ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

エセー「自己への配慮と詩人像」(二十五)その一/小林稔

2016年06月11日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

詩誌「ヒーメロス」33号の記事から、三回に分けて掲載します。

 

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十五)

小林 稔

 

 48 日本現代詩の源流を求めて

 

萩原朔太郎における詩人像(二)その一

 

詩作における「感情」と「経験」

私たち詩を書く者が、詩という未来を切り開く水路となるべく方向性を見つけ出そうとするとき、己が置かれている現在時での基底が、いかなるものの上に成立しているのかを考慮しなければならないだろう。詩が言葉で構築される創造行為であることを放棄しない限り、先人たちの詩の営みを鑑みる必要に迫られるのは必然である。なぜなら、詩にいつも求められる「新しい何か」は、私たちの現存の立場に立ち批判される、過去への強い反抗から生じるものだからである。

詩集『月に吠える』『青猫』「郷土望景詩」(『純情小曲集』)『氷島』と辿る詩作のプロセスは、詩人が『氷島』に至るための必然であったと感得してしまうのは、あまりにも恣意的な読み方であろうか。『氷島』は言語表現において評価を二分する問題を内包する詩集である。詩的形式ではそれ以後の詩人たちにアンチテーゼを投げかけているものの、詩的精神を考えるなら、『氷島』は普遍的な詩人像を浮き彫りにする詩集と言えるのではないかと私は思うのである。

『月に吠える』初版の序で、「詩の目的は感情の本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである」と朔太郎は述べたが、『氷島』では彼の生きざまを烈しく表出し、詩人の「漂泊する魂」を言葉に託し、哲学的な思惟さえ感得することができる。かつての『新体詩抄』には、日本の詩歌の主要なテーマである花鳥風月を廃し、言葉の構築性を目指し、堅固な思想の上に詩を開花させようとする意図があったはずである。つまり西洋の詩から学ぶべきことは感情や感傷に流されない思想の探求であったのではないのか。リルケが『マルテの手記』で書いた「詩は感情ではなく経験である」という言葉と、「詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである」という朔太郎の主張は、短歌ならいざ知らず、私は少なからず違和感を持つが、当時の時代状況、つまり文語的表現から口語への変換がいかに困難をきわめたかを思い至るなら、さらに晩年の達成を思えば致し方なかったとも思える。詩の「構築性」「思想」と「感情」「情緒」という概念は、朔太郎においては対立するものではなかった。フランス語でsens(サンス)は主に「知覚」を意味する言葉であり、派生語のsentiment(サンチマン)は「感情」を意味し、sensation(サンサシオン)は「感覚」を意味する。朔太郎の詩には「感覚」を駆使した詩が多くあるのだが、それを内省的に主観的に捉え、sentimentalisme(サンティマンタリスム)「感傷主義」的に把握する傾向がある。後にこのエセーで問題にするが、朔太郎においては、普遍的な想念と彼自身の生は切り離されていなかったことと、自己神話化する性向に起因する。

『氷島』は朔太郎詩のある意味で詩的達成と私は言ったが、それは決してポジティブな達成という意味ではなく、西洋詩の模倣から始めた日本の詩が、はたして本当に成立したのかという疑問を、彼の詩業は明確化したということである。その根拠となるべきものには、いまだ過ぎ去っていない現在の詩の問題が内包されていると私は考える。

 

『氷島』の詩的評価

 篠田一士氏は評論集『詩的言語』の「『氷島』論」において、この詩集の評価には賛否両論があり、評価する人は作品そのものよりも詩人の精神のあり方に瞠目し、評価しない人は朔太郎の詩的破産を読み取ろうとすると指摘する。前者は、『氷島』を朔太郎の詩的発展の絶頂とする見方であり、後者は、そこに朔太郎の詩的破産を宣告しようする動きを見るという。河上徹太郎氏や寺田透氏などの評論家たちには前者、三好達治のような詩人たちには後者が多いという。

