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ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

長期連載エセー『自己への配慮と詩人像(十五』小林稔季刊個人誌「ヒーメロス」23号12月20日発行より

2013年01月15日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十五)

小林 稔

 

43 自己への配慮において結びつく、真の生と生存の美学 

  「真理の勇気」という問題

 ソクラテスの創始した真理陳述のパレーシア様式は、他の三つの真理陳述の様式、つまり預言の様式、知恵の様式、教育、テクネーとその伝達の様式とははっきり区別された。『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』というソクラテスのパレーシアをめぐる三部作に、原則や規則の識別特徴がはっきり現われていたとフーコーはいう。フーコーは他のプラトンの対話篇にも見出されるソクラテス的真理陳述のなかでも『ラケス』を取り上げようとするが、その四つの理由を挙げて説明する。以下、フーコーの説明の要約である。

一、『ラケス』にはパレーシア協定が対話の冒頭で明白に述べられていて、ソクラテスが、パレーシアを用いる権利を有する者として対話者たちに認められているということと、ソクラテスの真理陳述の特徴としてエクセタシス(吟味の原則)があり、エピメレイアという概念(配慮という概念)があるということがその理由である。ソクラテスこそが若者たちへ配慮すべき者として現われ、親たちはソクラテスに頼み、子供たちに配慮してもらおうとし、子供たちもまた自分自身に配慮しなければならなくなるようにしてもらおうとすることになる。つまりパレーシア、エクセタシス、エピメレイアが結合して登場するということである。

二、この対話篇が政治的舞台を維持していることが理由でもある。若者たちへの教育についての議論は特異なことではないが、この対話篇でソクラテスが対話している直接の相手は成人たちである。その成人たちは政治的な役目を果すことのできる人々、例えば、あるいは都市国家で重要な役割を果している政治家であり、シケリア遠征の指揮官を務め、シケリアで戦死した実在した人物である。ラケスは軍隊の指揮官で、ポ

ティダイアの戦いで戦死した、重要な役割を果した人物である。彼らに問いかけるソクラテスの姿が描かれている。このように政治的活動に直接接続しながらも、政治的な形式を持たない一つのゲーム、つまりパレーシアをソクラテスは提案し、政治家たちを巻き込んでいくという興味深い点が、この対話篇を取り上げる二番目の理由である。

三、この対話篇が、勇気とは何かというテーマに貫かれているということもその理由になる。対話者たちが政治や軍隊に関わっている人物であるということ、つまり戦場で身体的勇気を示した人物であるという特異な点である。『ラケス』では、「真に勇気あるこれらの人物にとって、勇気の真理とはいったい何だろうというか」という問いをめぐって展開される。つまり、真理の勇気に関する問題が、真理の問題および勇気の真理の問題に立ち向かう勇気を持つ人々によって提起されているということである。この「真理の勇気」(このフーコーの講義録の題でもある。)は、西洋哲学全体においてもたいへん稀なテクストである。勇気と真理のあいだに横たわる倫理的関係。一人の主体に対し、真理に接近すること、真理を語ることを可能にする道徳的諸条件に関する問題は、この対話篇の中心に置かれているといえる。西洋的反省の最も大きな表面を占めてきたものは、「主体の純化」の問題における、真理をめぐる問題であった。「ピュタゴラス主義以来、近代西欧哲学に至るまで、真理をめぐる浄化の一式を見出すことができる」。つまり、「真理に接近するためには、主体が、感性界、過ちの世界、利害と快楽の世界対し、真理の純粋さと永遠性に対して不純なものの場を構成する世界全体に対し、ある種の拒絶を保ちつつ自らを構成しなければならない」という考えである。「不純なものから純粋なものへ、曇ったものから澄んだものへ、かりそめのものや儚いものから永遠なるものへの移行」、こそが「主体が自らを真理の可能な主体として構成することができるようになるための道徳的経路であるという考えである。こうした浄化の全体は、ピュタゴラス派以来見出され、近代哲学にも見出される。デカルトの手続きも浄化のそれである。それは、「いかなる条件のもとで、主体は自らを純粋な視線として構成し、個別の利害と関係を断って、浄化された真理の把握のなかで普遍性を得ることができるのか」ということであった。しかし、浄化は真理をめぐる倫理の一つの側面に過ぎない。もう一つの側面、それが「真理の勇気」なのだとフーコーは主張する。真理の到達のために不可欠な、「いかなるタイプの決意、いかなるタイプの意志、いかなるタイプの犠牲さらには闘い身を投じることができるだろうか」という問いがある。この闘いは浄化とは別のものである。真理のための浄化の分析ではなく、真理への意志に関する分析になるであろうとフーコーはいう。『ラケス』にはそうした分析の出発点のうちの一つが見出される。それが三番目の理由である。

四、最後の理由として、『ラケス』のうちに、西洋哲学の発達におけるいくつかの道筋のうちの一つの出発点がしるしづけられているということである。それは『ラケス』と『アルキビアデス』の両者に共通する問題、近親者あるいは保護者が施すことができなかったためにいっそう必要とされる若者の教育の問題がある。『アルキビアデス』では、「教育すること、なおざりにすること、配慮すること」からなる、古典的な一つの問題、すなわち、「専念すべきは魂である」という問題に導かれる。それでは「魂とは何か、魂の本性はいかなるものであるか」。魂に専念すること、それは、「魂にとって、自分自身を見つめることであり、「そのことによって真理を見ることを可能にする神的要素を識別することである」。そうして最後には魂の神性というテーマへと到達する。これに対して『ラケス』では、何に専念するのかは問われず、自分たち自身に専念するような若者たちに教えなければならないというテーマがある。何に専念すべきか、魂ではなく、生(ビオス)、すなわち「生き方」である。生存の方式、この生存の実践であるとフーコーは指摘する。

 パレーシア協定

『ラケス』と『アルキビアデス』を比較検討すれば、哲学の反省と実践の発達における二つの道筋の出発点が見出せる。一方には、魂の認識のしるしのもとに置かれるべき哲学、他方には、生の試練、ビオスの試練としての哲学があり、プラトンにおいて結びついているものであるとフーコーは指摘する。彼はチェコの哲学者パトチカの『プラトンとヨーロッパ』というテクストに言及し、エピメレイア(配慮)に重要な場所を与えている唯一の書物としながらも、エピメレイアを、自己への配慮としてではなく、魂の配慮と考察しているので、生の試練、生の問題化、生の吟味、せいの検証としての自己への配慮という概念は消え去っていると指摘する。配慮の対象としてのビオス(生)のテーマは、後のキュニコス主義の哲学の出発点として、『ラケス』から読み取ることができるのである。つまり、「『ラケス』は、生の試練としての自己への配慮の問題の出発点である」とフーコーは明言する。その対話篇の構成を分析しテーマを明確にするため、フーコーは三つの契機を挙げている。

