ヒーメロス通信


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詩「摂理」榛(はしばみ)の繁みで(三)小林稔

2016年04月12日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

『摂理』詩誌「へにあすま」42号2012年4月15日発行


摂理 
小林 稔


舞台は廻(めぐ)る、一刻も止まることなく! 作動させているのは時を司る地
獄(ハデス)の王だ。昔あった雑駁とした路地裏の入り組んだ道が現われてはフ
ェイドアウトしていきながら、幅広い舗装道路が真っすぐ貫いて走る、その両
側にプレハブモルタルの家家がこちらに顔を向けている。どこか見覚えのある
男が五十年の歳月を凝縮させて私を見やる。そう、彼は私とおなじく舞台の左
手の袖に少しずつ追いやられているのだ。まだ二十年、三十年演じつづけるだ
ろう。脇役を命じられて。いま私の透視する一幅の風景に永遠なるものはどこ
にもない。

反対側の袖からは幼児たちのはしゃぐ声が絶えない。あの男の親たちは、かつ
ての舞台の左手の袖で闇に幽閉され、骨片だけを残して消えた。かろうじて人
々の記憶という慰安所を仮の住まいに定め、忘れられないことを念じているが、
記憶は時の経過で薄墨のように輪郭から鮮明さを奪われ、闇に打ちのめされて。

舞台は廻る、一刻も止まることなく! いま目にする光の射した舞台はつぎつ
ぎに張り替えられる。演者にして観客である私たちもまた。何一つ誰一人留
(とど)まれるものはなく、留まれないという定めこそが留まりつづける。舞台
の袖から袖まで百年にも足りない時間の広がりに、喜びも悲しみも、怒りも絶
望も、慈しみも憎しみも、ぶつぶつと泡のように生まれ泡のように弾けている。

私たちがこの舞台からの退場をよぎなくされたあとも、廻る舞台はそこにある。
光に照らされたその舞台で死の刻印を授けて私たち死者を見送った人々の演じ
る世界だけがこの世の世界。しかも絶えず廻り変わりつづける世界だ。天変地
異や病いで命の順列を崩されることもある。なんという残虐な摂理だ。人は誰
であれ人間の死を止めることはできない。他者の死を救出することさえできず
に、人はいずれ舞台の袖から奈落へと退散するしかない。

すべては変貌する、何一つ同一なるものはなく! 不意に記憶から過去の事物
が( 過去は不変であるはずなのにいま生まれようと息づき始めた! )私の現
在に立ち上がり占拠する。私は書く。不動なものを求めて。死すべき私は永遠
を奪還するための網を張る。つまり言葉を紡いでいるのだ。


連作「榛(はしばみ)の繁みで」より



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