ヒーメロス通信


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返礼と祝福

2015年12月31日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

詩誌『へにあすま』41号2011年十月二十日発行に掲載された作品から


返礼と祝福
             小 林  稔


私はとも綱を解かれ海洋に漂う一艘の舟。
寄る辺なき港を探りあぐねては
朝靄の起ちこめるなかに
揺れる波の動きに身を委ねるしかなく
耳を引きちぎる爆音がいく度も鳴り響き
穿たれた視界で事の経緯を知るすべもない。
時折激しい波が舟底を突き上げ
転覆かと命運に身をゆだねることもあったが
なんとか生きながらえている。
いまやそれほど遠方に航路を辿るべきではないと
人ひとは口々にいう、なぜなら
そこからたれひとり帰還した者はなく
虚無を私たちに与えただけだったから
至近の幸せを温めて夢の骨で礼賛すべきだという。
だが死者たちが退去した空より
とめどなく落下する無常の破片を
返礼もせず土にもどしてよいかと自問する。
遠方に言葉を訪うべきではなく
廻りきた命をみなで祝福すべきだ。
意味の地上で謎解きを迫られた私たちは
可能な限りわかりやすく読み解いていく。
地殻の転変におびえる日々の
波止場は言葉で氾濫し、
肉体に刻まれた記憶を反芻する。
いまはうしろに人影見えぬ孤絶の未路に
氷島を切り裂きつき進んでいく
なぜにおまえは誹謗と中傷のなかを。

舟よ、おまえの曳く航路を追う者はいない。
日常を即座にたたんで帆を揚げるには
強靭な刃を研ぎつつ隠しもつ凶暴さと
呪文を授ける杖の魔法が必要だと人はいう。
壊れやすいひとつの肉体が背理する
不確実なこの世界を仕留める執着と離脱。
ひとは己の死を知ることはできない
ならばおそれず舟を漕ぎ進めよう。
そこには私の生のすべてと汲みとられた
書物に記したすべての詩句がある。
他者と私をかろうじて貨幣がつなぐように
指の隙間からこぼれる砂の言葉を置こう
たとえ漂着した岸辺が私のたましひの
生誕の地であると知るとしても。



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