 一つ目の契機は、冒頭部の対話の準備が整えられる箇所(『ラケス』178‐180)である。まず、『ラケス』の訳者、生島幹三氏(岩波書店「プラトン全集7」)の解説を頼りに要約してみよう。対話がなされた場所は、アテナイのとある体育場であり、銃武装して戦う術をそれぞれの息子に学ばせることを勧められた二人の老人、リュシマコスとメレシアスがいる。二人とも子供の教育に心を悩ませている。相談する相手は、ニキアスとラケスである。先述したように、ニキアスは、ペロポネソス戦争でのアテナイの将軍で、保守貴族派を代表する政治家であり、ラケスは、ペロポネソス戦争中、アテナイがシケリアに派遣した船隊の司令官であった人である。要するに軍隊を指揮したことで著名な人たちである。息子の教育について相談する前に、二人を体育場に連れてきて見物させようと目論んでいた。そこにはそれぞれの息子とソクラテスも連れてきていた。対話篇の冒頭でリュシマコスの長い話が始まる。話の内容を要約すると次のようになる。リュシマコスは、メレシアスと自分の祖父の名を揚げ、前者の息子は祖父の名をもらってツゥキディデス(同名の歴史家とは別人)といい、後者つまり自分の息子はやはり祖父の名をもらってアリスティデスと命名したという。祖父、つまりリュシマコスやメレシアスの父親はそれぞれ政界で名をなした人たちであり、息子に語ることができるが、彼らは、自分自身のしたことは何も語ることがなく、世に知られるようなことは何もしてこなかったので、息子たちには語ることが何もないのだという。それは父親が、子供たちの教育をせずに、他人のことばかりに精を出していたからだと父親をとがめたりもすると告白する。子供たちが、私たちのいうことを聞かず自分自身に対する心がけを怠るようであれば名もない人間になるであろうが、その心がけを忘れなければ、名をもらった祖父のように立派な人間になり、その名に恥じない人間になるのだ。つまり、リュシマコスのいいたいことは、自分の父親が公務に忙しいあまり子供たちの教育をしなかったこと、そのように育てられた自分がその子供たちに、自分たちのようにならないためにも、祖父のように立派な人間になるためにも、父親としてどのような教育をしたらよいのかを相談しようとするのである。(フーコーの講義録『真理の勇気』の草稿には次のような記述が見られると、訳者、慎改康之氏は註に加えている。それによると、「政治的形態における他者への配慮と、自己および他者に対する倫理的配慮とのあいだの」緊張、つまり「自己および他者に対する倫理的配慮を非常に困難にするように思われる政治的配慮とのあいだの緊張が古代道徳のなかに見出されると書かれている。」

 この対話篇の冒頭でフーコーが注意を喚起しようとするのが「率直さ(パレーシア)の協定」と呼ぶものである。パレーシア(率直な語り)と配慮の概念が結び合わされているとフーコーは指摘する。なぜニキアスとラケスをこの体育場に連れてきたのかを打ち明ける場面である。

 

 ニキアスとラケス。あの男が銃武装してわたりあっているところを、ご覧になったわけですが、何のために私と、

このメレシアスが、いっしょに見てくださるようにお願いしたのかということは、さきほどいいませんでしたが、

いま申しましょう。皆さんには何でもお話すべきだと、私たちは考えていますので。といいますのは、このよう

なことを馬鹿にしている人たちがあり、それにまた、人が相談しても、自分の考えていることをすこしもいわず

に、相手の考えをおしはかって自分の心にもないことをいう人がありますのでね。しかし、みなさんは、すぐれ

た判断力をおもちになっているばかりでなく、判断したうえで、考えることをそのままいってくださるだろうと

思いまして、それで、これからご相談しようとする問題について、ご意見をうかがうためにお呼びしたわけです。

(『ラケス』178)

 

 引用にある「あの男」とは武闘術の教師ステシレオスであり、フーコーによれば自分にできることを言葉で説明するだけでは満足できずに、他の対話篇で現われるある種のソフィスト、すべて実行に移すことが困難なことを言葉で説明し、それだけで満足せず実行に移す。ステシレオスは実際に自分ができるかということを示す。それによってリュシマコス、メレシアス、ラケス、ニキアスは自分の目で判断できる。言葉による提示とは別次元の、視覚的で直接的な試練の次元であるとフーコーはいう。ここで大切なことは、リュシマコスの語りのなかで表現される、「みなさんに何でもお話すべきだと」考えていることを述べ、相手にもそれを求めているということである。自分たちが父親のなおざりで何も教えられず、「月並みな生を送ってしまい」、名をなす人間にならなかったことという恥ずべきことも率直に語っているのである。さらにニキアスと

ラケスに体育場でのステシレオスの実演を理由も告げずにつれてきたことにどんな意味があるのか。フーコ

ーは、ラケスとニキアスが軍事的責任を果してきた人であり、この方面に通暁していること、もう一つは自

分の考えを隠さずにはなす人であると思っていたからであるという。つまり、〈真なることを語ること〉を語る場所の保証から、言説にあって人を欺くかもしれないものを払拭しておく必要があったということを指摘する。そしてそれらは、「子供たちに与えるべき気配りであり、子供たちに専念するやり方に関する問い」にとって重要事であるということを意味するとフーコーはいう。リュシマコスはラケスとニキアスに尋ねる。あなた方に子供がいたらどのように専念するか。「自分の息子たちを、その試練と訓練を私たちが直接見たばかりのあの戦闘術の教師に託すことが、本当に必要であろうか。息子たちが彼から授かることのできる教え、彼が息子たちに与えることのできる教えは、はたして受ける価値のあるものだろう、と。」なぜそのような質問をするかということは先述したように、自分たちは息子に対して模範例とされるべきものではない、父親たちは他の人々の事柄に専念し、多忙であったのだとリュシマコスはいう。

 子供たちへの配慮について、リュシマコスとメレシアスはまず「自分自身の配慮に関する説明を行なうために、自分自身の恥辱、自分自身の気詰まりを克服しなければならない。」それはパレーシアによってなされることになる。「子供たちに対してなすべきエピメレイア(配慮)のテーマと、パレーシアのテーマが結びついている」、つまり「子供たちに対する気配りの問題を提起するために、パレーシアに、真なることを語る自分たちの勇気に訴えなければならない」ことをフーコーは指摘している。

