ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「腸をくわえる少年」 小林稔詩集「夏の氾濫」より掲載

2015年12月24日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

小林稔第四詩集『夏の氾濫』以心社(旧天使舎)1999年6月30日刊行

腸をくわえる少年
小林稔


薔薇の飾りのある額縁が 室内の出入り口の扉であった。
踏み込んで向こうの闇に消えてしまう君を 追いかける私は
閉じた硝子戸のまえで 昼の記憶をなくしてしまう。
毎夜 闇に浸される君の部屋を訪れたことはない。

君は蝶を呼んでいるのだろう。
寝台の白いシーツに包まれて眠る君の
吐いた息が闇に満ちているだろう。
シーツから伸びた褐色の四肢を
蝶が付着して 君は幸福な夢を陶酔しているのだろう。
君は衣服を脱ぎ捨ててもダンスシューズを履いていると仮定する。
跳躍自由自在。
片足を額につくまで上げている君を写す鏡のまえで踊っているのだろう。
あまりにも突然に倒れる夢を君は見ているのだろう。

(海辺をぼくは走っている。)
(太陽光線が ぼくをさらってしまいそうなくらいきつい。)
(空は青く海は青くぼくの体も青い。)
(あなたの眼差しから逃げられないからぼくは必死で走るのだ。)
(昼の裏側に辿り着きそうになるまで。)

腕が不安定な曲線を作って ほころびたTシャツを胸にまとわせ、
古着の綿パンに脚を通させると
君の斜め頭上から鈍い稲妻が洩れる。
右腕を水平に上げ指に挟んでいるのは腸=蝶だ。
コレクションの人体模型から剥ぎ取った。
君が全身の筋肉を張りつめるとベルトが外れ
ズボンが腰までずり落ちるので
折れた槍のようにペニスが垂れてしまうのであった。

三人の君が闇のなかで絡み合っている。
蛇のように密着して接吻するAとB。
CがAとBを背中から交互に抱くと
いつのまにかAとC、BとCは入れかわる。
愛し合い一つに溶けた君は蝶をくわえる少年の姿を硝子に写して
額縁を跨ぎ 蛍光色を浴びようと街を彷徨うから、
私のコードレスが君の受話器のベルを鳴らしても
君の部屋の闇を白けさせてしまうのだ。


