城郭 長谷川博美 基本記録

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令和4年長浜新春特別歴史講演「小谷城/浅井氏/西浅井/塩津谷/熊谷氏」

2022-01-15 03:20:00 | 講演予定
衝撃 城郭ビイスタ論 上文字クリック
 
◆常識様
新聞配達の人は、配達する家の場所や順序
を知ってます。だから新聞配達員と言える。
 
◆対談者
新聞配達の人も牛乳配達の人も確実に地理
を知っているから正常な配達業務が出来る。
 
◆矛盾様
世の中とは、配達先も地理も全く知らない
人が新聞牛乳配達論と題して論説する訳よ。
 
◆一般者
新聞配達の人も牛乳配達人も、各戸の玄関
が何処にあり配達する場所を知っいて確実!
 
◆みんな
城や砦がどのように分布しているか知りた
い、城の入口が何処か?知ってる事が基本!
 
◆反論者
ふん!9カ所もの砦や18カ所もの城塞の跡を
知る必要などない!歴史とは現実や真実など
を無視する学門分野だ!真実や現実をなど知
って何になる?青い事を言う正論などが通用
すと思うなよ!学門は受験勉強に合格する事!
 
◆一般様
いいえ現代の様々な宅配業務は地理や宅地
の配置を知りナビを駆使するから隆盛した。
地理を知り現実行動しなければ実践でない。
 
▼塩津 岩熊城山 山頂土塁 現実は足元に残っている。
▼西浅井山城の横堀の迫力 現実は荒涼たる原野の中
 
令和4年長浜新春特別歴史講演
「小谷城/浅井氏/西浅井/塩津谷/熊谷氏」
 
◆哲学者のメール
Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する
感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶと
きに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者
であるアルキメデスが叫んだとされる言葉です。
長谷川先生の学門の世界はギリシャのエウレカ
や東洋の悟り、仏教の大悟、に相当するものが
ある「悟」と言う漢字の意味は「心」の「吾」で
自分が会得し理解すると言う意味です長谷川
先生の城郭見学や城郭ビイスタ論には悟りや、
気付きや、大悟が存在する小賢しき表層知識
の網羅羅列でない、歴史城郭の根本要諦です!
 
 
◆対談者
令和4年1月15日の長浜臨湖での長谷川先生の
歴史城郭講演大変、巷間で話題になってます!
講演内容は室町戦国時歴史城郭フアン必須と
もう私のところにも講演内容の問い合わせが
次々に入って来ています。有意義かつ特別な
歴史講演が展開される事を私達本格歴史城郭
フアンは期待しております。15日の講演内容
を是非ともお知らせ下さい!長谷川先生の事
ですから神社史、交通史、民俗学、考古学、
城郭分布調査の実績など幅広い総合歴史観に
基ずいた非常に興味の深い内容にりますね!
 
◆質問者
城郭分布布陣配置は歴史城郭の根本で基本!
9城が塩津谷に存在する意味とはなんですか?
 
◆対談者
現代企業で言うと9カ所の事業所や営業所や
会社や力のある企業の塩津熊谷氏と言う事。
物流会社「日通」こと日本通運の前身組織
も塩津に存在したと言う事ですから令和で
言うところの塩津港はロジステック日本海
物流の発祥の地メッカとも言える重要な地
その塩津に存在するめくりめく多数の城郭
遺跡を一挙に講演で解説しようと企図され
る事自体もう澁澤栄一と同じ壮烈な気概!
 
◆質問者
滋賀県北部、北近江の室町時代の殿様達のラン
キングを的確に表現している文献資料とは何?
 
◆長谷川 『浅井備前守饗応記』ですよ!
中世の北近江「広域長浜地域」でも冠婚葬祭に
おいて各自が着座する席次は家柄の伝統的格式
基づいて着座する席次が決められておりました。
中世史を研究する上で熊谷氏は北近江守護職の
京極氏に次ぐ隠然とした武家勢力であった事で
す。塩津熊谷氏の拠点城郭群を把握する事とは?
北近江「長浜市、米原市、彦根市」の室町時代
の武家勢力の範囲や動向や勢力の変遷を垣間見
る貴重な資料と言えます。当時の武士ランキング
武家社会の社会的階層位置を冷静に知る資料です。
 