 政治的モデルから技術的モデルへの移行

 二つ目の契機は、それまで聞いているだけであったソクラテスが対話する場面である。依頼されたニキアスとラケスはステシレオスという武闘術の教師の実演についてそれぞれ対立する見解を述べる。ニキアスとラケスの二人の意見の対立が、政治的形態をとることにフーコーは注目する。「二人の相手が連続的な一つの言説のなかで自分自身の意見を交互に展開することになる場所としての民会のアナルゴンがある」。ニキアスは武闘術の教師による授業が有用であると考えている。なぜならそれは、「武闘術は戦略に関するすべてを学ばせてくれるからである。」さらに祖国をやがて守ることになる勇気および大胆さという精神的資質を与えてくれるからであるとフーコーはいう。ラケスの言説は反対に訓練を批判したものになった。理由は二つにまとめることができる。一、どんな術でも知っておくことはよいことである。武闘術(翻訳では「重甲術」)が一つの術であれば学ばなければならない。しかし重大なものでなければ学ぶ必要がない。もし価値あるものであるとするなら、ラケダイモン(スパルタ)の人々が気づかないはずはなく、むしろ重武装して戦う人はラケダイモンに出向いて行くべきである。つまり、「彼ら武闘術の教師たちが、本当に鍛え抜かれた兵士がほとんどいない都市国家のなかでしか、自分たちの能力を示さない」というフーコーの説明がこれである。第二の理由は、ラケスは実際、戦闘の場面でステシレオスの本当の腕前を見てしまっていたのである。原文のテクストからの引用は割愛するが、フーコーの要約を引用すると、「自分(ステシレオス)がたいした勇気を持ってはいないことを示すと同時に、とりわけ非常に不器用であることを示した。つまり彼は自らの教えを自分では実行できず、それを見た兵士たちが腹を抱えてわらいころげるほどだった」とラケスは述べた。先述したように、ステシレオスは一種のソフィストであるというフーコーの考えが浮かび上がる。このような二つの意見の対立を解決すべくソクラテスに対し、助けが求められることになる。

 ソクラテスの介入によってもたらされる三つの変容をフーコーは指摘する。一つ目は議論が政治的モデルから技術的なモデルへと移行したことである。意見の不一致がある。ソクラテスはどちらの意見に一票を投じるか迫られる。ソクラテスは直ちに拒否する。ソクラテスの言説は次のようになる。ここでは一体何が問題になっているのか、それはテクネーであり、多数派による支持ではなく技術なのである。多数の意見ではなく、「すぐれた体育科のもとで教育をつんだようなひとのいうことに従う」ことを選ぶであろう。したがってそのような人、つまり体育に関して最も技術をもっている人をどのようにして選ぶのか。ソクラテスはいう。「その人は、まさにそのことに関するよい先生であった人について、そのことがらを学びそれについていつも従事していた人ではありませんか。」(『ラケス』185B)さらに「われわれの中の誰が技術者であるか、そして当の問題に関して先生を持っていたか、また誰がそうではないか、ということを審議していながら、いったい何の問題を審議しているのかという点を、最初にわれわれのあいだで同意しておかなかったように私には思えるのです。」(185C)

ソクラテス 人が或るもの―つまりそのためを考えてやっていた当のもののほう―についてなされるのであって、その何かのほう―つまり、他のもののためにもとめられていたもののほう―についてではありませんね。

 ニキアス まったくそうです。

 ソクラテス ところでいまわれわれは、若者たちの魂のための学びごと(術)について、調べているのだ、といったものでしょうか。

 ニキアス ええ。

 ソクラテス そうしますと、われわれの中に誰か、魂の世話に関して誰が技術をもち、りっぱにそれの世話ることのできるひとがいるかどうか、そして誰がよい先生についたことがあるか、このことを考えなければなりません。(185E)

 テクネーに関して力量のある人かどうかを判断する基準は何かを考えるとき、ソクラテスは、その人がどのような教師について学んだのか、さらにその教師がよい教師でありよい生徒を育成したかがわかるときであると考える。また、よい教師を持っていただけでなく何か価値あることをなすことができたのかという二つの基準を必要とする。もちろん教師なしで何か価値あることをなしえることも可能であるとソクラテスはいう。

 

 ソクラテス では我々もまた、ラケスとニキアス、―リュシマコスとメレシアスは、この二人の息子さんたちの

魂ができるだけすぐれた)よき)ものになることを願って、この人たちのことでわれわれを相談に及びになった

のですから、―このかたがたにわれわれの先生たちを見せるべきです。もし見せることができるというのであれ

ば――つまり、自らがよき人であって、数多くの若者たちの魂の世話をしたのちに、われわれをも教えてくれた、

――ということがあきらかに認められている先生たちとは誰々であるか、ということを示さなければなりません。

(186)

 

 フーコーは、ここには政治タイプの真理陳述から技術的真理陳述への移行を指摘する。前回の考察で四つに分けた真理陳述の、技術の真理陳述のことで、教育の真理陳述も含まれる。それは、教師から弟子へ伝達され、作品によって表明されるような「本質的に一つの知の伝統性に依拠していること」であるという。

 第二の変容は、魂に関する技術が問題となるところで、ソクラテスの教師像とはどのような人をいうのか、その人の作品とはどのようなものかを問われるところでソクラテスは身を引く。なぜであろうか。ソクラテスはいう。「私個人は一度も教師に教わったことはない」。教師に謝礼を払うほど裕福な家ではなかったからであり、「かといって自分でその術を見つけ出すことは、いまなお、できないでいます。」(186C)つまり、私には他の人々に教えることができないとソクラテスはいっているのである。ニキアスとラケスは教師に教わるほど裕福な家庭であったので若者たちに教えることができるだろうとソクラテスはいう。ソクラテスはニキアスとラケスに尋ねる。あなた方の教師は誰だったのか、また彼らと同じ技を持つ人をいってください、謝礼をして面倒を見てもらうようにという。ソクラテスの言葉を受けてリュシマコスは、ニキアスとラケスにソクラテスの質問を投げ返す。

 第三の変容はフーコーによると、ソクラテス的パレーシアの出現の端緒になるという。二人の話し相手を技術の領域に引き入れ、教師による知の伝達において彼らの役割や働きがいかなるものであるのかを尋ねる。しかし、ソクラテスは別のことをたくらんでいるのだとフーコーはいう。それは政治的ゲームでもなく、技術に関するゲームでもなく、パレーシアと倫理のゲーム、つまりエートスの問題へと向けられるパレーシアのゲームであるとフーコーは指摘する。

