WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

あなたがここにいてほしい

2020年12月30日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 454◎
Pink Floyd
Wish You Were Here
 
 コロナ禍である。
 11月に東京の叔父がなくなったが、地元の親戚たちからとめられて葬儀にも行けなかった。学生時代、1年間下宿させてもらった、お世話になった叔父だった。昨年末に伴侶(叔母)を亡くして急速に衰え、それから1年もたたずに亡くなってしまった。
 東京でSEの仕事をしている長男は、お盆にも帰省出来なかった。仕事が忙しいこともあるらしいが、年末年始も帰っては来れないようだ。私は気にしていないが、田舎の閉鎖的な空間や、祖父・祖母に感染するかもしれないことを考えているのだと思う。意外と根は優しい息子なのだ。帰省できない代わりにと、私には服を、母親と弟には靴をプレゼントとして送ってきた。いずれも高額なものである。
 コロナは我々の生活を確実に変えていく。コロナ禍のマインドはおそらくは一過性のものではあるまい。コロナ終息後も、じわじわと我々の生活に根付き、影響を与えることになるような気がする。時代精神というものは、そうやって緩やかに変化していくのだ。それが、プラスのベクトルになるよう、我々は意識せねばなせない。
 
 今日の一枚は、プログレッシブ・ロック作品である。ピンク・フロイドの1975年の作品、『Wish You Were Here』である。日本語タイトルは、『炎~あなたがここにいてほしい~』である。名盤『狂気』(→こちら)の次に発表されたアルバムである。「炎」というタイトルは、ジャケットで一方の人間が燃えているからなのだろうか。作品のコンセプトから考えてもあまり納得できるものではない。ちょっと安易な気がする。『神秘』『原子心母』『狂気』『対』など、ピンク・フロイドの作品には、漢字数文字の日本語タイトルが付されることが多かったが、その流れからだろうか。『あなたがここにいてほしい』だけで十分だったし、その方がかっこ良かったと思う。
 ピンク・フロイドについては、忘れがたい記憶がある。学生時代、教育学の楠原彰先生が、「横浜浮浪者襲撃殺傷事件」(1983)の犯人の少年たちがピンク・フロイドを聴いていたという報道に対して、こんな奴らにピンク・フロイドを聴いてほしくはないと、教壇で感情的になったことである。実際、ひどい事件だった。楠原先生は、当時アパルトヘイト反対運動の先頭に立っていた人物で、社会的弱者に対していつも温かい視線をもったリベラルな教育者だった。日雇いの肉体労働者をはじめ、様々な人たちをゲストとして教壇に立たせて、興味深い授業を展開していた人気のある先生だった。そんな楠原先生が、感情的で攻撃的な言葉を発したことに、新鮮な驚きを感じたのである。
 さて、『あなたがここにいてほしい』の「あなた」とは、もちろんピンク・フロイドの草創期の中心的存在だったシド・パレットのことである。感性的でサイケデリックな曲を作っていた彼は、やがて精神に変調をきたして、グループを脱退、その後音楽シーンから姿を消していった。①の「狂ったダイアモンド」とは、まさしくシド・パレットのことであるし、さらにいえば、ピンク・フロイドのすべての作品には、もはやそこにはいないシド・パレットの影が潜んでいるといっていい。ただ、彼らの作品が圧倒的に深いテーマ性をもつのは、シド・パレットとその喪失の問題をそこで終わらせず、人間の普遍的なテーマとしてとらえ返していることによるものと考えていいだろう。
 ピンク・フロイドの音楽は、どのアルバムを聴いても、その高度な批評性にも関わらず、不思議な抒情性に魅了される。人間について、社会について批評するコンセプトを持ちながら、穏やかな安らぎに導いてくれる、そんなサウンドが私はたまらなく好きだ。

<織田信長>の実像

2020年12月30日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 453◎
Wynton Kelly
Wynton Kelly
 高校で日本史を教えていて、疑問なことの一つが織田信長のことである。私は戦国時代の専攻ではないのだが、いろいろな関りから、1980年代前半ぐらいまでの戦国時代に関する論文をある程度は読んだ経験がある。そこで感じるのは、織田信長は、通常、新しい時代を切り開いた先進的な革新者として位置づけられるが、その領国経営や諸政策において、決して革新的とはいえないということだ(むしろ、後進的な場合すらあるのだ)。例えば、信長に倒された今川氏の方が土地政策や家臣団統制、流通経済政策において、ずっと先進的であった。このことは、高校日本史でこの時代を考える授業をするとき、必ず引っかかっていた問題である。通説と、それを超えらない自分の非力に、身を割かれる思いをすることもあった。
 もう一つ、信長は「天下布武」を掲げて天下統一を目指したというが、「天下」という語が何を意味するのかということについて、ずっと引っかかっていた。学生時代、米原正義先生が授業で(茶の湯に関する講義だった)、史料上の「天下一」という語の検討から、「天下」という語が必ずしも現在的な日本全体を指すわけではないと語ったことが、ずっと気になっいたからである。
 今年読んだ、金子拓『織田信長<天下人>の実像』(講談社現代新書2014)は、そんな疑問に不完全なながらも答えてくれるものだった。金子氏は、織田信長の政策の後進性を認めた上で、神田千里氏らの研究を援用しつつ、信長の「天下布武」の「天下」は、日本全体ではなく、京都周辺の狭い領域を意味するものではないかと語り、信長に領土的野心はなく、天下統一=日本の統一など考えてはいなかったのではないかという結論を導き出した。信長は、室町幕府15代将軍の足利義昭を支えることで、京都周辺の「天下静謐」を目指したというのである。信長の領土拡大についても、戦国・織豊期の先行研究を援用しつつ、「天下静謐」を乱そうとした相手を軍事的に制圧した結果であると位置づけ、制圧した地域についても、中央集権的な方法で統治したわけではなく、旧来的な、その地域の支配者に一任するやり方だったと結論付けた。
 また、足利義昭の追放についても、義昭の立場をわきまえない独善的な強欲さが許しがたかったからであるとし、義昭追放以降も朝廷の守護者として「天下静謐」のために行動していたとする。
 本能寺の変については、四国征伐の頃から「天下静謐」を逸脱し、野心を持ちはじめた信長に対して、明智光秀がそうした信長の動きを頓挫させようとしたのではないかと推論している。
 ややスタティックな論理の感もあるが、史料的裏付けのある部分が多く、先の私の疑問に関しても首肯すべき見解が多いように思う。織田信長に関しては、一般的にも、研究者の間でも、スーパー変革者のイメージが強く、それを書き換えるのは一朝一夕ではあるまい。けれども、個別研究の積み重ねで、信長像は大きく書き換えられるという予感はある。私はそのような方向性を妥当だと考えている。

 今日の一枚は、ウィントン・ケリーの『枯葉』である。『枯葉』というのは日本語タイトルだ。ジャレットには「wynton kelly」としか書かれていない。
 ウィントン・ケリーのピアノは、音が軽いところがいい。深遠さとか、情念とかの概念とは無縁である。もちろん、超絶テクニックなどとも無縁である。そういう意味では表層的なピアノである。一抹の寂しさみたいなものを感じたりするが、それも表層的なテイストに過ぎないだろう。けれども、我々には、ケリーのような、軽い音の、軽いノリが必要なことがある。どうしようもなく、そんなサウンドが必要なことがあるのだ。表層的な軽い響きが、深遠な音を凌駕し、本当の深遠に届くこともあるのだ。絶頂期のウィントン・ケリーのピアノを聴くと、いつもそんなことを夢想する。