ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

さすらひという名の父・小林稔

2016年07月05日 | 小林稔第7詩集『砂の襞』

さすらひという名の父
小林稔



リヤカーを引く手がゆるんで 父は坂をすべり落ちていった
これは 母が私に語った言葉だ
商いをしていると 
おもしろいようにお札が入ってくるときがある
これは 父が私に語った言葉だ

家族をもち仕事をし 家を建てた父は
躯の自由がきかなくなって 窓から空ばかりを見ていた
父の歩いてきた道に 大鴉の群れがあらがった
一握りの貨幣に鬻いだ一生は
たとえそれが莫大なものであったにせよ
死滅をまえにして泡のようにはじけた
男に起因した子供というものほど不確かなものはなく
躯の痛みをともなわないゆえに
心の痛みは癒されることがない

父という鏡のまえに立つ
腐蝕した肉体 神経の森に
道が血管のように這い廻る
夕暮れのきんいろの燭光に焙り出で 旅する私がいる
父とならなかった私の 流浪する世界の果て
ここに父のたましいはなく
ぼろぼろになった肉の破片が 砂粒になる
歩いて闇に足をすくわれ
木々は輪郭を夜にとられ
闇に瞳孔をひらき 私はひとり地をさまよう

死のきわに父は別れを告げず
その重い仮面をひらりと脱いで
たちまち透明になって消えた
(死とは生ける者の観念に過ぎぬ)
たましいはたましいの領土に還るというのか
なんという奥行きのない紙のような中空にうごめく
形象とも文字ともつかぬ きんいろの微細な線のゆらぎ

私の躯を廻る父の血
その私の血を 私の息子に授けなかった
生殖を怠り 世界を父と命名した
私の罪ははかりがたく
ゆえに 言葉という杖を携える私の
父という名のさすらひは終わらない