 パレーシアと倫理ゲーム

 これまでのソクラテスが発言をしたことで起こる変容を整理しよう。まず、政治的真理陳述から技術的真理陳述に移行したことがある。技術的真理陳述は一つの知の伝統に依拠していることを明らかにする。つまり、誰に教わったのか、教師は誰であどのような作品を残したのかが問われる。それは、魂の「治療法」というよりもむしろ]魂への気配りの技術者)(フーコー)を求めていることを意味しているのだ。このように述べてソクラテスは身を引く。なぜならソクラテスには教師がいなかったので他の人々に教えることはできないとソクラテス自身によって語られる。それ以後は、ラケスとニキアスという世に認められた立派な二人の人物に対して、彼らの教師は誰でありどのような人であったのかを問う展開になる。ニキアスは以前からソクラテスとの対話に加わったことがあり、ソクラテスの対話法を知っている。彼は次のようにいう。「誰でもあまり近づいて話をしていますと、はじめは何か他のことから話し出したとしましても、彼の言葉にずっとひっぱりまわされて、しまいにはかならず話がその人自身のことになり、現在どのような生き方をしているか、またいままでどのように生きてきたか、をいわせられるはめになるのです。さていったんそうなると、その人のいったことを何もかもきちんと吟味してしまうまで、ソクラテスは話してくれないでしょう。」

この言説から理解されるように、「エートスの問題へと方向づけられたパレーシアのゲーム」(フーコー)にさらに移行する。先述したようにフーコーは、ソクラテスの言説には別のたくらみ、政治的ゲームでもなく、技術的ゲームでもなく、倫理のゲームの場を用意しようとするたくらみである。それは何より作者プラトンの作品構成の手腕である。さらにもう一人の人物、ラケスを用意する。ラケスはソクラテスと対話したことがないが、前四二四年のデリオン戦でソクラテスと従軍していたことが知られている(訳注)。

 

 ラケス ……ところでソクラテスはというと、私は彼の話(言葉)のほうを経験したことがありませんが、さき

に行為のほうを経験したようです。そして、行為のほうで私が知った彼は、どんな美しい言葉(話)をどんなに

遠慮なく言っても、それにふさわしい人でした。したがって、もし言葉のほうもりっぱにできるとすれば、彼こ

そ私の望みにぴったりの人です。このような人にであれば、喜んで吟味されましょう。いやがらずに学びたいと

思います。私も、ほんの一つだけ付け加えますが、ソロンの言うことに賛成です。つまり、「年をとっていくと

ともに、多くにことをー―ただすぐれた人たちからだけ――教えられ」たいのです。……(中略)……あなたが

私と危難をともにし、あなた自身の徳を、まさに人の模範とすべき仕方で、証明して見せたあの日以来、私はあ

なたに対してそのような気持ちでいるのですよ。(189)

 

 右の引用からわかることは、ラケスはソクラテスという人の言動と行為がぴたり一致していることを実際に見て知っていることである。フーコーは、ソクラテスのゲームが対話の中でどのように提示されるかを次のように指摘する。まず相手からどのように受け入れられるのか。ソクラテスの方法がソクラテス自身によって前もって提示され素描され定義される。ゲームの相手がそれに抵抗することもあるが、『ラケス』では一人(ニキアス)がソクラテスの方法を熟知していること、もう一人(ラケス)はソクラテスの方法を知らないがそれを受け入れようとすることに特徴がある。先述したようにここにはパレーシア協定が成立しているということがわかる。「私の年齢のことなど気にせずに、気がねなく話してください」とラケスはソクラテスにいう。(訳注によると、ソクラテスは四十五歳、ラケスやニキアスは五十歳前であり、ほぼ同じ壮年である。)先述したように、ニキアスの言葉からわかること、それはフーコーの説明によれば、「ソクラテスは、彼の話し相手が導かれて、自分自身について説明するまで離さない。自分自身について説明するということは、彼自身とロゴス(理)とのあいだにどのような関係があるかを示すことであるとフーコーはいう。ここまできると、教師でもなくその作品でもない。問題は人が生きるやり方である、つまり、あなたは今をどのように生きており、過去の生をどのように生きたか、であるとフーコーは指摘する。

 生のトポス、生のスタイル

 フーコーによれば、『ラケス』で問題になっているのは、試金石と呼ばれるものに自分の生を委ねることであるという。つまり、生存のなかでなされたよき行いと悪しき行いとの区別を可能にする試練に自分の生を委ねることであるという。ラケスはその言説で、ソロンの生涯を通して学ばなければならないという言葉を述べる。技術的力量はいったん獲得すれば後はそれを使うことに費やすが、ソクラテスの試練は生涯にわたって身を委ねるべきものである、つまり「生存の全体にわたる生の試練とその吟味を支えるある種の関係を設立することが問題となる」とフーコーは指摘している。それではソクラテスがそうした倫理的パレーシアの役割を果すことの正当性は何によって認められるのかとフーコーは問う。

 一般的には右に引用した言説にあるように、ラケスはソクラテスがデーリオンの闘いで勇気を示したことを実際に見ているので、言葉と行為を一致させている人であると理解している。従って自分を吟味してくだ

さいとソクラテスに申し出たと考えられているが、フーコーは異論を唱える。テクストの動きに注意をはらうならば、まだ勇気は問題にされていないのであり、この段階では子供たちにステシレオスに彼らを託すべ

きかどうかを問題にしているだけである。勇気を示す言葉(andoreia)が出てくるのはテクスト190Dからである。ここではアレテー(徳)について語っているのである。それではラケスは何を語っているのか。語り手が語っていることと、語り手がそうであるところのものとのあいだの調和であるとフーコーは指摘する。語り手の生が見事に調律されたものであるとき、ある人物の言説と彼がそうであるところのものとのあいだに協和(シンフォニー)があるとき、そのとき私は受け入れ、ピロロゴス(言説の友)となるのだということであるとフーコーは注意を促す。ソクラテスが語る内容、語り方、彼の生き方のあいだに、協和があり、調和があるから、ラケスはソクラテスに吟味されることを受け入れたとフーコーは読み解くのである。

 この対話で大切なのは、フーコーによると、第一にエピメレイアとソクラテス的言説のある種の方式とが結びついていること、第二に、ソクラテス的パレーシアは生存の様式、生の様式について語るものであり、それを試練にかけて、生の様式の中でも良いものとして認められるものは何かを定めようと試みるものであるとフーコーはいう。まさしくこれが倫理的パレーシアと呼びうるものである。

