詩ー榛(はしばみ)の繁みで(二)
小林稔
二、空
ぼくたちの日常を、そこでは人に好意を抱いたり憎しみに身を引き裂かれたりし
ているのだが、すべて包み込んでいる空があった。十歳にならないころ、ぼくは
麦をいちめんに刈り取った畑の真ん中で、雲雀(ひばり)の鳴き声を遠くに聞きながら眠り
についてしまった。気がついたときは辺りが薄暗くなり始めていた。畑の向こう
に民家が孤島のように点在する風景がまどろむ瞼にも見えたし、その先は黒い帯、
(おそらく庭木や森の樹木)が地平にコンパスをひろげて張りめぐらされていた。
帰ろうと立ち上がり歩くと、あのうろこ雲がぼくを追ってきた。空は地平の果て
にもつづいている。夕日に映えた空は血を滲(にじ)ませ、おまえを襲うぞという脅迫を
与えたし、空が落ちてきてのみ込まれてしまうというぼく自身の恐怖でもあった
のだ。誰も助けてくれる人がいない(その後、何度そう感じたことか!)、そう
した孤独をぼくがはじめて身をもって知ったときだった。
十四歳になったころ、庭から見上げる夜の空は静まりかえっていた。以前の、恐
怖を圧しつけた夕暮れの空ではなかった。この世の事象をすべて闇で蔽(おお)っている
空であった。昼と夜の世界があって二つの領域をぼくはこれから生きていかなけ
ればならないのだ。この空で煌(きら)めく星たちにも孤独というものがあると知ったの
であったが、そのとき空は孤独のもつ峻厳(しゅんげん)と勇気をぼくに教えてくれた。
現象の世界と永遠の世界を所有するぼくたち! じつは同じ一つの世界に過ぎな
いのではないか。というのも、現象は永遠のただなかにしか存在しないからだ。
昼の孤独を嘗(な)めつくすさなかにあの金色の光を煌めかせる強靭(きょうじん)さは、無数の傷口
(そう、騙(だま)しあい裏切られ、時に他者や自分を打ちのめしたいほど嫌悪するぼく
たち)が、それぞれの角度に光を放つ鉱石のそれではないのか。その光は、ぼく
たちの胸の深海の波が空を、鏡にして写す海面から超え出ようとする言葉たちだ。
copyright2015以心社・無断転載禁じます。
大空大好き!
みんなのブログからきました。
よろしくお願いします!