ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

轍(わだち)ー記憶を滑り落ちた三つの断片/その二・小林稔

2016年07月07日 | ヒーメロス作品

轍ー記憶を滑り落ちた三つの断片/その二・小林稔

二、分岐と共有

 

  「さあ、修行僧たちよ。わたしはいまお前たちに告げよう、――もろもろの事象は過ぎ

去るものである。 怠けることなく修行を完成させない。久しからずして修業完成者は

なくなるだろう。これから三か月過ぎたのちに、修業完成者はなくなるだろう」と。

    尊師はこのように説いたあとで、さらに次のように言われた。――「わが齢は熟した。

わが余命はいくばくもない。汝らを捨てて、わたしは行くであろう。わたしは自己に帰

依することをなしとげた。汝ら修行僧たちは、怠ることなく、よく気をつけて、よく戒

めをたもて。その思ひをよく定め統一して、おのが心をしっかりとまもれかし。この教

説と戒律とにつとめはげむ人は、生まれをくりかえす輪廻をすてて、苦しみも終滅する

であろう」と。(大パリニッバーナ経 第三章五一 中村元訳)

 

 商店が所狭しと軒を並べている大通りに人びとがあふれ往来している。人々の投げる眼

差しは温和で、インドで見た雑多な民族の鋭いそれとはなんという違いであろう。仏教徒

本来の優しさが感じ取れるようであり、次第により近く日本が迫ってくるように感じられ

たのであった。ヨーロッパのさまざまな国、アフリカのモロッコを彷徨した後、それらの

文化の終結地、パリの屋根裏での滞在、Aとの日本での離別とパリでの再会、そこからイ

ギリス、イタリア、ギリシアからトルコと、イスタンブールから東へ東へと向かった私の

一連の旅は、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドへと刻んだ足跡を、私の記憶

の渦中に置き去りにして、老いに向かう時間の高波に翻弄され、いまも生成をしつづける。

「書く」という祝福とも悲惨ともいうべき「宿命」に身を任せながら、人生の終わりまで

止むことはないであろうと思い定める。

 

 十二月ともなれば寒いのは当然である。衣料品店を覗き、ヤクという動物の毛で織った

ショールを買い求め、首から胸を包んで歩いた。この一枚ですっかり土地の若者に変身で

きた気になれるのが不思議である。彼らと見間違えられるほどに長旅で服装は汚れていた。

私たちの視線は還るべき場所をなくした人のようにどこか虚ろであったが、ネパール人と

血の近しさを感じたのであった。ヨーロッパからの貧乏旅行者も多く見かけたが、彼らに

は異文化体験の地であり、私がヨーロッパで感知したものと同様であったであろう。

 

 ハヌマン・ドーカという宮殿があり猿の神様の彫像が私たちを睨んでいる。通りを挟ん

で生き神に選ばれた少女を住まわせる習慣のあるクマリ・デヴィと名づける寺院がある。

ヒンズー教の寺院であろうが、インドのそれとはなんという違いであろうか。黒の木彫り

の窓枠がどこか日本の民芸品を思い起こさせる。渇いた土の匂いを感じさせる美学は、こ

の国独自のものだ。インド人の視線は彼岸に注がれているのに、ここではすでに彼岸に辿

りついた人の穏やかな視線と感じられる。それは彼らの造った真鍮の、大きな頭を傾けた

黄金(きん)の仏像に表象されていると思われた。

 

パタンは首都カトマンズから数キロ離れたところにある古都である。その張り巡らされ

た路地を抜け出ると石を敷いた広場があり、そこを囲むように二重の塔、三重塔がつつま

しやかに姿を見せている。Aと私はそれらを見て廻る。私たちの旅の終わりに何という似

つかわしい光景だろうか。かつて訪れた興福寺や法隆寺を思い起こした。放浪を重ね辿り

ついた私たちにもろ手を挙げ、大きな胸に抱え込んでしまいそうな存在に感じられ、きつ

く締めた紐の結び目を緩めてしまいそうで、いっそう胸が締めつけられた。Aはこらえき

れず涙で頬を濡らしている。喜びと哀しみに同時に襲われたような感動が私にあった。源

泉を同じくする異文化と言うべきか、一つに共有されるものがあり、しかも道を分(わ)か違(たが)え

しなければならなかったという宿命。互いに異国人であるのは偶然に過ぎず、その、私た

ちを結ぶ闇の彼方、歴史の長大な時間と空間を突き抜けて、眼前に見えるものを通して、

感覚が奔走したような経験であった。それを証とする言葉が、私の中から生まれ出ようと

もがいていたのである。こうして旅の営みを観想する、四十年後の私もまた――。

 

パタンからさらにバスに乗りパドカオンというもう一つの古都を訪れた。王宮の茜色の

土壁にいくつもの黒い木製の窓が嵌め込まれ、いっそう郷愁を呼び起こす光景である。こ

のかつての王宮は現在博物館として使用され、密教の曼陀羅が展示されていた。王宮広場

を囲む煉瓦のいくつもの建築物と寺院、それらを通り抜け交差する道の佇まいを透視する

私の眼には、私の放浪のすべての意味がここに凝縮され具現化されているように映った。

見えるものが私の旅の思考に内省を強く要請しているようであった。

 

――父よ、ぼくは旅に出ようと思います。あの山、この海の向こうに、ぼくの知らない

世界があるといいます。どんな人々が暮らしているのかを見たいのです。

――おまえのような臆病者が行けるところではないだろう。

父は息子に笑いを返したが、自分が遂げられなかった若い頃を思い、わが子の決意を誇

りに思うところがあった。そして長い旅から故郷に戻った息子を喜び迎える父に息子は心

を移さず、直ちに踝を返し再び旅発つのであった。

パゾリーニの映画「アラビアンナイト」の、この一場面が私の旅立ちを後押ししたので

あったが、「 書く」ことを求めつづける生の「真理」から考えるならば、この話の意味す

るものは何かを、私はこれからも探しつづけるだろう。

 

人生は旅の途上であるという諦念にも似た想いで輪廻を体得している人の、全ての物象

に対する一期一会への想いが彼らの物を見る眼差しから感じられた。おそらく風土が彼ら

の宗教心を育み、町の外観を構成し、彼らの表情を変えたのであろう。中国人とも日本人

とも違う彼らの慈愛の眼差しは、旅人がこの世を見つめるそれなのだと思った。日本に帰

りたいとしきりに願うAの眼に映るこれらの光景はどのようなものだったのであろうか。

横浜の埠頭で、私の出発を見送ったAのその時の想いと、私の身を案じて一人パリにやっ

てきた時の想いを、これまで私は深く考えてみることはなかった。そのAが自分を喪失し

たと嘆いているのであった。

 

「私は何を見て、何を感じ、どのように変わるのかを見とどけよう」と旅の日記に、ある

日の私は書き留めた。旅の途上で旅を思考する、それは思考する自分を観察するもう一つ

の眼差しをもちつづけることではないか。旅で出逢う事物の深みに思いの錘を降ろすこと

だ。旅から帰還しても私の旅は終わらないだろうと思った。人生が旅である限り、私を見

つめるもう一つの眼差しは絶えず存在し、事物の意味を解き明かそうとするだろう。水の

ように流れ行く時間の中で、自然と出逢い、事物と出逢い、その表層が見せる美こそが存

在の本質ではないのか。それゆえ世界は生きるに値するし、旅人の事物に注ぐ眼差しには

惜別の哀しみがある。存在の本質は問いをいつも含んでいて想いを流離(さすら)わせなければなら

ないのだろう。そして、いつかついに存在の深みで虚無に出逢うのだ。



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