 ニキアスとラケスに、彼らの教師は誰でどんない人であったのかというソクラテスの質問は方向を変え、結局は同じことになり、そのほうが根本的に考えることになるというソクラテスの庭園を受け入れることになる。「どのようにすれば、徳が息子さんたちの魂に生じて、魂をまえよりよきものすることになるだろうか」という相談に、われわれを呼んだのではなかったのか」(190B)とソクラテスはいい、徳とは何かを知らずに、人の助言者になることはできないのであるから、われわれはそれを知っていると認めていることを確認する。徳といっても範囲が広いので、ここでは重武装術が問題になっているので、勇気とは何かを考えてみようとするソクラテスの提案にラケスも同意する。ソクラテスはラケスに尋ねる。勇気とは何か。「戦列にふみとどまって敵を防ぎ、逃げようとしないとすると、その人は勇気のある人である」というラケスの答えにソクラテスは、「逃げながら、敵と戦う人のばあいはどうか」と神話や歴史上の人物の例を挙げて尋ねる。騎兵はそういう戦い方をするが、重甲兵は逃げずに戦うのだとラケスはいう。ソクラテスは個別のことではなく、すべての人々、例えば病に対して、貧乏に対して、政治上の事件に対して、欲望や快楽に対してなど、それらの人々を含めて、勇気と臆病について訊きたいのだとソクラテスはいう。ラケスはソクラテスのいおうとすることがわかりかねている。〈迅速〉とは何か、という別の例を挙げ、「短い時間に多くのことを仕上げる能力」であるという答えを求めていることになるように、勇気とは何かをいってみてください」とソクラテスは問いかける。すると「魂の一種の忍耐づよさ」とラケスは答えた。忍耐心のすべてが勇気であるということはできない。なぜなら〈勇気〉とは非常に美しい(りっぱな)ものの一つであるからである。「思慮をともなった忍耐心」は美しいものではないかというソクラテスの問いかけにラケスは同意する。「思慮のある忍耐心が勇気である」と二人は認め合うことになったが、何に関して思慮ある忍耐心といえるのかを検討する。しかし思慮深い行為とそうでない行為の境界が明確ではないことがわかる。ソクラテスはニキアスに救いの手を求めることになる。「勇者がよき人であるとすればあきらかにその人は知者である」とニキアスはいう。それに対してラケスは反論する。知と勇気は別々のものである。例えば医者は病気の恐ろしさを知ってはいるが、医者を勇者とは呼ぶことができない。また「勇気とは、恐ろしいものと恐ろしくないものとの知識である」と主張するニキアスに、「ライオンや豹などの獣たちは恐れを知って勇敢であるのではない。無知のために何も恐れない小さな子供たちを勇気ある者とはいえないと反論する。ここではラケスもニキアスも勇気とは何かについて説明することができなかったのである。フーコーによれば、ラケスは、勇気のある人物でありながら、自分自身の行動様式について説明することができなかったし、ニキアスは、勇気を単に知、能力、力量、エピステメーという観点からのみ説明しようとしたので失敗に終わったのだという。つまり、現実に勇気のある二人が勇気を語ることができなかったことをフーコーは指摘する。

 私たちはロゴスという教師を必要とする

 このように進行した対話が中断されようとするテクストの末尾で何かが起こったのだ、それを対話の中に見出される三つの結論の重ね合わせのなかに探し求められなければならないとフーコーはいう。

 第一の結論。「あなたはまだダモンのもとへ赴いて教えを受ける必要がありそうだ」と、ラケスはニキアスを揶揄していう。ダモンはニキアスが師事されている音楽教師である。つまり、「テクネーの世界、一つの知が教師から弟子に伝達される伝統的な教育の世界へ送り返されることである」とフーコーはいう。

 第二の結論。ニキアスとラケスが退場するとき、ラケスはリュシマコスに助言を与える。「あなたの子供たちをソクラテスに託すべきである」。彼(ソクラテス)が彼ら(子供たち)に専念してくれるようにするためであり、彼が彼らをより優れた人物にしてくれるようにするためだ」と説明する。ニキアスも同意見である。しかし、ソクラテスは断る。なぜなら勇気とは何かをわれわれは見けられなかったのである以上、私をこの仕事に呼び出すのは正しくないであろうからという理由であった。しかし、「われわれ自身のためにも、つぎにはまた、この若者たちのために、金銭も他の何ものも惜しまずに、できるだけすぐれた先生を探さなければならない、……中略……誰かが何かを言おうとするならほうっといて、われわれ自身ととこの若者たちとの面倒を、いっしょに見ることにしましょう。」(201)とソクラテスはいう。フーコーは、技術的教育と伝統性に戻ろうと提案しているようであるが、そこにはソクラテスのアイロニカルな結論でしかないという。出費を控えないようにしよう(金銭も他の何も惜しまずに)、新しい教師の元へ戻ろう、というソクラテスの言葉にフーコーは注意を喚起している。「教師とはダモンやステシレオスのような、報酬を支払うべき教師のことでは」なく、「誰一人として勇気の定義に到達できなかった以上、全員が教えを請うべき教師、それはもちろん、ロゴスそのものであり、真理に道を開いてくれる言説である」とフーコーは主張する。『ソクラテスの弁明』のなかで、神々によって与えられたソクラテスの使命とは、市民や道ゆくすべての人々に専念し、彼らがより優れた人物になるようにすることであるという言説を思い起こさせるとフーコーはいう。「人ができるだけすぐれた人間になろうとしているときに、加勢しようとしないのであれば、それこそ恐ろしいことでしょうからね」とソクラテスは結局はリュシマコスの子供たちの教育を引き受けることになる。

第三の結論。「私はあなたと同様、完全に無知なのだ、私たち全員が一人の教師を必要としているのだとソクラテスが語ったとき、リュシマコスは別の言葉をそこに聞いたのだとフーコーは指摘する。それは「本当の教師のもとへ導いてくれる教師は、ソクラテスであり、ソクラテスだけである」という言葉であるとフーコーは指摘する。もちろん、本当の教師とはロゴスである。リュシマコスは息子たちだけでなく自分自身も、自らの生存、自らの生存のスタイルを絶えず試金石に委ね、「自己に配慮しロゴスに耳を傾ける道へと先導」してもらうためにソクラテスを家に招こうとする。ソクラテスは、「もしそれを神がお望みなのであれば」と承諾するのであった。この平凡な儀礼的な言い回しに、プラトンは二つのレヴェルの言葉を込めた、それは実際、「神がそれを望んだ」こと、つまり「神がソクラテスに対し、人々のもとに赴いて彼らに自分たちの生き方を説明させること、自分自身に専念するよう人々に教えることを命じた」ことを想起させるためであるとフーコーは指摘している。真の教師は学校教師でロゴスであり、ソクラテスも他の人々同様にロゴスに耳を傾けなければならない。ソクラテスはこの時点で他の人々と同等である。そして自分自身に専念し、他の人々に専念しなければならない。フーコーによれば、ロゴスに耳を傾けることに関してそれを先導する者、自分自身に耳を傾けなければならない、そのためにロゴスに耳を傾けなければならない、と絶えず口にする者としてのソクラテスはやはり特権的な立場にあるという。ソクラテスが教師であることを拒絶したのは、テクネーの教師の役割であり、誰もが自分自身に専念し、他の人々に専念すべきであるという、ソクラテス的共同体における同等性が見られるものの、他の人々を自分自身への気配りへと、あるいは他の人々への気配りへと先導する者として、他の人々とは異なるとフーコーは主張するのである。