◆長谷川
ここで注目すべきは『饗応記』席次第13位の
戦国大名近江浅井氏三代の初代、浅井亮政が
現代の貨幣価格で言う数千万円に相当する財
力をこの饗応に費やしている事自体が下剋上
の風雲に乗って台頭する戦国大名と室町依頼
の封建社会の様相をこの『饗応記』が浮き彫
にしている事を読み取るべきです。『饗応』
に用いられた当時としては高級食材海産物
を日本海側の越前から、内陸部の浅井勢力は
準備しなければなりません。戦国大名浅井氏
が北近江に台頭出来たのは、国人と呼ばれる
複数の土豪層を支配していた国人一揆の頭目
リダーとなりまた浅井氏滅亡の根源となった
財力は北陸越前に100年の王国を営々と営んで
きた朝倉氏の北陸海産物の北近江供給という
ロジステックな物流経済の盟主こそが越前の
朝倉氏と言う事も読めて来ます。『饗応記』
の海産物の御馳走は一切北近江では採れません
今でも北近江の祭礼で「焼鯖サバと保存食素麺」
を融合させて「鯖素麺」が存在する事は北近江
が北陸物流経済の残影を継承しているとも言え
ます。一方浅井が越前北陸の海産物流を朝倉氏
とともにロジステックに支配したがもう一つの
重要な湖「うみの道」琵琶湖湖上交通つまりは
北陸敦賀ー湖北塩津ー琵琶湖水運ー大津京師と
繫がる湖上交通の要を押えていたのは西浅井の
塩津谷に割拠し塩津港を押えていた熊谷氏支配
に属する数多くの塩津谷に厳然と残る塩津の城
の城郭分布を考慮せずは北近江の戦国史しいて
は現在広域合併して長浜市として再び編入され
た塩津の城郭群の分布を知る事が新しき長浜市
としての広域歴史解釈へと繫がると確信します。
つまり塩津だけで講演する事より現代長浜市の
全体として東浅井郡や西浅井町を再認識する事。
 
▼長浜臨湖 地図アクセス
▼長浜臨湖 正面玄関
▼予約受付 先 ウッデイパル余呉城郭係 0749-86-4145 火曜休業
▼西浅井の山城の巨大な横堀
 
 
□統轄予約先 窓口 ☎0749-86-4145
 ウッデイパル余呉城郭係り「火曜休業」
 
□日時 令和4年1月15日 土曜日
    講演開始 午後13時 約1時間30分
 
□講演場所 
 滋賀県長浜市港町4-9「無料駐車場あり」
セミナー&カルチャーセンター臨湖│長浜
 
□交通アクセス
電車 JR長浜駅より徒歩約10分余
車  長浜ICより約10分 長浜港
   琵琶湖湖周道路長浜城を目印
  
□参加費 500円
 
□講師 元滋賀県中世城郭浅井郡伊香郡分布現地調査員
    滋賀民俗学会理事 北近江歴史研究会会長
    長谷川博美(米原市在住/長浜市出身)
 
□講師履歴 
    もと
    NHK名古屋文化センター歴史城郭講師
    NHK岐阜文化センター歴史城郭 講師
    米原市近江公民館『信長公記』講師
    現
    ウッデイパル城郭フオーラム講歴史城郭師
    米原まなびあいステーシヨン城郭講座講師
 
□講演プログラム概略
 
1 旧浅井郡塩津の歴史背景「現長浜市」
  浅井郡の延喜式内社の存在と交通史
  万葉集に登場する塩津の世界
  塩津浜遺跡の存在意義と海運交通史
  平清盛小松重盛深坂峠開削工事
  『太平記』に登場する塩津熊谷氏
  (交通歴史)
 
2 近江浅井三代初代亮政
 『浅井備前守饗応記』の意義について
  (中世社会史/)
 
3 上記饗応記席次№3の熊谷下野守の事
  (中世塩津谷本舗地頭の系譜と階層)
 
4『菅浦文書』に登場する塩津勢の事
  (文献史学的考察)
 
5 足利義輝/義昭の幕臣和田惟政の甲賀七城
  本補地頭/塩津熊谷氏の塩津谷九か所の城
  (城郭分布/比較研究論)
 
6 地誌に登場する琵琶岸の熊谷氏について
  塩津の熊谷氏「長浜市塩津熊谷氏」
  今西の熊谷氏「長浜市今西熊谷氏」
  南浜の熊谷氏「長浜市南浜」
  以上は江北の三熊谷とも呼ばれる。
 
7 福井県敦賀市疋壇城攻めした近江熊谷氏
  福井県敦賀市疋田サラの山城の丹羽長秀
 
8 塩津谷9カ所の城郭分布について
 
  1 塩津浜城「塩津浜」
  2 城の坂城「祝山」
  3 城山城「岩熊」
  4 応昌寺砦「塩津中」
  5 西岡城「横波」
  6 若山城「集福寺」
  7 沓掛城「沓掛南城」下沓掛 
  8 沓掛城「沓掛西城」下沓掛 
  9 沓掛城「日沓東城」下沓掛 
  (中世城郭分布調査/地域郷土史)
 
