WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

伝説のテナー・マン

2013年10月14日 | 今日の一枚(S-T)

◎今日の一枚 348◎

Kazunori Takeda(武田和命)

Gentle November

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 恥ずかしながら、「武田和命」という人を最近まで知らなかった。ジャズ本で知ったのは半年ほど前のことだ。日本の伝説的テナーマンといわれる人だったのですね。ジャズの「伝説」が好きな私は、これはすぐに聴かねばならないと思ったわけだが、たまたま作品が再発売されていて、すぐに入手できた。これまでなら、なかなか手に入らなかったらしい。

 武田和命は、1960年代に富樫雅彦・山下洋輔らと日本で最初のフリージャズバンドを組み、相倉久人氏をして「60年台初期の日本ジャズシーンでフリー・フォームのジャズを、頭からでなく、からだで最初にこなしたプレイヤーのひとり」と言わしめた男だ。1966年には、エルヴィン・ジョーンズと共演する機会を得、エルヴィンが認めた唯一の日本のジャズマンだったともいう。1967年、本田竹曠(p)、紙上 理(b)、渡辺文男(ds)と武田カルテットを結成してジャズ界の注目を集めるが、1970年代初め、彼は忽然と姿を消し、その後約10年間ジャズシーンに現れることはなかった。彼自身の弁によれば、その頃家庭を持ち、ジャズでは喰えなかったのでキャバレーのバンドやドサ廻りなどで生活をつないでいたのだというが、本当のところは「謎」のようだ。

 1978年に東京のライブハウスでR&Bバンドで演奏しているところを「再発見」され、翌1979年、山下洋輔グループをバックに吹き込んだ初リーダアルバムがこのGentle Novemberである。ベースは国仲勝男、ドラムは森山威男である。武田は40歳だった。

 感激だ。いい作品だと思う。コルトレーンの「バラード」を意識した作品である。私は、コルトレーンの「バラード」というアルバムをあまり好きではないのだが、武田のこの作品には興味深く耳を傾けられる。ひきつけられる、といった方が正確だろうか。何というのだろう。コルトレーンの作品をある意味、「模倣」しているように見えながら、そこには独特の「叙情性」が漂っている。音色や、音の強弱、間の作り方に、欧米人のセンチメンタリズムとは異なる、穏やかな叙情性が漂っている。音が、神経症的でないのだ。もしかしたら、それは日本人にしか表現できないような種類の叙情性かもしれない。

 世界の一体化が現在ほどではなかった時代、この極東の地で、日本人がJazzを演奏する意味を問うことは、想像以上に大きな問題だったに違いない。それは、例えばスタン・ゲッツら白人が、もともと黒人音楽だったjazzを演奏し、その意味を問う苦悩より、ある意味で、深刻で大きな問題だったかもしれない。そう考えると、このGentle November は、日本人でしかできないJazzを表出した、奇跡的な作品のひとつ、といえるかもしれない。

 武田和命は、1989年8月18日、食道ガンのため49歳の若さで帰らぬ人となった。生前、武田はソニー・ロリンズの影響を受けたといっていたらしいが、そうであればなおさら、彼自身が「生活のため」と語った、10年間の沈黙の意味が、今となっては興味深い。