ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

佐々木英明「若いおんなと老人」、季刊『ココア共和国』vol.92012年3月1日発行

2012年03月23日 | 現代詩提言

贈られてきた同人雑誌から

 細長の、かなり手慣れた編集でつくられた洒落た雑誌である。秋亜綺
羅氏の個人誌だが、毎回寄稿詩人の詩を掲載しているようだ。
 
 冒頭に登場する佐々木英明氏の詩について考えてみたい。
 小詩集「若いおんと老人」として九編の詩が並んでいる。
 「詩は生の変革である」と詩作を始めた私にとって、彼の詩はどのよ
うな意味を持つのであろうか。最初の詩「星の向こう」を見てみよう。

 
 しづかな
 暗い野にたって
 ぼくは星をながめてみおう
 星はぼくらのバニシング・ポイントだ
 ぼくらに知覚されてあるもの
 ぼくらに感覚されてあるもの
 また内なるできごと
 それらの交感
 すべてが
 あの星のきいろいかがやきのうちに消失する
               「星の向こう」最初の10行

 こころよい静かな語り、人を優しい気持ちにさせてしまうような詩句
が平仮名を多用し、言葉の配置を気づかいながら行分けをしているのが
わかる。つまり視覚的にも文字面の美しさを気にかけているのだ。また
朗読にも耐える詩であり、読み手はおそらく心の中で黙読しながら読み
進めていくであろう。レイモンド・カーバーの文章を思わせもする。
 
 だがそれがすべてのおわりではない
 あの星の向こう
 はるかかなたに投影されたぼくらの世界
 そこでぼくは
 ぼくらのなかからきわだってきいろく
 それでぼくは
 ここにいるぼくより少しだけしあわせだ
 未来というものが
 ここでより少しだけ手触りがよく
 ざら紙のコミック誌のように
 そこでぼくは
 ぼくらのなかからきわだってきいろく
 少しだけ
 ここにいるぼくより不自然にわらう
               「同」11行目から最終行

 星の向こうの世界は現実に感覚される世界の消滅した後の世界だから、
夢想の世界、理想化された「ぼくら」の夢見る世界であろう。人を恋し
たとき、その人へのいとおしさは詩的な世界へ羽ばたかせるものである。
もぎ取られて久しい背の羽の付け根のうずきを感じるときの、せつない
想いである。いましばらくの詩人の陶酔に読み手も酔いしれるだけなの
かもしれない。

 「ふれえないもの」という、夢見る人が現実を見つめた詩も小詩集の後半にある。

 ひとがこわい
 ひとのなかに棲んでいるものが
 めくれた皮膚から噴き出してくる
 それを見るのがこわい
 風やひかりはぼくを守ってくれない
 それがどんなに分厚くできていても
 ひとが剥き出しにされるとき
 ぼくはひとの前にひきずり出されてしまう
 生傷を 皮膚を押しつけあい
 ぎりぎりの痛みにたがいに耐えようというのだ
                 「ふれえないもの」1行目から10行目

 理想の世界から現実の世界に連れ戻されたときの、「人の内部に秘められ
たもの」とは何だろう。「生傷を 皮膚を押しつけあい」という表現に私は、
愛の究極における姿を見てしまうのである。ほんとうの愛とは、夢を見つづ
けることではなく、「剥き出しにされた」互いの自己から眼を逸らさず戦い、
肉体をぶつけ合い勝ち取られるものであると私は思うからである。
 
 残忍なよろこびに口を歪め
 それが生きることだと
 あいての目をおびやかす
 ぼくはどこにも破れたところのない
 風とひかりをまとって
 けっしてふれあうことのない
 あなたがたのまったき他人なのだ
                 「同」13行目から最終行

 このように閉じる詩人、佐々木氏はいつまでも夢を見ていたいのだ。
 表題にもなっている「若いおんなと老人」には願望から架空の物語
を紡いでいく。そこが読み手から見た彼の詩の魅力であるが、繊細で
優しい表現の詩の限界でもあろう。


コメントを投稿