轍ー記憶から滑り落ちた三つの断片/その三
小林稔
三、飛行場
首都カトマンズから、土地の人がそう呼んでいる「スイスバス」に揺られ、ヒマラヤ山
系の麓にあるポカラという村に向かう。途中、チベット難民の住む集落を通過し、十時間
を超えてようやく到着した。山道を踏み行ったところに湖があり、安宿が点在していた。
紐を額で止めて荷を背負う女の人に出逢ったが、旅行者の姿はなかった。いくつかの宿を
廻り、その日の安宿を決め、荷物を降ろして外に出れば、夕日に照らされて白い稜線を赤
く染めた、アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルなど八千メートルの山々が、私たちの眼
前に迫っていた。
静寂を打ち破るようにリズムを刻むドラムと電気ギターがはちきれんばかりに響き、私
たちのいる小道に届いた。ビートルズの『アビーロード』であった。東京のアパートの一
室で全身を奮わせた「Come together」で始まるアルバムがこの場所で聞けるなんてまっ
たくの驚きである。少し離れたレストランの明かりから流れてきているようであった。そ
れにしても山々の夕映えの遠景と不思議なほど溶け込んでいる。レストランに近づいてい
くと、働いている三人の少年たちに囲まれ、私たちは旅の行程を尋ねられた。
翌朝、空き地に滑走路があるだけの飛行場と、その周辺に小屋をいくつか並べている店
を覗き歩いた。果物を置いている店の奥の暗闇から光を放つ少年の瞳に出逢う。私はなぜ
か胸に傷を負ったような痛みを感じたが、互いの宿命と言える「時と場所」を超えて、祝
福すべき交わりの予感であった。所詮、私の笑うべき恣意に過ぎないのだが、この少年の、
誇り高く無垢な眼差しが私の心に反射させたものとは、旅をする私自身の不幸の証であっ
たのか。私は夢を見ていたのだ。その場所からすぐに離れたが、これからの人生で、この
とき私を見つめていた、あの少年の眼差しにいく度も呼び戻されるだろうと思った。
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