ヒーメロス通信


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「来るべき詩学のために(二)」のあとがき 小林稔評論集

2015年12月31日 | お知らせ

新刊・評論集「来るべき詩学のために(二)のあとがき

小林稔

 

後記

 

本書は昨年刊行した『来るべき詩学のために(一)』に続く書物として出版されるものであり、今後シリーズとして次々と刊行する予定である。内容的には、やがて書かれるべき私の「詩学」の準備であるが、芸術全般はもとより、哲学、政治、宗教と詩の領野は広範囲に及び、なおかつそれらとの独立を明らかにしていこうと目論んでいる。

 評論は、私にとって詩作と相携えて進むべき「生の営み」の両輪であるといえる。自由に精神を羽搏かせるポエジーに理論は枷となるものであるという考えも一方で存在するであろうが、束縛のないところにほんとうの自由もない。かつて井筒俊彦が『意識と本質』の後記で言ったように、「共時的構造化」を創り出すために「全体的統一もなければ、有機的構造性もない」東洋哲学を、「西洋哲学の場合には必要のない、人為的、理論的思惟の創造的原点となり得るような形に展開させ」たのであったが、私たちの詩の領野においても、かつての先人たちの詩作や哲学の思索を自らの詩作行為に継続させることは少なく、むしろ探求するより早くそれらから解き放たれるべく詩作する場合が多い。しかも、立ち去った場所が、西洋思想に示されるような伝統的基盤のない、つまり統一性のない基底であるならば、反抗も自由もない。まして西洋の思想界から自らの思想の限界の提示が私たちに知らされ、東洋思想の智慧が待たれているのである。

 今回の『来るべき詩学のために(二)』は、前回とフィールドが異なり、同時代の詩人たちの詩を論じ、現代詩の源流をさぐろうとするものである。時期的には二〇一一年の東日本大震災を跨ぐことになり、それぞれの論考に爪跡を残している。詩人は文明のもたらす必然から逃亡することなく、精神の自由であるポエジーの獲得(勝利)を目指していかなければならない。錨を解いたばかりのこの舟旅に、未熟な部分も多々あるであろうが、読者のご教示を待つばかりである。

      

       二〇一五年八月二十日

 


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