この詩集に対しては朔太郎自ら述べたエセー「『氷島』の詩語について」がある。「当時僕の生活は破産し、精神の危機が切迫していた。僕は何物に対しても憤怒を感じ、絶えず大声で叫びたいような気持でいた。……(中略)……そこで詩を書くということは、その当時の僕にとって、心の絶叫を言葉の絶叫に現わすということだった。しかるに今の日本の言葉は、どうしてもこの表現に適応されない、といって文章語を使うのは、今さら卑怯な退却(レトリート)のような気がして厭だったし、全くそのジレンマに困惑した」と述べている。篠田氏は『氷島』を最大に評価する評論家であるが、その理由を少しずつ明らかにしていこう。

まず、朔太郎の詩集の中では「一冊の詩集として画一性と完結性を詩人自身が最も意識した詩集」であることである。詩集冒頭の「漂泊者の歌」は、「永遠に漂泊者として呪われた存在であることを意識した詩人が、その心の絶叫をうたった詩である」が、複雑な陰影にみちた高貴さをもっていて、「ある種の懐かしさを呼び起こす楽句のようにぼくたちの内面に直にしみわたる」ものがあり、日本の、どの詩人にも許されなかった輝かしい達成があると篠田氏はいう。

 篠田氏は、二十世紀スペインの詩人ロルカと比較しながら、詩的言語の伝統では全く異なってはいるが、ロルカと朔太郎は同じ姿勢でフランス・サンボリズムに向っていたという。両者から感じられるのはノスタルジアである。ノスタルジアとは「失われたものを自覚することであり、なにもない――失われるものも、獲得するものもないことを意識することだ」と篠田氏はいう。

 朔太郎、西脇順三郎、三好達治の詩業は、近代日本史の中核をつらぬく、ひとつのかがやかしい系譜をかたちづくっていると篠田氏は主張する。それは「近代日本のポエジーが否応なしに直面させられたヨーロッパ経験の深さであり、またその経験から獲得されたポエジーのまぎれもない真正さ、あるいは正統性である」という。篠田氏が詩をポエジーと呼ぶとき、日本近代詩だけでなく、短歌や俳句という伝統詩を含めた詩的精神の総称である。したがって「近代日本のポエジー」というとき、近代詩だけでなく短歌や俳句を含めて述べていることになり、それらが「ヨーロッパ経験」を問題にするという意味になるが、斎藤茂吉を唯一例外として、短歌、俳句の伝統詩は、不思議なことに明治以降のヨーロッパ経験に深く直面することはなかったことを指摘する。つまり本来は、ヨーロッパの伝統を背負った伝統がなだれ込んだとき、日本のそれまでの伝統詩に深刻な事態が起こるのが芸術一般の理法であるが、実際はそうならず、伝統詩の形式を死守した。一方、新体詩以降、ヨーロッパの模倣から始まった日本の詩は、短歌や俳句のような独自の形式の達成は完全にはいまだ実現していないというのである。

 


ギリシア抒情詩の開花/井筒俊彦「神秘哲学」再読(十二)・小林稔

2016年06月04日 | 井筒俊彦研究

井筒俊彦『神秘哲学』再読(第十二回)

小林稔

 

第七章 生の悲愁

 現実の歌――ギリシア抒情詩

ギリシア海上貿易の繁栄は紀元前七世紀に絶頂を迎え、紀元七、六世紀に亘って個人主義の時代が訪れていたことは前章で述べた。これらの時代に支配的文学形式である抒情詩の世界において、政治的社会的生活面におけるよりもさらになまなましく、より一層直接的な形姿の下に検察できると井筒氏はいう。経済生活形態の変遷と同時に全盛期に達した抒情詩は、個性的「我」の覚醒が対決した歓喜の歌であり、苦悩の叫喚である。つまりイオニア・アイオリス的抒情詩は極めて現実性の文学なのである。ロマンティックで感傷的な、現実逃避をする日本の抒情詩とは全く異なるものである。ギリシア抒情詩の主題は現実に対する自らの感情であり思想であると井筒氏はいう。英雄譚を描く叙事詩の夢はこの時代では消え失せ、「今この時代」の真実に直面する詩人たちには、日常生活を反映させ、現実批判を主要目的とするイアンボス調と、叙事詩形式に最も近いエレゴス調に大別されるという。後者では、エフェソスのカッリノスやチュルタイオスがいる。

