WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

毎年迷う神棚飾り(2021)

2020年12月28日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 449◎
Stan Getz
Serenity
  昨日27日は、大安だというので神棚づくりを行った。家を建てたばかりの頃は、奮発してエビも7房のものを数年間使ったものだが、なにせ不必要に高額なので、しだいに5房のものになり、近年では3房のものでいいと考えるようになった。私の住む地域特有のものらしい切り紙や星玉の配列も、はじめは父親から教えられたようにしていたが、考え方に諸説あることや家によって異なる場合もあることを知り、最近ではいろいろ変えてみたりしている。
 いつも迷うのが、恵比寿・大黒のポジショニングである。例えば、星玉(一番手前のカラフルなもの)5枚の場合を例にとれば、向かって右側から松・竹・梅・恵比寿・大黒の順だと教えられたものだが、恵比寿・大黒・松・竹・梅の配列の家も多いらしい。いずれにしてもこの場合、松・竹・梅の配列から見ると、向かって右がより上位のものと考えられるが、それではなぜ大黒より恵比寿が上位なのだろうという疑問が生じる。大黒は「大国主神」であり、恵比寿は「事代主神」であるが、「事代主神」は「大国主神」の子なのだ。『古事記』の中で果たす役割も、大国主の方が重要だ。もちろん、歴史の中でいろいろな神仏と習合した結果であると考えることもできようが、やはり納得はできない。また、また、正面から見て左右対称になる場合、中心に上位のものが位置すべきではないのかとの疑問もある。実際、神棚の神宮大麻(天照皇大神宮)・氏神神社・崇敬神社のお札の配列も、神社本庁によれば、3枚並べる場合は真ん中は天照皇大神宮のお札らしい。であれば、松・竹・梅も松を中央にすべきではないか。さらに、天照皇大神宮のお札を中央にした場合も、2番目に上位のものと考えられる氏神神社はなぜ向かって右(つまり神棚から見て左)なのだろう。古来日本では、左より右が尊いとされる風習に従えば、氏神神社が神棚から見て右(向かって左)になるべきではなかろうか。これを松・竹・梅に当てはめれば中央が松、向かって左が竹、右が梅という考え方もありうるのではなかろうかなど毎年考えてしまう。
 とりあえず今年は下の写真のようにしてみた。松・竹・梅は向かって右から左へ、両脇に恵比寿・大黒を配した。恵比寿を向かって左、大黒を右にしたのは、絵の星玉の場合、恵比寿は左側を、大黒は右側を向いており、恵比寿・大黒は向かいあっているのがいいのだという亡き伯父の教えによる。

 今日の一枚は、スタン・ゲッツの『セレニティー』である。1987年7月のカフェ・モンマルトル(コペンハーゲン)でのライブ盤だ。晩年のゲッツの演奏である。ピアニストはケニー・バロン。晩年のゲッツのお気に入りのピアニストだ。この時のライブは、このアルバムと以前紹介した『アニヴァーサリー』(→こちら)の2枚に収められている。
 多くの言葉を費やす必要はなかろう。素晴らしいアルバムだと思う。晩年のゲッツの円熟した音色。そして若いころからずっとそうだった、淀みのない流麗なフレーズにただじっと耳を傾けたい。③Falling In Love の静寂な世界に思わず目を閉じてしまう。アルバムタイトル通りの Serenity=静けさの中に、ゲッツのテナーの深遠な世界が現出する。音楽というもものが、音と、音と音の間の無音の空間によって構成されているのだということが、本当によくわかる演奏である。