城郭 長谷川博美 基本記録

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城郭小説  みずうみのある遠い町

2020-03-04 06:58:10 | 小説
城郭小説 みずうみのある遠い町

※御注意
これは小説であり現実とは全く
関係がありません。

その①
私は町の郷土史会に入りました。
とても楽しく、参加される人は
善良な方ばかりでした。私は隣
り町の城跡見学会にも参加して
城郭遺跡の智識を深めました。
そしてある時自分の町に帰り
町の公民館を裏山に城郭遺跡
がある事を発見しました。城郭
専門の先生に来てもらい調査し
て貰ったら素晴らしい図面が出
来きて、本丸、二の丸、三の丸
まである事が確認できました。
そこで私はその町の郷土史先生
に山田城の城の講演を頼む事に
し現地の城跡に行ったのですが
先生は全くその城跡が解らずに
城址を通過されてしまったので
す。集落に住んでおられた山田
のおじいちやんと言う山田弾正
と言う殿さんの城だと伝説があ
ると言われたのですがたのみの
郷土史の先生にも解らなかった
のです。その先生は正直に私に
文字の歴史は解るのだが遺跡を
見ても私は何も解らないと正直
に言われショツクを受けてまし
た。仕方なく城の先生と県外の
知人数名とその城址を勉強する
事にしました。県外の人達はこ
城を見て本丸二ノ丸三の丸まで
ある素晴らしい城と言われて私
は嬉しく思いました。ところが
真面で善良な集落の人々は郷土
史の先生が解らないと言われて
いるのに私が城址を楽しんでる
事に対して違和感を覚えますと
次々に言われました。その方も
その集落の郷土史の先生も基本
的には全く悪気のない素晴らし
い人でした。私は遠い遠い町で
老後を過ごしております。その
町の郷土史の先生の冊子に城の
図面も貼り付けて今も時々読み
ます。ただ非常に残念だった事
は集落の人々と一緒にその郷土
の城址に行き本丸二ノ丸三の丸
をみんなで仲良く和気あいあい
と見学勉強したかったのです。
中には一人でその山城に出掛け
て全然解らなかったと不満を言
つて来られた人もおられて残念
でした城址見学の基本さえ身に
付けていれば簡単に解る城なの
に城址の見方の基本を知らない
だけの事なのに?とにかくその
集落は過疎化になり寺終いも村
しまいも実施されもう廃村にな
っています。遠い他所の県にな
ってしまった遠い村の思い出で
です。しかしニユースがもたら
された。その城の城主山田弾正
と言う文献も発見され人の住ま
なくなった村の裏山の城址を測
量した教育委員会の資料が遠い
町から到着したのです。しかし
その集落に住んでいた多くの人
や私の言う事を聞いて聞いては
くれなかった善良な人々はもう
この世には居ません。折角生ま
れた村の私達の先祖の城址を見
る事もなく我々の集落は過疎地
になり今では集落には屋敷跡と
なって草野栄えた昔の集落の跡
が残っているばかりです。結局
その集落の城の事は私一人しか
知らずに人生も集落も終わった。
淋しい事に過疎は防げなかった
としてもみんな仲良く城址に行
き先祖の供養をして集落全員で
食事会や山城の勉強会をしたか
ったと、今になって思います。
忘却とは忘れ去る事なのです。

その②
私は今息子夫婦と孫達と埼玉県
に住んでいます。遠い遠い平成
と言う時代には遠い遠い県外の
とある町に私は住んでいました。

ある歳の事、私は町のガイドに
偶然になる事になり先輩ガイド
さんについていけるよう必死で
歴史書を読み。ガイドのマニュ
アルを必死で暗記を致しました。
私の解説は何故か?人気が高く
一日に4度も、A城址のガイド
の仕事をした事もありました。
ガイドの仲間はみなさん親切
で善良な方々ばかりで大変に
充実しており満足してました。

ある日の事、私は城の智識を付
けるようと隣り町のB城の見学会
ひとりで出かけました。会場に
到着して城郭講師の人に御前中
城址を解説して頂きました。見
学会は午前中で終了しましたが
私は午後もこの城を見学する為
に現場に残ったところ講師先生
が午後も僕が城郭遺構を解説し
ますと言う事で夕刻まで無償で
解説をして頂きました。私はB
城の巨大な段築や切岸を100箇所
も見学する事が出来てその歴史の
現実と城郭遺跡の雄大さに驚き
ました。A城のガイドに帰って
ガイドの善良な仲間の皆様達に
B城の100箇所以上の素晴らしい
遺構がある事を告げると私は善良
な仲間のみなさんからB城なんて
遺構はゼロです。何もないのです。
▼イメージ写真で小説とは関係なし。

講師は×の人あなたは騙されていると
まで言われました。変だな?善良
な皆さんが言われる事と実際と異な
りB城には非常に巨大な城郭遺跡が
あるし遺構は生々しく100箇所以上
も存在する。また×と言われた城郭
先生は午後も無償で必死でB城の城
の遺構を解説していただき夕刻には
講師の声はガラガラに枯れる程だっ
た。物凄く誠意的に現地遺構を必死
で解説れた昔の事を思い出すのです。
遠い遠い町へ線路は、今もみずうみ
の町へと、つながっているのですよ。
▼イメージ写真で小説とは関係なし。




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