ヒーメロス通信


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蛇と貨幣・小林稔詩集「砂の襞」2008年刊より

2016年05月24日 | 小林稔第7詩集『砂の襞』

小林稔第七詩集『砂の襞』2008年 思潮社刊より


蛇と貨幣
小林稔



闇から浮上する他者のまなざしは
解析され 微分されようと触手を展げる
死者と生者がなだれこむロータリー
砂粒のように渦巻き やがて一直線に川辺に急ぐ
その川の泥水でなら覚醒するだろうと信じている彼ら
昨日 老人が一頭の牛を操り 荷車を曳き
今日 牛の曳く荷車が老人の死体を運んでいく
円環する「時」に八百万の神々を統べる太陽神
自らの尾を呑みこむ蛇 われらの命の再生がある
万年雪の岩盤から溶解する それぞれの一滴が整合し
傾斜を落ち 湾に辿り出て海洋に注ぐだろう

貧者は神々にとり巻かれ 片足を引きずり
血の色をした花びらの舞う四つ辻を通る
スコールのやんだ舗道
焼けついた土の肌で
富者に 貨幣の循環を授かるべく
鋼鉄のような腕を差し出す
手のひらの金貨を眉間につける
貧者のまなざしは 天の
青い紙のような空に向けられた

草木も育たぬ対岸の地
行き場をなくした霊たちが浮遊している
朝霧に隠された地平と 空の境から太陽が昇りつめる
群集が泥水に鼻までつかり 礼拝する此岸
焔に包まれた遺体の薪からはみ出した足が 引きつった
親族の嗚咽が煙とともに舞いあがり
川のおもてを滑っていく死者の霊がある
そびえる石の寺院の壁に にじみ出る読経
僧侶の声の数珠が 輪廻から弾かれることを願う
骨は水底に掃き出され 魚たちは灰を食む

(あの石段に棄てられた男の子の
なくなった両手両足を なんとかしてくれないか
切断されるまえの指を返してくれないか)

窓のない部屋の 両開きの扉を開けると
猿が屋根伝いに跳びこんで侵入し 屑篭を狙う
昨夜から大麻の幻覚に
意識の臨界を見えなくした友は
自己をそがれたような痛みに耐え
私を見ては目じりに涙を溜める
どこに還るというのか 旅の道で
抜け穴の見つからぬ悪夢に酔いしれるだけだ
天井の羽目板に吸いついた大ヤモリが
新来者の友と私を威嚇する
耳朶で海鳴りのように繰り返す読経
死体はこの街で焼かれ 川を下り神々に抱かれるという
ならば 生者こそが悲惨なる存在
まなざしの他者が住まう魂の住処であろうか
友と私は暗闇を歩いて渡し場に着いた

 舟には人だかりがあり
 艪の灯火で 眼球が舟底に散りばめられた
 水をゆっくり分けて対岸へ向かった


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