WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

陸前高田の「h.イマジン」

2020年12月13日 | 今日の一枚(S-T)
◎今日の一枚 447◎
Thelonious Monk
Underground
  最近、たまに行くジャズ喫茶は、宮城・伊豆沼(若柳)のコロポックル(→こちら)と、岩手・陸前高田のh.イマジンである。h.イマジンについては震災の時の新聞で知った(→こちら)。その後、岩手・大船渡に再建してから何度か訪問したことがあったが(→こちら)、この大船渡の店は諸事情でわずか数年で閉店してしまった。再び陸前高田に戻るらしいとの情報は知っていたが、それがいつでどの場所かはわからず、余計なお世話ながら心配していた。2019年に陸前高田で再スタートしているらしいとの情報を聞き、初めて訪問したのは今年の春のことだった。以来、4~5回訪問しているが、私が行くときはたまたまいつも空いており、のんびりと音楽に浸る時間を楽しんでいる。今の私は、ジャズ喫茶で原則リクエストはしない。聴きたい演奏なら家で聴けばよいと考えているからだ。気に入ったものもそうでないものも含めて、マスターがかけるアルバムを、じっと座って一定時間聴かねばならないというところにジャズ喫茶の醍醐味があると思っている。そのある種の強制力の中で、いろいろな発見があったりするわけだ。

 今日の一枚は、セロニアス・モンクの『アンダーグラウンド』である。1967~68年に録音されたモンク円熟期の作品だ。グラミー賞の最優秀アルバム・カヴァー賞を受賞したというジャケットは確かにユニークであり印象的なものだ。私は、一見トム・ウェイツの作品かと思ってしまった。
 たいへん聴きやすいアルバムである。いつもながらに、ちょっとヘンテコで、タイミングを遅らせたように奏でられるモンクのピアノは、私にはとても好ましい。モンクの作品を聴くと、いつもそれがジャズ史的な名盤かどうかということより、私にとって好ましいかどうかということを意識させられる。何というか、癒されるのだ。その意味で、モンクの音楽は、私にとっていつでも極私的なものなのだ。チャーリー・ラウズの軽めのテナーサックスが、ほのかな哀愁を感じさせてなかなかいい。モンクのお気に入りのテナー奏者らしいが、モンクの音楽にはこのテナーはあっている気がする。
 ライナーノーツの中山康樹氏の次の言葉は、首肯させられるものだ。
「深読み」と同じく「深聴き」をしようと思えば、いくらでもできる。モンクの音楽はシンプルに見えて、じつは深い。しかしぼくとしては、その深みの手前に無数に用意されている「楽しそうな扉」を次々に開けたくなってしまう。そしてそれが「セロニアス・モンクを聴く」ということだと思っている。難解な部屋にモンクを閉じ込めてはいけない。

陸前高田の三陸花火大会

2020年12月13日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 446◎
Chick Corea & Gary Burton
In Concert
 もう2か月程前になるが、10月31日に隣町の陸前高田市で行われた三陸花火大会というイベントに行ってきた。陸前高田市は、被災地としてメディアへの露出も多く、地域をあげて計画的な復興が行われている地域だ。今回のイベントもその一環なのであろう。来年からは三陸花火競技大会を行うということで、今回のイベントはそのプレ大会という位置付けのようだ。
 それにしても凄かった。これまで多くの花火大会を見てきたが、テレビで見る大曲や長岡の花火を彷彿とさせる、これが現代の花火なのか、と思わせるような代物だった。私たちは一人2500円のB席で会場の後方からの見物だった。10月末の夜は凍えるほど寒かったが、その迫力と美しさはそれを忘れさせるほどのものだった。来年から行われるという競技大会も是非とも見たいと考えている。
 今日の一枚は、チック・コリアとゲイリー・バートンの『イン・コンサート』、1979年のチューリッヒでのライブ録音盤である。非常に美しく、テクニカルで、ライブ盤ならではの熱気や駆け引きの様子がよく伝わってくる一枚である。以前取り上げた1972年録音の『クリスタル・サイレンス』(→こちら)と同じデュオのアルバムで、何曲か同じ曲も演奏されているが、私が『イン・コンサート』の方を先に聴いていたためか、後から『クリスタル・サイレンス』を聴いたときは、美しいれけどちょっと物足りないと感じたものだった。
 学生時代にはチック・コリアをよく聴いたものだ。ハービー・ハンコックやキース・ジャレットより圧倒的にチックをよく聴いた。あの大ヒットしたリターン・トゥ・フォーエバーの影響などではない。純粋にチックのピアノが好きだったのだ。ところが、いつしかチックを聴かなくなった。なぜかはよくわからない。今日この『イン・コンサート』をかけたのも10年ぶり以上のことだと思う。大学生の頃は数十枚程度だったレコードも、いつしか増殖して、LP・CDは数えるのが億劫なほどになった。棚の中には同じように何年も聴いていない作品がたくさんあるはずだ。たまには、そういった作品を探してみるのも一つの楽しみかもしれない。『イン・コンサート』の美しい響きを聴きながら、1980年代前半の、トイレ共同四畳半風呂なしの、三軒茶屋のアパートの情景を思い出した。

しばらくぶりに真湯温泉に行ってみた

2020年12月13日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 445◎
Max Roach & Clifford Brown
 岩手・宮城内陸地震から何年たったろう。そんなことを考えたのは、10月下旬に2週続けて真湯温泉に行ったからだ。もちろん日帰りである。子どもたちが幼い頃には車でよく訪れたものだった。2008年の岩手・宮城内陸地震で被害を受け、その後新しい温泉施設が作られたらしいことは聞いていたが、子どもたちが成長すると行く機会がなくなってしまったのだった。10数年ぶりの真湯温泉はとても気持ちよかった。新しい温泉施設はなかなか立派なもので、露天風呂も趣のあるものだった。周囲の紅葉も素晴らしく、より素晴らしい紅葉を見ようと、車で1時間半程のこの温泉を翌週も再び訪問することになった。
 真湯温泉への途中の祭畤(まつるべ)地区には、美しい紅葉の中に、ぐちゃぐちゃになった道路や折れ曲がってしまった橋など、岩手・宮城内陸地震の生々しい傷跡が災害遺構として残されていた。

 今日の一枚は、マックス・ローチ&クリフォード・ブラウンの『イン・コンサート』である。1954年のロサンジェルスでのライブ録音であり、ブラウン=ローチ双頭コンボ唯一のライブレコーディング盤である。私はこの赤いジャケットが昔から好きなのだが、クリフォード・ブラウンの輝かしい音色とスムーズなフレージングは、今聴いても心が躍る。このアルバムについての寺島靖国さんの次の文章には共感を禁じ得ない。
クリフォード・ブラウンはどう聴いたらいいのか。熱に浮かされたように聴け、といいたい。本人も熱に浮かされて吹いているのだ。次々に湧いてくるフレーズを音にこめ、ハッときづいたらアドリブの持ち時間を終えていたという、ジャズ演奏の理想郷を達成したのがブラウンなのだ。(寺島靖国『辛口!JAZZ名盤1001』講談社+α文庫)

 ①ジョードゥがたまらなく好きだ。