 西洋哲学を通じて辿る二つの大きな道筋

 ソクラテス的実践によって道を拓いた倫理的パレーシアは都市国家の政治と救済の必要性から出現したものであるが、政治的パレーシアとは異質のものになった。フーコーは『ラケス』において、その倫理的パレーシアの実例を明らかにしようとしたと述べ、その実例が注目すべき二つの点を挙げる。一、真理を語る勇気というテーマが、勇気の真理というテーマに結び付けられていること。二、もう一つの結び付き、パレーシアの使用と、自己自身に専念すべし、自己に配慮すべしという原則とのあいだの結び付きであるという。フーコーの意図は、ソクラテス的真理陳述の特徴が『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』の三部作に見られるソクラテスのパレーシアに明確に示されているのを確認した後で、『ラケス』にそのパレーシアが行使されている実例を見ようとすることにある。さらにフーコーが主張しようとすることは、『アルキビアデ

ス』と『ラケス』を比較対象することで見えてくる二つの流れ、「プシュケーへと赴きつつ、可能な形而上学的言説の場所を指し示すもの」と「生存としてのビオス(生)へと向かう自己自身の説明、自分自身に関して理を示すこと」がある。前者は魂の形而上学、後者は生存のスタイル論へと向かう。『アルキビアデス』ででは、「魂を発見することが問題になるときの〈真なることを語るときの勇気〉があり、『ラケス』では、生に形式とスタイルを与えることが問題になるときの、〈真なることを語るときの勇気〉がある。〈真なることを語るときの勇気〉を考えるとき、われわれが注視すべきことは、フーコーがいうように「いかなる代償が必要かを語るリスクである。「身体とは別の魂なる現実を置くという形而上学的リスクではない」とフーコーはいう。「西洋哲学を通じてソクラテス的真理陳述の発達が辿る二つの大きな道筋の出発点」が『アルキビアデス』と『ラケス』にはあるとフーコーは重要な指摘をしている。ソクラテス的パレーシアが追及しているのは、これらの両義性、つまり「魂の存在」と「生存のスタイル」は「魂の存在を見出しそれを語ること」ともまた「生存にスタイルを与える任務」であるとも理解されうるのであるが、西洋哲学において、この二元性が深く刻まれていくことになった。いま『アルキビアデス』と『ラケス』を比較検討することによって、プラトン哲学における両義性と、その後の西洋哲学に見られる二元性を考察できるのではないだろうか。

 フーコーがこの講義録で浮彫りにしようとするのは、「生存の美学」と呼びうるようなものの歴史を見出すことであるが、フーコー自身もいうように、生存の技法を単に研究することではなく、「ソクラテス的パレーシアの出現とその創設によって、生存が、ギリシャ思想のなかで、どのようにして一つの美学的対象として構成されたのか」ということなのである。さらにはもう一方の「魂の形而上学の歴史研究」の必要性も述べている。フーコーによれば、「生を一つの美学的形式の対象として構成するものとしての主体性に関する歴史研究が、魂の存在論が創設され打ち立てられたやり方に関する歴史研究によって覆い隠されてきた」し、「美学的形式に関する研究の特権化によっても覆い隠されてきた」という。フーコーが何より強調したいのは、「人間が存在し行動するそのやり方、人間の生存が他の人々の目および自分自身の目に対して出現させる様相、さらには人間の生存が死後に他の人々の記憶のなかに残すことができるであろう痕跡といったものは、人間にとって、美学的な気遣いの対象であった」し、「それらは人間に対し、美しさ、輝かしさ、完璧さへの配慮をかき立てたのであり、少なくともその同じ人間が神々や神殿や歌に形式を与えるための絶えず刷新される継続的な作業を生じさせた」ということであろう。「美しい生存への配慮がすでにホメロスやピンダロスにおいて完全に支配的なテーマとして現われていた」といい、美しい生存、輝かしい生存、記憶されるべき生存への配慮と、〈真なることを語ること〉への気遣いとのあいだに、ある種の関係が打ち立てられた契機である」とフーコーはいう。つまり、「〈真なることを語ること〉が、西洋哲学の始まりにおいて、ソクラテスとともに現われる倫理的方式のもとで、可能な限り完璧にこしらえるべき作品としての生存という原則と混交したのはどのようにしてか」ということである。生存の技法と真なる言説、美しい生存と真の生との関係、真理のための生というものを把握したかったとフーコーは告白する。

〈真なることを語ること〉の要請と生存の美学の原則が自己への配慮のうちで結び合わされた契機をソクラテスのうちに見出そうとしたし、そこを出発点として、「魂の形而上学の発達と生の美学の発達という二つの発達がどのように現れることができたのか示そうとした」ともフーコーは述べる。例えば、四、五世紀のキリスト教修徳主義のスタイルは、形而上学は恒常的であるのに、大きく異なり、また、ストア主義は、ローマ時代から十七世紀に至るまでほとんど不変である生存のスタイルを定義したし、ストア主義はキリスト教と結びついたりしたとフーコーは指摘する。フーコーはこの後の講義で、キュニコス主義にかなりの時間を費やしている。理由は、キュニコス主義に実践において、一つの生の形式が、〈真なることを語ること〉の原則にしっかりと連接されていることであるとフーコー自身がいう。キュニコス主義的実践にも理論的枠組みがある。しかし、プラトン主義やストア主義、エピクロス主義の理論的枠組みと比べれば、重要性においては限りなく劣るが、キュニコス主義は、生の様式と〈真なることを語ること〉とが無媒介的に結びついた哲学の一形態であるとフーコーは解釈する。ヘレニズム時代やローマ時代の古い形態のキュニコス主義、つまりディオゲネス・ラエルティオス、ディオン・クリュソストモス、エピクテトスに認められるキュニコス主義、ルキアノスあるいはユリアヌスによって書かれたテクストに見られるキュニコス派が、パレーシアの人、〈真なることを語る〉人として特徴づけられているとフーコーは指摘する。

 (次回はキュニコス主義について考察します。)参考文献・M・フーコー『真理の勇気』(筑摩書房)二〇十二年二月刊


アスクレピオンに雄鶏一羽の借りがある。その四、小林稔個人季刊誌「ヒーメロス」22号

2012年11月21日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)

小林稔

42 アスクレピオンに雄鶏の借りがある。『パイドン』 その四

言論(ことば)における考察

 

