ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「パトモス島の旋律」 小林稔詩集『砂の襞』2008年(思潮社)刊より

2016年02月01日 | 小林稔第7詩集『砂の襞』

パトモス島の旋律      

 

             口にはつき出たもろ刃の剣 真鍮のように輝く脚で立ち

             太陽のように燃えた顔の雪のように白い神の子がいた

             天空には七つの封印をした巻物を携えた神がいて

             目で満ちた六つの翼の四つの生きものと金の冠をかぶった

             二十四人の長老たちがいる その間には

             七つの角と七つの目の子羊がいて 七つの封印をつぎつぎに解く

                                                      「ヨハネの黙示録」

 

  一

ピレウス港から一日費やして船は

ようやく闇のパトモス島に辿りついた

ぼくたちは砂浜に身を横たえ 夜明けを待つ

山の稜線が空に見え始めると

船着場の裏手から島を貫く一本の道があった

蜥蜴は岩石にしがみつき口をあけて陽を食み

猫は尾をふるわせ石垣に触れながら足を運ぶ

ヨハネが黙示録を書いたという教会にぼくたちはいる 

この世の終末は 愚鈍なわれわれの遺伝子に刷り込まれ

時は廻り廻って いくたびと甦る機運を窺っている

 

ゼウスもキリストもいなくなった二十世紀の終わり近くで

裸体を晒したぼくたちは 魚のように泳ぎ呼吸する

全身を焼く太陽にひざまづき 海の青に染められる

海岸通りを一つ入った裏の道でムサカを喰らい

ワインで浮かれた島の人たちの手拍子で踊る

宿舎への暮れかけた道をゆっくり辿ると

三叉に別れる道の角 カフェの中庭から

老人たちの奏でるリュートと太鼓の調べが流れた

アラビア風の響きに心がかきたてられる  

かつて島が辿った文明の揺籃に想いを廻らしながら歩く

人家の途絶えた道を照らす月と空を金色で塗りつぶした無数の星

一日の終わりを こんなにも安らかに迎えて眠りにつけるとは

別れが音もなく滑り込んできていることを知らずに

 

 

   二

二十七年後の晦日 負債を抱えたぼくは君の家に急ぐ

雑草の原にそびえる十三階建ての四角いそれぞれの窓に

老後のための貯蓄に備えた つつましい生活と従順な人生がある

かつて差し出された救いの綱を ぼくはしかと握りしめたが

今は正義を盾に君はてのひらを返して ぼくを懸崖から落とそうと

己の善意を否定する 君もまた例外ではなかった

 

青春の放蕩にくさびが打たれた日

善意が悪意に一瞬にしてすれ違うのを見ただけのこと

それでも悠然と構えたぼくを 君は腹立たしく見ているのか

遠い昔に起こったことごとの跡を

ふたたび辿ることを強いられた新世紀の始まり

ぼくの残された時をもてあそぶ権利はだれにもない

――ひとりさまよう老境のぼくが透けて見えるか



コメントを投稿