 

おんみら何時まで惰眠を貪るのか。そもいつの日、猛き心抱かんとするのか。

若者らよ、隣国の民の目を恥もせで

 

右記はカッリノスの詩句であるが、二行読んだだけで厳かな叙事詩的口調が感じられよう。

 

 息絶えつつも最後の槍を投ずべし

そは、戦いの庭に征きて、己が祖国と

己が子供らと、また正しくめとりたる妻とを

あだなす者より護ことこそ男の子たる身の誉れなれば。

 

同胞を祖国のために蹶起(けっき)させようとするこれらの言葉はホメロス的ヒロイズムであるが、截然と分かたれるものは、生々しい、血の出るような現実であるということであると井筒氏は指摘する。遠い昔の伝説的ヒロイズムから現実の切実なるヒロイズムへの転換があるという。しかし、カッリノスやチュルタイオスの現実は集団的、国家的である。そこからさらなる転換、つまり彼らの国家的観点から、個人的観点に移すとき、はじめて古典的ギリシア抒情詩が成立したと井筒氏はいう。

 このような二重の転換を経た詩人にあげられるのが、パロス島のアルキロコスやミムネルコスがいる。

 

 ああ、なさけなきこの身よ、恋の苦悩に堪えかねて

 生きんここちもさらなく。神々は激しき呵責をわれに下して」

 我が骨髄までも衝き通す。

 

右記は、アルキロコスの詩句である。恋の懊悩を訴える、個人的苦痛の直接端的な爆発は、新しい芸術領域のものであるという。

 

 されど友よ、恋のなやみのはげしさに、わが身は窶(やつ)れ疲れはてぬ。

 

多情多感な情熱の詩人の歔欷(きょき)と呻吟(しんぎん)をじかに感得するであろう、直接性、個人的現実性こそがギリシア抒情詩の世界であるという。

 

現実の歌――それがギリシア抒情詩の本質的定義である。(井筒俊彦)

 

 黄金なす愛慾の女神なくして何の人生ぞ、何の歓びぞ、

 死なんかな、かのうるわしきことどもの、過ぎにし夢と消えさらば、

秘めし恋、心こめたる贈り物、愛の臥床。

 ただ青春の艶花のみ、おとこにも、おみなにも

 いつくしまるるものなるを――

 

右記は、「イオニア的憂愁」詩人と言われた、ミムネルモスの詩句である。

 後のローマの詩人、ホラティウスの次のような詩句を、井筒氏は『神秘哲学』の註で引用している。「もしミムネルモスの考えるごとく恋と戯れごとなくしては、世に何のたのしみなしとならば、貴君も恋と戯れごとでお暮しなさい」。ともに享楽主義的人生観が覗かれる。

 

 しかし何といっても、この個人主義的時代のすぐれて個人主義的なものは、レスボス島を中心とするアイオリス人の間に発生した独詠歌唱こそが、全ギリシア文学のうち最も純粋に抒情詩の名に値するものであると井筒氏はいう。

 

 君がその愛(は)しき微笑(えまい)に わが胸の

 心の臓はもの狂おしくときめきいでぬ

 君が姿をほの見れば、声はみだれて

    はや物言わんすべもなく

 わが舌は渇きはて、繊かなる火焔

 たちまちに膚えの下を燃えめぐり

 まなこはかすみ わが耳は

   鳴りやまず

 とめどなく汗はしたたり、妖しき悪寒に

 身はふるえ、蒼ざめしわが面(おも)は

草の葉に色にもまさりて、生きの緒も

絶えんばかりの思ひなり。

 

右に引用したのは、女流詩人サッポ―の「恋の狂乱」である。夜半の静謐を心に映して、孤独の愁いを淡々と歌う彼女の心に、突如、恋慕の情が目ざめる。寄せ来る潮のような恋情の焔は、全身に浸透し、ついには肉体的苦痛にまで鋭化する。女性独特の感受性を持って、悩ましい愛の情熱が把握されていると井筒氏はいう。ここで看過してはならないのは、主観性の確立は主観性への耽溺を意味しないということ。主観性の極限においてさえ、観想的な最後の一線を守っていると井筒氏は主張する。つまり、身も心も苦しみもがきながらも、われとわが身を観察し、「熱火のうちにありながら冷静に、凍結しながら燃えている」という。まさに氷塊のただなかで燃える炎のようにと形容できようか。

