彼とはある採用面接で出会いました。もう一人の面接官が年齢を理由に彼を不採用にしたのですが、気になった私は連絡先をメモしました。
男は年を取るごとに友だちはできにくくなる、とよくいわれますが、彼とは不採用にしたにもかかわらず、その晩から呑み歩き、彼の博識に酔い、友だちになりました。もっとも友だちだとおもっていたのは私の方だけです。彼は知り合いという言葉はよく使いましたが、友だちということはありませんでした。
知恵袋の彼とはよく旅行しました。旅慣れた彼は、いつも東ドイツ製の小さな肩掛け鞄一つ。あれやこれやで大きなバッグを膨らませている私とは好対照です。
深夜バスで旅した時のこと、休憩のサービスエリアでタバコを吸いながら、運転手さんと親しそうに談笑していました。席に戻ってきた彼に、運転手さんお知り合いだったの?と聞くと、何で?と彼は怪訝そうでした。私の親戚の家に世話になったとき、気難し屋で皆が苦手にしている〇〇さんとすぐに仲良く話し始め、伯母が〇〇さんがあんなに楽しそうに話しているのをはじめてみた、と言いました。背が高く、ちょっとエキゾチックな顔立ちの彼は、外人さんに話し掛けられることも多く、相手にあわせて英語以外の言語を使いこなします。若いころ長く海外を放浪していた彼いわく、ヨーロッパ人は英語が苦手だからね。
彼と呑み歩くと、行く先々で知り合いに出会います。そして私を差し置いて嬉しそうに彼と話し始めてしまいます。私の数少ない友人も彼と会うと、私以上に親しい知り合いになってしまうので、私は何度も寂しいおもいをしました。
彼のご両親は90歳を超えてご存命、両方の祖父母も長寿を全うされたとのこと。彼は私よりも年上でしたが、きっと私より健康で長生きするはずなので、腰の悪い私は、将来同じ老人ホームに入って車いすを押してくれるよう、いつも頼んでいました。
そんな彼が、ちょうど2年前、体調不良で私の処に相談に訪れました。精査してみるとかなり絶望的で、知り合いの専門医にすぐ紹介したのですが、手術も叶わず年内もつかどうか、という診断でした。根治は無理ながらも化学療法を始めたところ、さすが彼です。主治医も驚く回復をみせました。学会用にとたくさん写真を撮られたと自慢され、どう返していいかわかりません。外来で抗がん剤を点滴したその足で呑み歩き、禁煙も中止、海外旅行者相手の仕事も再開。2年前の年内どうかのはすが、昨年の正月も、今年の正月も私の家で、いつものように彼の博識と蘊蓄を肴に、知り合いたちも呼んで飲み明かしました。ゴールデンウイークにまた会う約束をしたのですが、連休中は仕事が忙しいということで、会えず仕舞いでした。
数日前の深夜、私は携帯電話で起こされました。某所で男性の遺体を確保しているが、所持品に私の名刺があった、と警察からの連絡でした。某所で私の名刺、彼に間違いありません。
一人暮らしの彼は、荷物を極力減らして小さな部屋で闘病していたことがわかりました。ドイツの青信号の歩行者のデザインの小さな鞄を肩に掛けて、細長い脚で申し訳なさそうに歩いている彼を、すでに鬼籍に入った知り合いたちが嬉しそうに出迎えてる様子が目に浮かびました。
こちらでは、彼が居なくなって困る人はいませんが、たくさんの知り合いが、彼との別れを寂しくおもっています。
スナフキンが去ったあとのムーミンは、きっとこんな気持ちなのかな、とおもいました。
男は年を取るごとに友だちはできにくくなる、とよくいわれますが、彼とは不採用にしたにもかかわらず、その晩から呑み歩き、彼の博識に酔い、友だちになりました。もっとも友だちだとおもっていたのは私の方だけです。彼は知り合いという言葉はよく使いましたが、友だちということはありませんでした。
知恵袋の彼とはよく旅行しました。旅慣れた彼は、いつも東ドイツ製の小さな肩掛け鞄一つ。あれやこれやで大きなバッグを膨らませている私とは好対照です。
深夜バスで旅した時のこと、休憩のサービスエリアでタバコを吸いながら、運転手さんと親しそうに談笑していました。席に戻ってきた彼に、運転手さんお知り合いだったの?と聞くと、何で?と彼は怪訝そうでした。私の親戚の家に世話になったとき、気難し屋で皆が苦手にしている〇〇さんとすぐに仲良く話し始め、伯母が〇〇さんがあんなに楽しそうに話しているのをはじめてみた、と言いました。背が高く、ちょっとエキゾチックな顔立ちの彼は、外人さんに話し掛けられることも多く、相手にあわせて英語以外の言語を使いこなします。若いころ長く海外を放浪していた彼いわく、ヨーロッパ人は英語が苦手だからね。
彼と呑み歩くと、行く先々で知り合いに出会います。そして私を差し置いて嬉しそうに彼と話し始めてしまいます。私の数少ない友人も彼と会うと、私以上に親しい知り合いになってしまうので、私は何度も寂しいおもいをしました。
彼のご両親は90歳を超えてご存命、両方の祖父母も長寿を全うされたとのこと。彼は私よりも年上でしたが、きっと私より健康で長生きするはずなので、腰の悪い私は、将来同じ老人ホームに入って車いすを押してくれるよう、いつも頼んでいました。
そんな彼が、ちょうど2年前、体調不良で私の処に相談に訪れました。精査してみるとかなり絶望的で、知り合いの専門医にすぐ紹介したのですが、手術も叶わず年内もつかどうか、という診断でした。根治は無理ながらも化学療法を始めたところ、さすが彼です。主治医も驚く回復をみせました。学会用にとたくさん写真を撮られたと自慢され、どう返していいかわかりません。外来で抗がん剤を点滴したその足で呑み歩き、禁煙も中止、海外旅行者相手の仕事も再開。2年前の年内どうかのはすが、昨年の正月も、今年の正月も私の家で、いつものように彼の博識と蘊蓄を肴に、知り合いたちも呼んで飲み明かしました。ゴールデンウイークにまた会う約束をしたのですが、連休中は仕事が忙しいということで、会えず仕舞いでした。
数日前の深夜、私は携帯電話で起こされました。某所で男性の遺体を確保しているが、所持品に私の名刺があった、と警察からの連絡でした。某所で私の名刺、彼に間違いありません。
一人暮らしの彼は、荷物を極力減らして小さな部屋で闘病していたことがわかりました。ドイツの青信号の歩行者のデザインの小さな鞄を肩に掛けて、細長い脚で申し訳なさそうに歩いている彼を、すでに鬼籍に入った知り合いたちが嬉しそうに出迎えてる様子が目に浮かびました。
こちらでは、彼が居なくなって困る人はいませんが、たくさんの知り合いが、彼との別れを寂しくおもっています。
スナフキンが去ったあとのムーミンは、きっとこんな気持ちなのかな、とおもいました。