城郭 長谷川博美 基本記録

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近江八幡山城の深い謎

2021-05-24 11:04:52 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
近江八幡山城の深い謎
城郭ビイスタ論 上文字クリック

◆対談者
長谷川!ビイスタ構造論が全国区で話題です!
私は先生のブログで安土城や天正大坂城また
太閤秀吉の肥前名護屋城に放射線縄張ビイス
タ工法がある事に大変驚きました。失礼な事
なのですが滋賀で長谷川先生の縄張図は凄い
とか縄張の魔術師長谷川先生と言う異名や噂
はもう何十年も半生期近い昔からお聞き聞て
いましたが私は全く此れを信じられなかった。
失礼ですが長谷川先生は全く世の中に知られ
ていない無名の人、町の講演会も全くない。
著書もないだからどんな城の研究している城
郭の先生か?全く知る術がない!全く謎に包
まれた近江が産んだ生粋の滋賀産伝説の城郭
▼長谷川博美 安土城のビスイタ工法縄張図
▼長谷川博美 安土城のビスイタ工法縄張図

研究家だとか、知る人ぞ知るその道に熟達し
た人や一部の極く少数の有識者しか知られて
いないない伝説の先生だと聞いていました。
どうした事なのか?長谷川先生を知る人とは
滋賀県外の人々ばかりで滋賀県に引っ越して
きた人々で、先生の城郭調査の伝説を求めて
県外の人が、はるばる訪れるという本物傾向
世の中には少数だが長谷川先生を渇望する声
もあるだから米原公民館に先生を推薦した方
は見る眼のある有識者と私は確信しています。
▼江戸期の城郭測量書『量地指南』より。


◆長谷川
御指摘のように私は全く無名です、近江八幡
の岡山公民館や近江八幡図書館で講演をさせ
て頂いております。南津田の皆様には格別の
お世話になりました。近江八幡とは縁がある。
米原公民館の講座は有識の某氏様の推薦です。

滋賀民俗学会 理事 長谷川博美 米原公民館連続講座
〒521-0016
米原市下多良三丁目3番地
連絡先
電話番号 0749-52-2240

「公民館様より電話」
長谷川先生以下の日程で歴史民俗学の講座講師
を御願い致します。追加参加者様が有れば受付
します。先生には城郭だけに限定せず民俗学や
歴史地理も含めて活かした楽しい参加者自身が
考える米原学の推進を是非是非ともお願います。

滋賀民俗学会理事 長谷川博美 連続講座

講座タイトル
『お城造りから見るお城と人物伝』
各回参加費500円を公民館で徴収
資料は現実受講される人のみ限定

令和3年2021年
1 5月27日木曜 10時~11時 3A研修室
2 7月29日木曜 10時~11時 3A研修室
3 9月30日木曜 10時~11時 3A研修室
4 11月25日木曜10時~11時 3A研修教室
令和4年
5 1月27日木曜10時~11時  3A研修室
6 3月24日木曜10時~11時  3A研修室

◆対談者
近江八幡山城は羽柴秀次の城であり叔父秀吉
もこの城の普請現場にも視察に来ていますし
ビイスタ工法のある安土城から近江八幡へと
城郭を移したのも羽柴秀吉豊臣秀吉と言う事
で八幡山は通称「鶴翼山」であり鶴が翼広げ
た様な鶴翼の縄張が八幡山城だと私は思いう。

◆長谷川
鶴翼山は後世の俗称です。京極高次も八幡山
侍従として居城としており秀吉秀次一辺倒の
近江八幡山城と縄張構造として語る事は危険
です。それに多くの石垣が崩落しており天守
石垣も江戸時代に撤去され完璧にその縄張を
考察する事は研究家としては避けるべき事か
と思います。

◆対談者
引込み思案ですね?ネガテイブ思考ですよ。
私達一般市民が聞きたいのは長谷川先生が
凡庸な城郭研究家ではない事は解っている。
探偵金田一耕介のように解説して下さいよ。