 どこまでも人間的現実であり、個にして永遠なるものに達しているからこそ、サッポ―の情熱の形姿は「恋の古典」として後世永く讃美の的となったと井筒氏はいう。「個を通して個を超克」し普遍的なものに翻出しようとするギリシア精神本源の動向が看取されるが、これに踵を接して誕生したミレトス哲学と相距るものではないと井筒氏は主張する。

 アルカイオスやサッポ―のアイオリス抒情詩の主題の「現実」は内面的現実であったが、イオニア抒情詩の主題は人間の外にある生命的現実であった。それゆえ、行動的であり、現実批判に傾くと井筒氏はいう。

 

 ギリシアの憂欝

 井筒氏は、イオニアの詩形としての二つの詩形を挙げる。一つはエレゴスで、「人生の目的について、神の義について、人の運命について、自ら反省しつつ他にまた反省を促す一種の思惟活動であり、人生観、世界観に関するものであり、もう一つは、イアンボスというもので、揶揄嘲弄の詩形で、峻烈な現実批判で、現実に働きかける行動の具であったという。後者にはエフェソスのヒッポナクスやイアンボスの完成者と言われる、アルキロコスがいる。現実の不正不義に向かう人間の救いようもない不幸。ホメロスやヘシオドスにあった運命思想が紀元前七世紀六世紀にギリシア思想界の前面に押し出されてくる。しかしそれは人間自由の問題に他ならないと井筒氏はいう。後にギリシア悲劇へと手渡される人間自由の問題であり、ここではじめて抒情詩人に提出されたのだという。彼らにとっては「運命」は神々の意志、つまりゼウスの意志と同一視された。あらゆるものの根源は神であり、「運命のめぐりあわせが人間に全てを与える」(アルキロコス)のであった。それは「善人の苦悩」の問題は道徳的思想の焦点を人間の倫理性から神の倫理性に移すことだと井筒氏はいう。ギリシア倫理思想上はじめて、矛盾多い人生の実相が、そのまま道徳神学の大問題として呈示されたという。しかし、多くの抒情詩人たちには、現実の惨苦を克服し、人生の尊厳を護符するだけの精神力を持ち合わせていなかったので、ギリシア的生の悲愁、「ギリシアの憂鬱」という途を採ったのだという。

 

 かつて美貌を謳われし人も、やがて青春の時すぎれば

    げにうとましき者となり果つ、己が子らにも、己が友にも。

 

 もろ人にめで愛さるる若き日も

    はかなき夢のごとくにて、ただ束の間に過ぎてかえらず

                   (ミムネルモス 断片)

 

ミムネルモスの抒情詩に見られるような青春の悲嘆は存在それ自身の嘆きを象徴するものであり、万物流転はイオニア的世界観・人生観の基調であると井筒氏は指摘する。

 

地に住む者にとって、こよなく望ましきは、現世に生まれ出ざること、あまつ日の耀いを目に見ざること……されど、ひとたびこの世に生をうけし上は、寸時もはやく冥府の門をクグリ、厚き土塊の衾の下に横たわること」(テオグニス・断片)

 

こうした厭世的無常観は、享楽主義的人生観へと辿りつくものであった。自己の快楽主義を万物必滅の理によって基礎づけるのだと井筒氏はいう。アモルゴスのセモニデスでは、一刻も早く蒙昧の夢から醒めて人生の儚さを悟り、僅かに許されたる青春の時を充分に享楽せよと説教するという。