  何であれ、ものには、それがあずかりもつところの、おのおのに独自な〈存在の本来的なあり方〉(ウゥアー)があるのだ。

そこで、まさにこれを分有したという仕方においてのみ、おのおののものは、生じてくるのである。(『パイドン』101c)

 

 日蝕を見て目を傷めないように水に映して見るように、肉眼で事物を直接に見るとか、感覚で直接に事物を見るのは、たましいは見る力を奪われ、盲いになってしまうのではないかとおそれた。そこでソクラテスは、「ことば(言論)へと逃れて、そのなかで、存在するものの真実を、考察しなければならない」と考えたとテクストに記されている。『パイドン』の訳者松永雄二氏の『パイドン』解説によると、例えば「AはBより大きい」という表現において、まさにそこに、大というイデアの現在を語っているのだという。なにかが美しくあるのは、かの〈美そのもの〉をまさにそれが分有しているからだとソクラテスは説明する。それが、美しくあるものの原因であるという。ひとつひとつの形相(エイドス)があり、他のものは形相にあずかることにより呼名をその形相自身から得ているとソクラテスは語る。注によると、エイドスという言葉はイデアと同じ意味で使用されるという。「シミアスは、ソクラテスよりは大きくあるが、パイドンよりは小さく去る」という表現において、「シミアスのうちに〈大〉と〈小〉との両方が存在する」ことになる。シミアスがソクラテスより凌駕しているという語られ方は、本性上、もとからそうあるのではなく、たまたま持つにいたった〈大〉によってそうある」のであって、真実にあるさまとは異なる。そしてソクラテスを量が指定オれといっても「ソクラテスがソクラテスたることによってではなく、ソクラテスが、シミアスにおける〈大〉に対して、〈小〉をもつにいたるから」であると『パイドン』に記されている。松永氏によると、「〈大〉がそのものとして、本来それ自体においてある場合と、われわれのうちにある場合との区別を語る」ことであり、「われわれのうちにある〈大〉というものにも、また何らかの不完全性と不安定性を想定してみようとする」ことであるという。しかしここでは、形相(エイドス)の根本的な性格は変わらないとされている。「ある事態のうちにある〈大〉は、それと反対の形相である〈小〉が迫ってくるときにはその場を譲って退去していくか、あるいはそこで滅びるかする、――しかしそれはけっしてそれ自身が小となることはない――と、プラトンは」語っているのだという。 比較する相手によって大小は変わっていくのはとうぜんのこととしてわれわれは考えるが、プラトンはそういう科学的な考えに異を唱えたのである。プラトンの他の対話篇『パルメニデス』『テイテトス』でも同様の問題が展開されている。プラトンの常識とは相違するこのような考え方を哲学者ラッセルは、「AはBよりも小さく、Cよりも大きいとした場合、Aは同時に大にしてかつ小であるというふうにプラトンは考えて、これを矛盾とみなした。このような混乱は哲学の小児病といわざるをえない」といって批判したと藤沢氏は『世界観と哲学の基本問題』で指摘している。藤沢氏によると、Aは大きさが変わらずにCより大きくなったのではなく、観点の違いによって変化することはもちろんプラトンは百も承知であるが、どの観点で変化を語るのが認定されるべきかをプラトンは問題提起したのだと主張する。Aの大きさは少しも変わっていないのだが、テクストでは、実際に変化したのだとプラトンは考えたという。数値上の大小を考慮せずに、「感じられる」変化をほんとうに蒙ったということになる。藤沢氏は、「大きい」「小さい」を説明するのは〈大〉のイデアと〈小〉のイデアでしかありえないという思想につながっていくのだと説明する。例えば「美しい」ということは状況と関係において「美しい」と感じられている。だから「美しい」という現われの原因・根拠となるのは、〈美〉そのもの(〈美〉のイデア)以外にはありえないという。「つまり、われわれの経験の世界、知覚の世界は、事物(X)の固有の性質(F)が状況と無関係にそれ自体で、数量その他の形で固定あるいは固定されうるような、自足し完結した世界ではないということ、FにはFとしての成立根拠(φ)が、必然的に要請されなければならないとプラトンは主張しているのだと藤沢氏は指摘する。

 反体性それ自身は、自分と反対の、(他方)のものとなることはけっしてない。しかし、かのもの〈大〉は、大でありながら小であることには、けっしてなろうとはしないのだ。同様にして、われわれのうちにある〈小〉もまた、けっして大となることも、大であることも、のぞまない。さらにその他の反対関係にあるいかなるものにしても、いままでそれであったそのものでなおありながら、同時にはんたいのものにあることもあることも、のぞまない。いやむしろ、そういう状況になれば、それは、その場から退去していくか、それとも、そこで滅んでしまうかのいずれかをとるのだ。(『パイドン』102E~103)

 右記のようにいうソクラテスに対してその場にいたある人が反論するのだった。先の議論で、大きなものから生じるのは、小さなものからであり、小さなものが生じるのは、大きなものからである、というように、生成とはそのように、反対のものから生じるということに、ソクラテスのいう言説は矛盾しているという指摘である。それに対するソクラテスの返答は次のようであった。「反対の事物から反対の事物が生じるということであったが、しかし反体性そのものはけっしてみずからの反対にならない。それがわれわれのうちにある場合でも、本来、それ自体においてある場合でも、同じなのだ」。先にソクラテスが語ったのは反体性を持っているものについてその事物を反体性の呼名で呼んでいたのであり、いま問題とするのは、反体性自身についてなのだ。「名づけられた事物がその呼名をもつというのは、じつはそのとき、事物のうちにそれがあればこそだという、それ自身についてなのだ。」反体性そのものは、相互からの生成を受け入れようとはしない。「反体性その自身は、自分と反対の(他方)のものとなることはけっしてない、とソクラテスは主張した。

『パイドン』の訳者松永氏はその解説で、原因・根拠の探究にイデア原因説を生み出さなければならなかったソクラテスの思索を内部から動かしていたものを、知を求めることに固有の「おどろき」(タウマゼイン)であったと説く。それは「突然に目覚めさせられた意識」とでもいうべきものであろうという。プラトンがこのような議論に固執するのは、この先に展開しようとする「魂の不死性の問題場面」が問われ始めているからであると松永氏はいい、「われわれのうちにある〈大〉」が語られる最大の眼目は、「生成し消滅するという事態のうちにも、なおわれわれは如何にすれば、自己同一なるものを見出すことができるかということであり、さらにそのような自己同一なるものは、如何なる存在性格を持つものとした一般にはあるのかという問題領域の解明にあったからだと松永氏は述べている。そして、「ことば(言論)はつねに語られることによって、ある一つの事態を明確に表現している」かぎりにおいて、「ことば(言論)のうちにおいて存在するものの真実をみるということは、まったく至当なことではなかろうか」と松永氏は主張している。この後、エイドス相互間の結合によるイデア原因説は割愛して、そこから帰結される魂の不滅に関する論を進めよう。