▼江戸時代の地籍測量「検地の測量器具」
十字、分度器、水縄などの測量器具の充実に着目

▼日本古来の分度器

▼長谷川博美 伝秀次館ビイスタ工法試論

◆長谷川
八幡山城前身安土城の伝羽柴秀吉邸にもビイスタ
工法の縄張設計が読み取れます。安土の秀吉邸の
櫓も秀次館の櫓台石垣も正方形ではなく放射状の
ビイスタ線を用いております。秀吉邸の櫓礎石も
石垣天端の内側に設定されている事に注目します。

◆長谷川
先ずは伝秀次館には一部放射線縄張ビイスタ
工法が使われております。上図B点から山上
の山城城郭部分は山頂と山麓ともにシンクロ
した放射状縄張つまりビイスタ工法が使われ
ています。安土城と同じ工法で縄張している。
近江八幡山城もやはり展望を意識した設計を
用いている。これは秀吉の長浜城主要部群は
歪なのにその城下は碁盤目状の矩形グリッド
線を用いていています。近江八幡山城も山城
は放射線グリッド城下は矩形方形の碁盤目の
設計を用いた叔父秀吉と甥秀次ぐの意向等が
反映されたものかと思います。

◆対談者
衝撃ですよ。私ら毎日鶴翼山眺めて暮してます
がこんな秘密があるなんて夢にも考えていない。

◆長谷川
地味に地道に近江八幡山城の縄張を検討します。
▼第1段階 拡大図
本丸から二ノ丸への放射状縄張線の検討です

▼第段2段階 拡大図
本丸枡形から二ノ丸への放射状縄張線の検討です。
枡形の外の翳「かざし」郭の繊細な縄張解ります。

▼第3段段階 拡大図
二ノ丸石垣の弓状の縄張を分析と検討です。
A隅石 B横矢 C横矢 BC併せた相横矢。

▼第4段段階 拡大図
abcdeと石垣櫓台のシンクロした配列が巧妙見事。
fの隅部の縄張も天端と根石部も見事に整合する。

◆様々な放射状縄張が存在し近江八幡山城の
深い謎と言えます。


◆比較研究
◆長谷川
太閤秀吉の文禄慶長期の肥前名護屋城の本丸
にも埋没した石垣が地下から出土しています。
近江八幡山城も秀吉の監督のもと甥秀次の城
として築城された城ですが昭和の台風の風雨
による本丸石垣の中から石垣が出現してます。
また太閤秀吉の肥前名護屋城や羽柴秀吉時代
の天正大坂城も放射線ビイスタ工法を用いて
築城しております。関白時代の小田原城攻め
の為の附城「石垣山城」も同じくビイスタ的
放射状縄張を秀吉は駆使してます。羽柴秀長
の賎ケ岳合戦の田上山城や播州姫路城や但馬
竹城等にもビイスタ工法が読み取れますよね?
▼元亀年間 虎御前山城 伝織田信長陣所

▼元亀年間の木下藤吉郎時代の虎御前山城城 放射線

▼羽柴小一郎秀長の但馬武田城


秀吉陣の放射状縄張の考察 虎御前山城 秀吉陣
羽柴秀吉 姫路城基本の縄張

▼元亀の騒乱 織田信長本陣 大津市宇佐山城ビイスタ線
▼宇佐山城 本丸拡大図


▼羽柴秀長羽柴秀吉 賤ケ岳合戦 田上山城



▼関白 豊臣秀吉時代の石垣山城
▼関白 豊臣秀吉時代の石垣山城 複数のヒイスタ工法
▼秀吉の意向で羽柴秀長が築城した和歌山城のビイスタ工法
▼天正羽柴秀吉時代の大坂城の放射線ビイスタ工法

▼太閤秀吉時代文禄慶長の役「肥前名護屋城」ビイスタ
▼天正11年1583年柴田勝家「内中尾山城」玄蕃尾城
▼天正11年佐久間玄蕃盛政 長浜市余呉行市山陣城 ピイスタ