 こうしたイオニアの詩人たちの享楽主義は、主観的気分を衝動的に表白したものではなく、すでに立派は思想であったと井筒氏は主張する。後のイオニア自然学の始まりとして、人間的現実に対する倫理的反省を一転して、自然的現実に対する存在論的反省となすことに転化させた。人間的行動の倫理性を基礎づけていた「美わしさ」(カロン)の傍らに、「快さ」(ヘーデュ)が人生最高の価値として登場したのであり、ソクラテス、プラトンアリストテレスに至る倫理思想史は、この両者の相克闘争の歴史に帰着すると井筒氏はいう。

 個人主義の到来が享楽主義を招き、イオニア自然哲学を生むことになったが、さらにギリシア精神はもう一つの試練を堪えねばならなかった。

 それはディオニュソス神である。次の章で井筒氏は展開していくだろう。


記憶から滑り落ちた四つの断片/小林稔「ココア共和国vol18」掲載作品

2016年06月03日 | ヒーメロス作品

記憶から滑り落ちた四つの断片

小林稔

 

 

一、聖バヴォン大聖堂

 

礼拝室の一つを鉄の柵が囲んでいる。神父に導かれた私は一人祭壇の前に立つ。

黒衣に身を包んだ神父は斜めに構えて私に視線を定め、おもむろに背を向け両手を祭壇画

の中央の板の切れ目に置き、両腕を左右に広げてみせた。

―闇から赤い衣の座した男の像が浮かび上がる。

左手には書物に視線を落とす女の像。右手には膝に書物を置き人差し指を掲げる、長い髪

と長い髭が顔を覆う男の像。三者ともに頭上から金色の後光が射す。父なる神、聖母マリ

ア、洗礼者ヨハネである。その左右のそれぞれの端、楽器を奏でる少女たちと歌う少女た

ちは天使であろうか、彼女たちの天を仰ぐ、夢見るような視線があった。

 

このガンの静かな聖堂の一角にいる私の脳裏を、歌声がとつぜん響き渡ったが、間一髪、

沈黙が音楽を包み込んだ、すでに遠い日の出来事であったように。少女たちのひらかれた

唇、見上げる視線、呼吸をしているような皮膚を見せているというのに、彼女たちの声が

こちらの世界に届かない。そのさらに端、祭壇画上部の翼部の先端、左にアダム、右にイ

ヴが見守るように彼女たちを挟んで向かい合っている。

細密な祭壇画に魅せられた私は、神父の指が下段の翼部にかかるのを待ち構えていた。

指が左右の合わせ目に忍び込んだと思う間もなく、速やかに神父の両腕は再び広げられ、

緑の色が私の瞳孔を満たし、心に影像を映し出す。陽ざしのような明るさが絵の内側から

放射しているようで「われに目覚める」想いに一瞬にしてとらわれ、旅の途上にいること

を忘れさせるのであった。

次に跳びこんできたのは赤の色彩。深紅の台座に一頭の羊が立つ。胸から流れる血は金の

器に受け留められている。―見よ。これぞ世の罪を除く神の子羊―というヨハネの言葉が

脳裏を走り抜けた。台座を囲む七人の鳥の翅をもつ天使たち。中央に泉があり水が途切れ

ることなく流れている。十二枚のパネルが広げられ、一羽の鳩が中央に舞い細く強い光を

地上に注いでいる。

 

新しく触れる土地から土地を歩いていた私は、永遠という名の書物の一ページを繰(く)るよう

に、踵(くびす)を返し、この祭壇画から立ち去った。

 

 

二、感情の闘争

 

オランダ市立美術館の一階の展示場からつづく階段を昇っていくと、青の色彩が私の視界

に飛び込んできた。額に嵌った一幅の絵が占める空間。ヴィンセントの絵と向かい合う。

色彩が動いている、流れている。悲惨な現実にもまして悲惨なこと、生きなければならな

いという残虐な現実。一人の芸術家の視線が私の脳髄を作動させ、彼の視線に私の視線が

重なり合った。

彼の見た麦畑はメタファーであり、本質は彼の心の裡(うち)に実在した。彼が覗いた心の風景を私

は垣間見た。ナイフの刃の跡を画布に走らせる手の動きが見える。無私性の彼方からヴィン

セントという無疵なる者に与えられた形象。最後に彼が見た崩壊寸前の光景。そうだ、未来

とは過去の反映であり、現在を照らす場所の法則だ。だから未来を夢みる者は現在を空無に

さらされる。傍らに、ヴィンセントへ宛てられた弟からの直筆の手紙があった。

 

