WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「青春の太田裕美」あるいは「太田裕美的青春」

2013年10月27日 | 今日の一枚(O-P)

◎今日の一枚 354◎

太田裕美

手作りの画集

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 極私的名盤である。この作品に続く「12ページの詩集」とならんで、太田裕美のピークを記録した作品であると私は考えている。同じ1976年のリリースであり、「画集」と「詩集」というタイトルの類似からも、「手作りの画集」と「12ページの詩集」の関連性は推察できる。この2つは、連作としてセットで聴かれるべきものなのではなかろうか。もちろん、「画集」はすべての曲が松本隆&筒美京平コンビによるものであるのに対して、「詩集」は12人の異なる作曲者による楽曲という制作上のコンセプトの違いは理解している。しかし、アルバムのトータルなイメージ、表現のスタンスは驚くほどの近似性をもっているのではなかろうか。そしてそれは、私の考える「太田裕美的青春」と大きくかかわっている。

 この「太田裕美的青春」について、以前書いた「『青春の太田裕美』あるいは『太田裕美的青春』」という拙い文章を、若干改訂して以下に再録したい。

     ※     ※     ※     ※     ※

 太田裕美が好きだった。青春の一時期、ある種のアイドルだったといってもいい。ただ、一過性の、その美貌やチャーミングさに熱狂するような種類のアイドルではない。もっと静かで穏やかな、思いを投影し、共感するような種類の「アイドル」だった気がする。意外なことであるが、私と同世代(私は1962年生まれだ)の人には、現在も太田裕美の残像をどこかに抱えている人が結構いるようである。飲み会などで、ちょっと昔の思い出話などになると、「太田裕美」という名前が登場することがよくある。しかも、ずっと昔の一過性のアイドルというのではなくて、今でもその記憶を大切にしている人が多いのだ。

 太田裕美には周知のように多くのヒット曲があるが、ヒット曲以外の、一般的にはまったく無名のはずのアルバム収録曲を愛する人たちも少なくないようだ。彼らの心の中では、今でもそうした「無名曲」が鳴り響いている。もちろん私もその一人だ。もう十数年ほど前になろうか、当時の職場の同僚と酒を飲んでいる際、ふとしたことから太田裕美の話題となり、彼が太田裕美の「ファン」であることがわかった。さらに会話をすすめていくと、彼が愛する曲は「木綿のハンカチーフ」でも、「最後の一葉」でもないという。まさかと思って尋ねてみると、なんとこの『手作りの画集』収録の「茶色の鞄」という曲だったのだ。その時の驚きはいまでも忘れられない。我々の間に一種の共犯関係のような奇妙な連帯意識が生まれ、互いにニヤッとしたのだった。そして私はその後、同じような体験を何度かしたことがある。webで検索してみたところ、まったく意外なことであるが、この茶色の鞄」が現在でも多くの支持を集めていることがわかった。1970年代のアイドルにもかかわらず、古いオリジナルアルバムもいまだに廃盤とならずに、CDとして発売され続けているらしい。私にとっては、ちょっとした驚きだった。

 数年前から私は、このブログの、「青春の太田裕美」というカテゴリにいくつかの拙い文章をかいているのだが、まったく意外なことに、現在でもアクセスしてくださる人が少なからずいるようだ。その文章を書きながら、太田裕美とは、あこがれをぶつけて熱狂するような種類のアイドルではなく、時代を共有して、自身の青春を投影し、その音楽世界に共感する、そのような存在なのではないかという思いを強くした。その意味で、「太田裕美」とは、ある種の偶像なのであり、記号なのだ。

 そんな理由から、太田裕美の作品に表出されたような、自閉的でちょっと屈折した、けれども「純粋」で心優しい、1970年代特有の青春のあり方を、私は「太田裕美的青春」と呼んでいる。


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