▼近江佐和山城のビイスタ線
▼長谷川博美 佐和山城本丸推定復元図 ビイスタ論
▼多賀大社 社頭絵図の澤山城「佐和山城」長谷川分析



◆長谷川
それでは山頂本丸周辺の放射状縄張をチェツク
検証しましょう。図面は近江八幡市2008年図版
を使わせて頂きます。勿論記号や掛線は長谷川
先ずA点からは本丸前面に構えられた枡形構造
の基本となっている放射線1、2、3、4、5、や
8、7、6、9等の複数の放射線測量を基準として
縄張が読み取れます。


◆長谷川
更にA地点から10、11、12、13、14、15、16等
の放射状縄張線がある事が読み解けます。A点
からは横矢の為の張出櫓台石垣10、11、を縄張
◆対談者
城の縄張って機械のように複雑巧妙緻密ですね?

◆長谷川
勿論、城はナスビやキュウリとは違う機械です。

◆長谷川
次にB点からはB1、B2、B3、やア、イ等も併せ
読み解けます。ウは横矢櫓、エは枡形虎口です。
エの枡形は江戸時代の城郭の枡形様に90度矩形
ではなく図の如く歪な放射線により縄張してる。
またオは枡形の外を防御する翳し郭目隠し曲輪
や変形した馬出郭に相当する施設と考えられる。


◆長谷川
本丸の枡形の形状は近世城下枡形とは異なる歪な
放射状縄張設計作られています。H放射線起点や
Gの放射線起点、Fの放射状起点、やJ、Kもある。

◆対談者
ウワーツ!ドキドキ、ワクワクしてきましたよ。
まるで戦国時代の縄張の現場に来ている臨場感。

◆長谷川
江戸時代絵図では本丸に天守台や埋門うずみも
ん石門が存在した事がうかがわれますが現在は
存在しません。岩崎山城を佐々木六角附け城と
表記している事にも興味深々だが絵図デッサン
力は現況と異なり正確無比とは言えず残念です。
◆長谷川
二ノ丸も本丸と連動して複雑に各所に放射線状
の測量線を用いて縄張している事が解ります。


◆長谷川
搦め手も複雑に放射状縄張を用いており北の丸
や西の丸の礎石も放射線測量に連動して配置が
なされているようです。
▼近江八幡山城山頂部の各種各所放射線測量の考察

◆質問者
放射線ビイスタ工法は信長秀吉の織豊政権独特の手法?
例えば近江八幡の岩崎山城「北庄城」などもビイスタ
工法や放射状測量方法が存在しますか?近江八幡市の
▼2008年測量図引用

◆長谷川
八幡山城の隣りにある岩崎山城も2方向から放射状の
測量を用いて築城している事が解ります。枡形も大小
2カ所の天守台「状」も備えている事に大変驚きます。
▼近江八幡市北庄 岩崎山城

◆長谷川
しかし従来より近江には放射線状縄張手法が存在する。
▼佐々木六角に叛旗を翻した西条氏の近江八幡円山城


▼佐々木六角の信長迎撃用要塞 東近江市和田山放射線






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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-05-21 23:27:40
山麓の居館跡を含めて八幡山城にもこれほどのビイスタ工法が使われているとは思いもよりませんでした!ただただ驚いています。
記事中の江戸時代絵図には天守台が描かれていますが、ビイスタ理論や見栄えなどから考えると、天守台はどこにあったと推測されるのでしょうか。天守台が一体どこにあったのか子供の頃から疑問に思っています。ご教示頂ければ嬉しいです。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2021-05-23 19:28:41
問い合わせのコメントに感謝致します。どに天守台があったのでしょうか?そんな事どうでも良いと軽く流してしまう事より何処に天守台が有ったのか考え続ける事、考察する事が大切であると思います。宜しく御願い申上げます。
返信する

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