「鴉の群れ飛ぶ麦畑」―アーネムからクレラーミューラー美術館までの真っ直ぐな道を私

は歩いて行って、そこで見た「アルルの跳ね橋」の平穏な風景との相違。

多くの思考が「私」の感情に影響を及ぼし、「私」の集合体である他者との相関関係におけ

る「私」ともう一人の「私」の結合、信頼、橋渡しである愛、これら普遍なるものの掌握

を困難にしている不信、誤解、不和、利害、憎悪がそこから生まれる。情報に服従させら

れる滑稽さが暴露され「私」の感情は絶えず他者との接触において自己批判を強いられる。

画家と鑑賞者の意思疎通は、相互の限りない自己犠牲、自己批判の上に成立する。出発は

反抗だ。反抗する者は全てを抱え込むだろう。自己の感情に支配されているうちはほんと

うの出発はない。

 

ヴィンセントはどこに旅立ったのか。感情の闘争に敗れたのか。弟からの経済的支えを失

ったとき、己に向けてピストルの引き金を引いた。黄色い麦畑と、茶色い畦道、緑色の草

むらと鴉の飛ぶ深海のような青空。それらの色の渦が流れていく場所。それは見る我われ

の心の中だ、そこには感情の交感があるのだが、心に映し出された麦畑を、かつてヴィン

セントと呼ばれた男が今も旅をつづけている。

 

 

三、オステンドの海

 

ブルージュからアントワープへ訪れようとしてオステンドに一泊。澄んだ秋空の下、海岸

線がいくつものカーブを描いている。遠浅の海なのか、かなりの沖まで歩いている人の姿

が見える。海の彼方にはイングランドの島が遠くに霞んで見える。

暖かな日であった。陽光心地よくシャツを脱ぎ、プロムナードのベンチに腰を降ろした。

セイラ―服の水兵たちが通り過ぎていった。私は蛇行するプロムナードを辿り宿舎に着く。

海に面してどっしりと立つ古い建物。受付を済ませ指定の三階の部屋に入ると、先に到着

した旅行者のリュックが、いくつも並んだベッドに立てかけられてある。

ベッドに寝ころんで旅の疲れを癒す。扉越しに子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。先ほ

どから始めた、日記帳に走らせるペンの動きを止め、私は海岸の散歩に出ようと部屋を出

た。子供たちの姿はすでになく、幅広の階段を降りて二階の踊り場で身をひるがえしたと

き、手すりを這いあがってくる小さな生き物が私の指に触れた。見下ろすと男の子が肩を

落とし、私の左腕と手すりとの隙間を潜り抜けようとするところであった。互いの視線を

向けたまま重ねた手をゆっくり離して男の子は階上に消えていく。

私は一階に下り、すぐに地階へと向かった。開け放たれたガラス戸の向こう、いくつも並

んだ蛇口の列。足を濡らして忍び込むと、むせかえるような潮の匂いが誰もいないシャワ

ー室を満たしていた。

 

 

四、底のめくれた革靴

 

テヘランからヘラートまで六百キロの道程

途中、メシェッドでバスを降り一泊

せわしげに往きかう群衆

四方から押し寄せる羊の群れのように

通りを流れていく彼らの頭上の向こう

金色のドームがモスクにそびえる尖塔をつき従え

礼拝堂の上にどっしりと戴いている

早朝、イランとアフガニスタンの国境を越えようと

一夜の宿を発ち、再びバスに乗りこむ

昨日から悪寒に襲われ頭が割れるように痛い

一年半になろうとする旅の疲れが一気にあふれ出したというのか

イラン国境事務所で降ろされ荷物検査を受けなければならない

列を作る私は他の旅行者の動きから目を離せない

大麻が見つかれば拘置所に送られるだろう

所持者が他人の荷物にそれを忍び込ませ難を逃れることがあるという

ガラスのケースに、底のめくれた革靴が置かれてある

めくれた底に大麻の黒い粉がこぼれている

国境を越える人への見せしめに展示してあるのだろう

アフガニスタン国境までミニバスに乗せられ再び荷物検査

ヘラート往きのバスに乗り換えた

陽は沈んで闇がバスを吞み込んでいた

 

