WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

復興祈念公園、そして安波山へ

2021年04月03日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 488◎
Chet Baker & Paul Bley
Diane
  今日は午後から3月11日にオープンしたという「気仙沼市復興祈念公園」に行ってみた。なかなか立派な施設だった。地区ごとにまとめられた震災の犠牲者名簿もあり、じっと見入っている見学者も多くいた。ここからの眺めは最高だ。この街の港や、自分が生まれ育った鹿折の町を一望にすることができる。だからこそ、立派な施設ができて良かったと思う反面、寂しさもある。思い出の場所なのだ。この丘は陣山と呼ばれていた。中世の山城跡だ。かつて丘の麓に住んでいた私は、よくここを訪れた。ラジカセを持参し、ビートルズやローリング・ストーンズを聴きながら、草の斜面に寝転んでO・ヘンリの短編をいくつも英語で読んだ。それが私の英語の勉強だった。汽笛の音や船のエンジン音が優しく私を包み、まどろみの中に誘うこともしばしばだった。だから、陣山を崩して造られたこの復興記念公園には複雑な思いだ。
 せっかくここまで来たのだからと、しばらくぶりに安波山まで行ってみようと思った。安波山は高い山ではないが、この街を見守るようにそびえ立つ、この街のシンボルのような山だ。お笑いコンビのサンドウィッチマンが大津波を見たという場所までは車で、そこから山頂までは歩いて登った。所々に「万葉の歌」の立て札があり、登山者の心を癒してくれる。私は一つ一つの歌を声を出して読み、意味を考えながらゆっくりと登った。息を切らしながら登った、山頂からの眺めは筆舌に尽くしがたいものだった。

 今日の一枚は、チェット・ベイカーとポール・ブレイの1985年録音作品の『ダイアン』だ。年齢を重ねるごとに晩年のチェットが好きになっていく。もちろん、若い頃のキレのあるチェットも好きだ。けれども、テクニックをひけらかさず、自分にとって必要な音を、必要な分だけ、必要なように奏でる晩年のチェットに、ものすごい吸引力で引き付けられる。前衛的な演奏で知られるポール・ブレイが、その個性を表出しながらも決して出しゃばらず、チェットの演奏に寄り添い、しっかりと支えている。ウイスキーをすすりながらチェットのトランペットに耳を傾けると、いつも目をつぶって音楽に没入してしまう。失ってしまった時間への哀惜の念と、それでも自分の人生を肯定し、優しく包み込むようなトランペットに、時々、涙がこぼれてしまうこともある。

偽書『東日流外三郡誌』

2021年04月03日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 487◎
Herbie Hancock & Wayne Shorter
1+1
 『東日流外三郡誌』、「つがるそとさんぐんし」と読む。偽書である。学界の定説である。青森県五所川原市在住の和田喜八郎という人が、自宅の改築中に屋根裏の長持ちの中から出てきたとして紹介した書物である。1975年に刊行された『市浦村史資料編』にその一部が収録されたことから、広く知られるようになった。
 そこには、紀元前7世紀の日本列島で、津軽を拠点に大和政権と敵対し続けた荒覇吐(アラハバキ)族の歴史が綴られていた。『古事記』『日本書紀』にも記されていない、ヤマト政権によって抹殺された幻の東北王朝の歴史である。
 在野の歴史研究者と名のる人たちによって、その真贋論争が展開されたが、アカデミズム的にも、史料中に登場する用語が新しすぎる点、発見状況の不自然さ、考古学的調査結果との矛盾などから、偽書であるとの評価が確定している。そもそも、和田の自宅は昭和16年の建築であり、古文書類が伝存して偶然発見される可能性は極めて低い。偽書の作成者は、筆跡から和田喜八郎その人だと考えられている。筆跡について指摘されると、公開したのは底本でなく自分が書写したものであり、底本は別に存在すると主張し、のち底本は紛失したと主張を変えた。和田は、『東日流外三郡誌』以外の「古文書」も次々と自宅から「発見」して「和田家文書」と呼ばれたが、それらの筆跡も同じであったという。和田の死後、自宅が調査されたが底本(原本)は発見されず、屋根裏にも膨大な「和田家文書」を収納できるスペースは存在しなかったという。
 和田は亡くなる1999年まで、約50年にわたって史料を「発見」し続けたことになる。すごい情熱とバイタリティーである。

 今日の一枚は、ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターの1997年録音作品、『1+1』だ。デュオ作品である。この作品が発売されてすぐに購入した。確かに封を切った記憶はあるが、なぜか一度も聴かずに退蔵されていた。
 なかなかいい。もう少し聴き込んでみないと評価はできないが、悪くない。ハービー・ハンコックのセンシティヴな音遣いの中で、ウェイン・ショーターが時にデリケートに時に激しく、縦横無尽に吹きまくる、という感じだ。それぞれの個性がはっきりと表れている。両者の掛け合いもはっきり見えてなかなか興味深い。ショーターの宇宙的で神秘的なサックスの響きには、ピアノとのデュオが意外にマッチする気がする。
 


中大兄皇子の禁断の恋?

2021年04月03日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 486◎
Paul Bley
Open, To Love
 「中大兄はなぜすぐに天皇になれなかったのか?」に関する俗説である。
 中大兄が、孝徳天皇の后だった間人皇女(はしひとのひめみこ)と密通していたという話だ。しかも、間人皇女の父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇である。つまり、中大兄の同母の妹、実の妹ということになる。古代社会では、異母兄妹の結婚や恋愛はごく当たり前だった。しかし、同母の妹ではまったく話が別である。のちの律令も「国津罪」として禁じており、実際その禁忌を犯して追放された皇子・皇女も存在するのだ。この話が本当だったとすれば、禁忌を犯した中大兄に天皇になる資格がないと考えられても不思議はない。反対勢力が結束して、そのことを理由に中大兄の即位を阻止した可能性も考えられる。昨日、孝徳天皇と対立した中大兄が群臣を引き連れて飛鳥に帰り、残された孝徳天皇が難波宮で失意のうちに亡くなったという話を記した(→こちら)。この時も間人皇女は中大兄に同行していたようなのだ。夫を捨てて兄を選んだ、ということになる。下世話な話になるが、孝徳天皇と中大兄の対立は、間人皇女と中大兄の関係に真実味を与えてしまう。
 ただ、この中大兄の禁断の恋の話は、史料的な裏付けに欠けるという意味で、十分な説得力はない。俗説のひとつというべきであろう。先に述べた難波から飛鳥に帰るとき2人は一緒だった話とか、間人皇女の夫である孝徳天皇の歌に2人の仲を疑わせる言葉があるといった程度の根拠であり、真相は闇である。

 今日の一枚は、ポール・ブレイの『オープン, トゥ・ラブ』である。1972年録音作品のピアノ・ソロ作品だ。これはジャズなのだろうかと思ってしまう。まったくスウィングしないのだ。魅惑的なメロディーもない。現代前衛音楽的である。けれども、クラッシック的ではない。弾き方はジャズの話法である。キース・ジャレットのリスナーだった私は、比較的抵抗なく受け入れることができたが、ハード・パップが大好きなジャズファンは抵抗があるかもしれない。事実、今はCDもあまり売れないらしく、過去の作品を探すのも難しいことがある。硬質で静寂なピアノの響きを聴く作品である。音と無音の織りなす冷たい世界を聴く作品である。冷たい世界の中で時折現れる、熱くピアノに没入するように音数が多くなる瞬間に、ハッとさせられる。