたので、途中の段階が次々と消されてしまうという欠点があった