ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎間宮羊羹

2016-01-04 23:09:23 | グルメ
間宮羊羹

海軍の給糧艦「間宮」の羊羹(「日本補助艦艇物語」福井静夫、光人社、「絶品!海軍グルメ物語」平間洋一・高森直史・齋藤義朗、新人物文庫 より)

○海軍を支援する任務を持つのが「特務艦」であり、米海軍は「補助艦」と呼ぶ

○連合艦隊には数隻の特務艦(運送艦)が従い、給油、給糧任務につくほか、訓練では想定敵艦となる
 北米、南方よりの重油輸送、患者輸送にもついた
○特務艦の主体は運送艦で、やがて主体は給油艦になった

○特務艦には
 工作艦 「朝日」「明石」 艦艇を修理
 運送艦…給炭艦、給油艦、給糧艦
 砕氷艦
 測量艦
 標的艦
 運用術練習艦
 がある

給糧艦「間宮」
 給糧艦は運送艦に属し、食料を艦隊に供給する機能をもつ
 「間宮」は八八艦隊の給油艦として計画されたが、当時の海軍には連合艦隊随伴用の給糧艦がなく、その必要性が痛感されたので、計画が変更されて給糧艦となり、大正13年(1924年)7月に神戸川崎造船所で竣工した

○「間宮」には、冷蔵庫や冷凍庫のほか、菓子生産室、製あん所などがあり、最中、羊羹、饅頭、アイスクリーム、ラムネ、豆腐、こんにゃくなどを製造できた
 艦には、菓子、豆腐、こんにゃくなどを製造する専門職人が多数乗っていた

「間宮羊羹」
 いちばん人気があったのは羊羹で、「間宮」が艦艇に近づいてくると、各艦艇の主計長が数名の主計科員を伴って、「間宮」に駆け上がって先陣争いをする
 「間宮」の羊羹はすぐ品切れになる
 羊羹を持ち帰らなかったら面子がたたない
 1流の和菓子職人が採算度外視で作るので、たいそううまかったという
 1日、最大12000本の製造能力があった
 また、最中は1日6万個の製造能力があったという

○「間宮」は昭和19年12月21日、マニラ北方480マイルの海域で、米潜水艦「シーライオン」の魚雷攻撃を受けて沈没した


桜が目の前で咲いた

・昭和18年3月下旬のこと、徳山の国防婦人会から「届けてもらえませんか」とつぼみをつけた桜の木を慰問品として預かった
 角本主計長はそれを「間宮」の大きな冷蔵庫の一角に入れておいた
 トラック島に着いて、停泊している艦隊司令部に届けると、目の前でまたたく間にさくらが開花した