夜の闇をひたすら走るバスのヘッドライトの灯り

その消えようとする先に動くものがあった

とつぜん大きな影の生き物がバスの前面に立ちはだかる

数頭の駱駝であった

二手に別れバスに道を空けた

車窓から駆けまわる彼らが見えたが

すぐに闇に呑まれて、手前には白い雪が舞う

戻ることが許されない辺境に来てしまったという思い

夢ならばいつか醒める時が訪れるだろうに

帰るべき日本が不確実な存在に感じられて心もとない

街明かりが目的地を指し示す星座のように見えてくる

同乗しているフランス人、ドイツ人の若い旅行者たちが

喜びの声を上げ拍手がやまなかった

 

ヘラートに吹き降ろす朝の冷気が

私の上気した頬をかすめていく

銀行に両替しに出向くと銃を持った警備員が待機する

帰りに寄った、ジャミ・マスジットという、素朴さを残したモスクが美しい

夕方、砂塵が山から降りた風に吹き上げられる中を

薪を買いに出て、宿の部屋の達磨ストーブで燃やす

翌朝、空は真っ青に晴れ透明な空気に満ち

ヴェールを剥されたように

建物、街路樹、歩いている人の輪郭が鮮明になる

たびたび破壊されたという砦を背に

直線状に伸びた道の両側、バザールが延々とつづく

歯ブラシ、写真機、入れ歯、眼鏡、ラヂオ、万年筆、額縁

頁のめくれ立った本、腕時計、義眼、指輪、水晶玉

銅製の水差しが置かれた深紅とオレンジ色の絨毯

喧噪の渦巻く店を離れ、バザールの入り口近くに

布を地面に敷き、品物を並べる、胡坐(あぐら)をかいた一人の青年と視線が合う

明らかにアフガニスタン人と違えた風貌で中国人と直感する

彼の視線に私はどのように映っているのだろう

どんな経緯で彼はここにいるのか

どんな経緯で私はこの土地を通り過ぎようとするのか

互いの宿命を衣服のように脱ぎ捨て抱擁し合えたらと私は胸を熱くする

この街のいたるところに漂う匂い

おそらく人が放つ匂い

土の匂いのするトルコ人と同じく

どこか寂しげな、自己を心の裡(うち)に抑えた人の眼差しがある

日本人はどこかで蒙古からの血筋を彼らとかつて交えていたのか

 

翌日、カンダハールに向かうバスに乗る

頭に白い布を巻いた男たちに囲まれる

足元には壺が置かれ、男たちはそこに痰を吐いた

ついに匂いの発生源の一つをつかんだ

カンダハールでは着いたときから停電に見舞われる

柘榴を買い安宿のランプの下で齧りつこうとして

そこに虫が這っていることに気づき驚く

征服者にいく度も破壊されたこの街に見るべきものはないという

生涯、再び訪れることがないだろうと思えば

立ち去ったばかりのヘラートが妙になつかしくなる

明日はカブールに行くだろう

刻々と意識に足音を忍ばせてくるインドの大地

生と死、現実と幻影の境が坩堝(るつぼ)に消えてしまいそうなインド

一歩一歩わが身を近づけているという感情を皮膚で受け留めて

胸の奥を針で刺されたような痛みに、思わず身震いした

 

 


「ヒーメロス」33号6月1日発刊なる!

2016年06月02日 | お知らせ

詩誌「ヒーメロス」33号6月1日発行

 轍(わだち)――記憶から滑り降りた三つの断片  小林稔

            インド、ネパール紀行

 見舞い   朝倉宏哉

 靴下もはかずに階段を降りて   原 葵

 窓際   高橋紀子

 トイという使者   河江伊久

 長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』   

      日本現代詩の源流  萩原朔太郎における詩人像(二)  小林稔

 編集後記