★題名を金子国義氏の画題から拝借した。


「夏の扉」 小林稔詩集『夏の氾濫』より掲載

2015年12月18日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社1999年刊より


夏の扉
小林稔

髪を濡らす雨のしずくが背のくぼみに落ち

スニーカーの底も水びたし、

走りぼくの全身のぬくもりで

シャツの胸もとから皮膚の匂いがたちこめたけど

あの道の角のくちなしの花のせいかもしれない。

あなたと離れていると

ぼくを包んであるあなたの気配にたたずみ

聾唖(ろうあ)のように 心の扉を閉ざしてしまうんだ。


    私の部屋の錠をこじあけたのは君だ。

    鉄のように沈んだ私の心の水底に

    突如、光が射したのだ。


いつも時間はあなたの側で流星のように去ってくのに

ぼくは何度この道を辿りなおさなければならないのだろう。

雨水に喰らいついてぬかるんだ泥の道を転がっていたい。


    私は直ちにペンをとろう。

    君は私の足跡の踵に親指を踏んで

    私の持間を辿るだろう。君は私から世界を築いていくだろう。

    私は君の新鮮な朝の地平から幾たびも君と旅立つのだ。



あなたの家が見える。

いまは雲を割って光が屋根に射している。

雨滴が きのうまでのぼくを脱ぎ捨てた。

あなたの胸に走って、あの日の時間をつなげなければ。

友もいらない父母もいらない、あなたの腕さえあれば。


    いつかは君は知るだろう。

    この世のことは泡のように消える比喩なのだ。


    私は花びらをむしり取るように記そう、夢見られた生命を。



愛されているのに哀しみにおかされるのはなぜ。

愛しているのにせつなさに泣きたくなるのはなぜ。

あなたの記憶が ぼくの体に染みて

別れの挨拶が嘘になってしまう。

茜色の空に水の流れが触れて

あなたを納めた棺(ひつぎ)が運ばれていく夢を見た。

あなたの胸でぼくの幼年のころにまどろんでいたい。


    行こう、君の扉を壊して

    肉の震えのままに夢を夢見よ。

    ともに歩む道程で私は朽ちるだろうけれども


    君の足音は私の耳にいつまでも響くのだ。

    いまこそ書き留めなければならない、

    鍵盤を指でなぞるピアニストのように。


あなたの家の扉につづく石段を踏んで行くと

追憶が洪水のようにあふれ

夏の風を吸って ぼくは立ち止まる。

チャイムを鳴らせば 扉の硝子にあなたの影が映るだろう。

それまでは 破れそうな心の糸を思いっきり曳いて。



copyright 1999 以心社
無断転載禁じます。


「終わりと始まりと」 小林稔詩集『夏の氾濫』より掲載

2015年12月18日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社1999年刊より


終わりと始まりと
小林稔

波動が周囲に揺れをおびき寄せ、

君を捕らえたときの私の胸を震わせているのに

君はいない。

いったん曳いた潮が記憶の糸を海原に靡かせているのに、

そいつが再び私の胸に満ちてくるから、

重力をなくした私の肉体が不在の君を握りしめている。

外套を脱ぐように輪郭を

与え合ったのだから

一刻も早くこの郷愁に別れを告げなければならない。


君の微笑は蝶のように舞い上がって私の目蓋に消えていく。

失速する未来への想いに胸が引きちぎられ

目覚めると 君の名を呼ぶ。

君は薄闇のどこからか現われるから 私も微笑する。

幻影の君が微笑しているのか、微笑している私が幻影なのか分からなくなる。

でも 目覚めるのを終わりにするわけにはいかない。


踵をくるりと返す君の素足の指先から まっすぐに道が伸びている。

たよりなく静かな足音を響かせ、白い空の境に去っていくだろう。

その道は私の故郷へ続いていて、君が擦れ違うと

私の記憶が一つ一つしおれていく。


君が背を向けた道を私は辿らなければならない。

道端の花が私の足元で咲くと、君の匂いが立ち込めてくる。

かつて君を包んだ私の指が、唇が、眼が、胸が、君のかたちをさぐり直そうとする。


     (昨日のまでのぼくをどこに置いてきてしまったのだろう。)

     (ぼくを呼んでいる声がする。それは道の向こうから聞こえてくる。)

     (あなたは誰?)


いつか君と逢えるときがあるなら、この道の果てではないのだろうか。

白髪の老人が私と道端で擦れ違った。

私には覚えがなかった。

老人はしばらく私を見つめていたが、

やがて私が進む道と正反対の道を歩いていった。



copyright 1999 以心社

無断転載を禁じます。


「群れのなかで彼より美しい者はいなかった」 小林稔詩集『夏の氾濫』より

2015年12月15日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

小林稔第四詩集『夏の氾濫』(旧天使舎)以心社刊1999年6月30日

 1994年、一人の若者との宿命的と感じられる出遭いがあり、意思を砕かれたことから始まる。(後記より)


群れのなかで彼より美しい者はいなかった
小林稔

E駅の改札を出て 左手のコンクリートの柱に
身長165センチメートルを凭れてタバコをくわえている君を
私の瞳がとらえたのは
二十年前 君が私の住む町の程近くで
この世に命を授かってからの初めての一瞬である。

おとなびた仕草は それだけで
上着を脱ぎ捨てたばかりの少年の抜け殻を想起させて
君の短い髪は風になびいているように後ろに流れ 前髪も流される
君の光る黒い 微笑んでいる瞳は
私の心臓を一撃する銀製の針であった。
汚れたTシャツと芥子(からし)色の綿パンと濃灰色のブーツが
青年と命名するには どこかしら幼い
君の肉体を隠蔽(いんぺい)している。

十六歳の君を飾ったであろう男たちの
安ピカの宝石にうずもれて
君はことさら磨かれていったようだが、
それは君が見捨てた男たちの風の伝言に過ぎない。
父と別れ兄の事故死にあった君と
こうしてめぐり逢った。

放されたと思った私が放そうとしたとき
真夜中に君はカーを跳ばして私の家に乗り捨てた。
愛することに倦み疲れていた
私の止まり木に 突然に舞い降りた青春。
弟と呼ぶにはあまりにも若すぎる君は
私の人差し指に君の親指を絡めた一つの夜を
忘れ物でするように残して去っていった。

スクランブル交差点を未踏の未来が走り渡る。
私の胸の鼓動が君の鼓動に重なり脈打ち
私の胸に君の血液は流れ出すので
群れのなかで君より美しい者はいない。
路上で私の見上げるあの空のなんという青さよ。
空は私の心を曇りなく写す鏡面なのだろうか?


                      
              ★題名を金子国義氏の画題から拝借した。


「オベリスク」 小林稔 詩集『夏の氾濫』より掲載

2015年12月13日 | 小林稔第4詩集『夏の氾濫』

オベリスク  
小林稔

すっぽりえぐられた私の胸の入江に夕陽が落ち
魂をかすめていった君の幻影がたゆたって
いくつもの帆船を浮かべてみたが無残であった。
海水にもつれあった神経の糸が見え隠れして
私を海上の道に連れ出さない。
その一本が君の心臓に弱電を送りつづけている。
可能な限り遠くへ旅立つ君の瞳に 砕けた私の破片が見えているのだろうか。

教会でモーツアルトのレクイエムを聴く。
垂れ込めた鉛色の空のした
ふたりの脳髄を声が昇りつめるが、
サンミシェル広場に向けてサンジェルマン通りを急がなければならない。
カルチュラタンの路地を散策し
リュクサンブル公園に行くと 噴水のある泉に舟を浮かべている男の子がいる。
サンミッシェル通りを外れまで歩くと
地下鉄ポートロワイアル駅の近くに昔泊まった安ホテルがある。
水晶のようにきらめいている君の瞳に私の心は弾む。
コンコルド広場のオベリスクに辿り着こうと
交差点に立つ君と私が見えるが、
いつのまにか君は梅田の陸橋を渡って人混みにのまれ消えてしまった。

  空までつづいた坂道をぼくは歩いて行くんだ。
  粉々になった兄を拾いに、
  記憶を火で焚きながら、かつて喜び勇んだぼくが、
  今は不安でぼろぼろになった身体を引きずり
  坂の反対の斜面を登ってくる男に逢いに行くんだ。

初めて逢った日の君の微笑む顔がいくども私に向けられ
向けられるたびに優しく、向けられるたびに強く
私の心に烏口が引かれるので痛い痛い。
君に逢うまでの私の過去は消えてしまった。
たぐり寄せる糸がどんな時の流れに漂うのか。
砕けた夕陽が水面に揺れている。

いっそ夕陽になって揺れてみようか。
  
             小林稔第四詩集『夏の氾濫』1999年6月30日発行より。