WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

中大兄皇子の謎

2021年04月01日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 485◎
Helge Lien Trio
Spiral Circle

 中大兄皇子、のちの天智天皇についてである。
 中大兄皇子は、645年の大化の改新(乙巳の変)で蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼしたクーデターの首謀者・中心人物だったといわれる。少なくとも、その一人ではあったはずだ。当時、17歳と若かったが、父は舒明天皇、母は皇極天皇であり、血統は良かった。
 ところが、この事件の後、中大兄は即位せず、叔父の孝徳天皇が天皇となった。中大兄は皇太子として政務をとったのだ。数年後、中大兄は孝徳天皇と対立し、群臣を引き連れて難波宮から飛鳥に帰ってしまう。孝徳天皇は、失意のうちに654年に難波宮で死去する。
 しかし、中大兄はこのときも即位しなかった。即位したのは、中大兄の母だった。斉明天皇でである。中大兄の母はすでに天皇を経験していた(皇極天皇)。一度天皇になった人が再び天皇になることを「重祚」(ちょうそ)といいう。斉明天皇の即位は、女帝の重祚であり、これはまったく異例のことだった。中大兄は、またしても皇太子として政務にかかわることになる。
 661年に母の斉明天皇が死去するが、何とまたしても、中大兄はすぐには即位しなかった。即位しないまま政務をとったのだ。即位しないまま政務をとることを「称制」というが、中大兄の「称制」は実に7年間(661年~667年)に及んだ。
 668年、中大兄はやっと天皇となる。天智天皇である。大化の改新からカウントすると23年になる。しかし、即位の前年の667年に近江の大津に都を移したことが気にかかる。飛鳥の都が廃されたわけではないので、両都制だったというべきだろう。これは通常、白村江の戦いの敗北(663年)による対外危機が背景にあると理解されている。外敵を恐れ、海(瀬戸内海)から遠いところに都を移したという意味である。それは間違いではなかろう。しかし一方、大津宮が日本の中心を意味する「畿内」の外側であることを考えると、中大兄の即位の事情と何か関係がありそうでもある。
 「中大兄皇子は、なぜすぐに天皇にならなかったのか?」あるいは、「なぜ天皇になれなかったのか?」これは、古代史上の大きな「謎」である。

 今日の一枚は、ノルウェイのピアニスト、ヘルゲ・リエンの『スパイラル・サークル』である。2002年録音作品である。まさに北欧的サウンドだ。ちょっと生真面目だが、硬質で澄んだピアノの響きが素晴らしい。これまで何度か取り上げてきたように、私はこのピアニストが大好きである。CD帯の宣伝文句に「滴るリリシズム」とあるのも偽りではない。① Liten Jazzballong。一曲目から私の耳は釘付けだ。