9  塩津谷新規発見城塞群
  賎ケ岳合戦丹羽長秀の動向
  10 月出峠の砦「月出」
  11 蛇曲の砦「月出」
  12 西岡城 西砦「横波」
  13 横波越えの砦「横波/山門」
  14 殿山遺跡北尾根遺構「上沓掛」
  15 殿山遺跡北嶺城塞「上沓掛」
  16 殿山遺跡中嶺城塞「上沓掛」
  17 殿山遺跡南嶺城塞「上沓掛」
  18 追記「深坂峠/峠塞ぎ要塞遺構」「深坂」
  (新規城郭分布/新規城郭発見)
 
 
◆質問者
 長谷川先生は元西浅井中学校長の村上宣雄
   先生と交流があり我等、伊香郡の塩津浜の
 塩津浜歴史研究会様とも交流があり講演の
 場所は塩津地区の場所が相応しいと思う!
 
◆対談者
 長谷川先生の講演を希望されてる人々とは
 彦根長浜地域そして米原近江に居られます。
 またNHK名古屋や岐阜文化センター関係
 の東海地域の人々また京阪神に住まわれる
 長谷川先生支持者様もおられて西浅井地域
 に講演の場所を確保しても東海近畿方面の
 人には福井に近い塩津西近江に近い西浅井
 塩津への講演来訪は不便と解釈されたか?
 
◆浅井様
 素晴らしい歴史視点を持ち合わせられた
 歴史講演になると私は思います。東浅井
 郡に住んでいる私は浅井郡中心は現在の
 浅井を冠する地域がその中心と言う歴史
 誤認をしています『浅井備前守饗応記』
 の№3の饗応の席次の「熊谷下野守」が
 一体本来の歴史郡部「浅井郡」の何処の
 土豪なのか?浅井郡の地頭職なのか全く
 理解せずに『浅井備前守饗応記』を読ん
 いても全く解らないものなのです。浅井
 郡は現在の琵琶湖を挟んで西近江路にも
 現在一般に私達が認識している浅井地域
 も含む広大な高嶋郡と隣接する巨大領域
 の郡であった事を現代人は全く忘れてる
 古代浅井氏の氏寺と考えられる「浅井寺」
 湖北町今西近辺に存在した事や山本山を
 朝日山そして山麓を朝日村と呼んでいた
 事を完璧に忘れてしまっている巨大浅井
 郡の両翼の西に相当するのが西浅井です。
 東に相当するのが元東浅井郡の浅井地域
 と言う基本認識に立ち返って歴史を考え
 なおす事が現在の広域長浜市つまり旧の
 広大な浅井郡として歴史認識解釈する事
 こそが広域長浜市の歴史観として冷静な
 ものと考えております。之は長浜歴史!
 
◆長谷川
 私の考えを代弁して頂き感謝致します。
 『浅井備前守饗応記』の№3に席次に
 君臨する熊谷氏の塩津谷や琵琶湖岸に
 点在する拠点とは、一体何ぞやと言う 
 観点で熊谷氏の中世城郭の分布を考え
 直す。つまり№3の殿様だったらその
 地位相応しい城郭や城館を熊谷氏自体
 が数多く郷村統治支配として浅井郡の
 西部つまり西浅井、塩津方面に所持し
 ていたと中世史の世界観を認識する事。
◆歴史好き
 そんなアホな?何で海津大崎や大浦や
 塩津が浅井郡なんじや?何で長浜市や?
 
◆対談者
 冗談を言わないで下さい。元々大浦とは
 「浅井郡之内」古地図にかいてあるのよ。
 歴史好きの条件とは怒りではなく冷静さ!
 本当の歴史好きとは!
 冷静に史「ふみ」を読む事
 冷静に絵「地図」を読む事
 冷静に城「城郭」を見る事
 浅井郡と明確に書かれている!
 ▼
 
Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する
感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶと
きに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者
であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。
 

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2 コメント

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Unknown (竹林の七賢人)
2021-12-19 18:51:49
この講演は北近江の歴史城郭講演としては傑出した見逃せない必須聴講講演のプログラム内容かと思われます。2022年の初頭を飾るに相応しい重要な歴史城郭講演かと御推察申し上げます。私は彦根城や長浜城址も見学してこの歴史城郭講演も併せて北近江や琵琶湖も含めて満喫する予定です。
返信する
Unknown (得売例花 エウレカ)
2021-12-20 12:45:13
昨今の歴史講演や城郭旅行は興業や参加員数確保に主眼をおき地域振興をおいたものが多い、それに比して長谷川さんの城址見学や城郭講演は非常に地道な現地調査や現実に基盤をおく学術が本来持ち合わせていたオーソドックな学究家としての姿をかいま見る思いです。
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