城郭 長谷川博美 基本記録

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美濃国 粉糠山古墳見学記

2019-05-08 21:07:31 | 小説
美濃国 小糠山古墳見学記
粉糠山古墳 こぬかやま古墳
 元来幼少期より古墳好きの私にとり美濃国の小糠山古墳は憧れの的である。
前方後方墳と言う墳丘形状は前方後円墳と明らかに異なる墳丘の古墳である。
既に弥生の周溝墓の段階で前方後円型と前方後方型の萌芽が認められ両者は
似て非なる葬祭様式の違いを見せていた事になろうか?

 さて全長100mもの前方後方墳を見学する事は元来古墳好きの私にとり魅惑
の現地見学と言う事になり胸が熱くなるほど感激するものである。

 さて古代の狗奴「くなこく」や「くぬこく」の所在地は健在でも不明である。
中国の史書・魏志倭人伝に記されている国。男子を王とし、狗古智卑狗(くこちひこ)という官がいた
。卑弥呼と狗奴国の男王・卑弥弓呼(ひみここ)は対立し、常に交戦状態にあったという。2009年、
名古屋大と愛知県埋蔵文化財センターの研究グループが濃尾平野の遺跡群の土器の年代を測定。女王
・卑弥呼が没したとされる西暦250年前後と重なったとする調査結果を発表した。とあるのだが、、、
(2013-04-18 朝日新聞 朝刊 岐阜全県 1地方)
さて
「美濃粉糠山」の古墳名は、青墓宿の遊女が化粧に使用した粉糠を捨てて積もったことに由来するという。
古代の狗奴「くなこく」や「くぬこく」に興味のある人は
粉糠山 を 無理矢理に 狗奴ケ山 くのがやま と楽しく幻想的に解釈する人もあるかもしれない?
しかし美濃小糠山古墳は築造時期は古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃と推定され、魏志倭人伝の
時代3世紀とは関係ないものだろう。しかし美濃の国には古い古い延喜式神名帳の美濃國厚見郡
に比奈森神社がありこれは「ひなもり」と読むのだが、魏志倭人伝では邪馬台国の地方の副官を
意味しヒナモリ(卑奴母離、比奈毛里、鄙守、比奈守、夷守)は、3世紀から4世紀頃の日本の
邪馬台国の国境を守備する軍事的長の名称。とされて面白い。

所在地 岐阜県大垣市青墓町1
形状  前方後方墳
規模  墳丘長100m 高さ6m(後方部)
埋葬施設 不明
出土品  乳文鏡片・埴輪片
築造時期 4世紀末-5世紀初頭
史跡 大垣市指定史跡「粉糠山古墳」


粉糠山古墳(こぬかやまこふん)は、岐阜県大垣市青墓町にある古墳。
形状は前方後方墳。不破古墳群を構成する古墳の1つ。大垣市指定史跡に指定。
不破古墳群の盟主的首長墓系譜
造墓基盤
墳形は前方後方形で、前方部を西方に向ける。墳丘は2段築成[。墳丘長は100メートルを測り、
前方後方墳としては東海地方で最大規模になる。墳丘表面では葺石・埴輪が認められているほか、
墳丘周囲には周濠が巡らされている[。主体部の埋葬施設は、削平のため詳らかでない。副葬品は
明治年間出土の乳文鏡片のみが知られる。築造時期は古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃と推定。

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