  魂の世話と死後の定め

 ケベスの反論、つまり魂の疲労説とそれらと矛盾する不死説への反論は否定された。さらに、「もしも魂が不死であるとなれば、その魂の世話は生あるあいだというそのかぎりの時のためだけでなく、まさに永劫のために必要とされるのだ」とソクラテスは述べる。死が一切のものからの離脱であるなら悪からも関わりがなくなると思うのは間違いである。「魂が諸悪からのがれ、みずからを救う途は、ただそれがあたうるかぎり最善のものとなり、またあたうるかぎり思慮にすぐれたものとなる以外には、他にけっしてありえないのである」という。魂がハデスに赴くときには「みずからの学びと養いのしるし」だけを持っていくというが、それが死者たちを益し、あるいは害するものという言い伝えがあることをソクラテスは指摘する(ここからミュートスの世界に入ることになろう)。それを知るためにテクストを読み進めてみよう。

 

 人の死後、生前に守護していた神霊(ダイモーン)がある場所へ導いていこうとする。集められた死者たちは裁きの前に立ったのちにハデスへの旅をつづけることになる。そこで様々な出来事に遭い、しばらく留まり、別の導き手によって再びこの世へと連れてくるが、その間には、長い時のめぐりが繰り返される。(『ゴルギアス』では裁きの場面が描かれ、『国家』『パイドロス』では地上に転生するまでの周期が語られている。)ハデスへの途は導き手を必要としていることからわかるように、三叉路がいろいろなところにある。慎みと思慮を備えた魂であれば導き手に従い、これから起こる事柄に無知ではないが、肉体に執着を持つ魂は、肉体や、可視の領域への未練を棄てきれず、反抗し痛い目にあわされ、力ずくで神霊に連れ去られていく。他の魂たちからも嫌がられ、途方にくれ彷徨う。両者の魂は時が来れば自分にふさわしい場所へ住むようになるという。〈大地〉というもののうちにある驚くべき場所について、ソクラテスがある人から聞いた話を魂の死後の行方を述べた後で語り始める。(訳者松永氏の註によると、これから展開される壮大な地学は、前四、五世紀のギリシア人の地理的、神話的な世界把握の場が描かれていて、「ある人に教えられた」という形式で、ソクラテス以前の様々な説を取り入れていることになるという。)〈大地〉は球状で天空の中央に浮かんでいる。天空がすべての方向に均質であり、大地が平衡性を保っているのでつねに均衡して静止している。大地は巨大であるが我々が住んでいるのはほんの一部分に過ぎない。大地には種々さまざまな窪みがあり、水や霧や空気が流れ込んでいる。我々が住んでいるのはこの窪みであるが、われわれはそれと知らずに大地の表面に住んでいると思い込んでいる。深海の底に住んでいる者が海の表面に住んでいると思い込み、水を通して太陽や星辰を見て、大海を天空と信じている。彼は海の極みにたどり着くことはない。我々もそれと同じ状況にある。大地の窪みに住んでいながら、大地の上方に住んでいるのだから空気を天空と思い込んで、弱々しさと鈍重ゆえに空気の極みにまで到ることができない。もし誰かがその極みに行き着いたなら、その誰かが観照にたえうるだけの資質が備わっていたら、ほんとうの天空であり、大地であると知ったであろう。海の底の美観に比べれば、我々のいる大地はまだましである。しかし天空の上、すなわち大地の表面に見出されるものに比べたら大きな隔絶さである。この天空のもとにある、大地の表面に見出されるものはどんな形状をしているのかをソクラテスは語り始める。上から見ると、十二面の皮革で縫い合わされた鞠のように、面がそれぞれ色分けされている。註によると、球に最も近い正多面体の正十二面体を示しているという。大地全体が美しく、ひかりかがやく純粋な色彩によってつくられている。大地に生まれ育つもの、樹木や花や果実、山々や石にしても美に照応してある。我々のもとで宝石と珍重されている宝石は、かの世界のかけらにすぎない。

大地の窪みに住む我々のところに流入する塩水や腐敗物によって腐敗され毀損されてしまうことはない。これらの流入こそが動物や植物に醜さを与え疾病をもたらすという。上方の土地は貴金属で飾られていて、至福な者のみに許された景観である。多くの動物も人間も住んでいて、ある者は内陸部に、ある者は空気のほとりに住んでいて(我々が海のほとりに住んでいるように)、またある者は大陸の近くに位置し、空気に囲まれた島々に住んでいる。彼らは見聞きする力や、知のはたらきにおいても我々より優れている。彼らは聖なる杜や社をもち、そこに神々が住み、お告げを聞くなどして神々と面々相対して交わっている。かの大地は内部に多くの地域を持ちさまざまな窪みに位置する。我々に住む窪みよりさらに深く広い。これらすべての地域は地下でつながっていて、莫大な水が相互に流れあう。地の内部には熱湯や冷水に充たされた大河があり、さらに泥濘もあり、シケリアの泥の河と溶岩流のようである。(プラトンがエトナ山を見た実際の見聞きした体験が反映していると注釈者はいう)大地の裂け目の最大のものがあり、一端から他端へと貫流している。ホメロスその他でなづけられたタルタロス(奈落)であり、すべての河はここに流れ込みふたたび流れ出る。

そのほかに特筆すべき四つの河がある。最大のものが外側を廻るのがオケアノス(大洋)である。(『オデュセイア』第十一巻に、「死者と生者のくにをへだてる多くの大きな河や怖ろしい流れのうちでも、まず最初に位するのが、オケアノス」という記述があることを訳者は注で指摘している。)それに相対して反対方向に流れるのがアケロン(冥界の河)である。これは地下を流れ、アケルシアス湖に達する。そこは死者たちの大半のものの魂が行き着くところであり、一定期間そこに留まり(長期間か短期間)、再度この世に生きるものとして生まれるために送り出されるという。三番目の河は、先の二つの河の中間地点からタルタロスをあふれ出ると地下の広大な、火に燃える地域へ流れ込み煮えたぎる湖をつくっている。その流れは湖を離れ地の中を囲繞しながら各地に到りつき、アケルシアス湖のきわまで達する。この湖の水は交じり合うことなく何度も地下を廻った後、タルタロスのより下方に流れ込むのである。この流れはピュリプレゲトン(灼熱の流れ)と呼ばれていて、運ばれる溶岩流は地上の様々な地点に噴き出しているという。これと相対するところから第四番目の河がタルタロスを出て、最初に行きつくところは、恐れと荒々しさに満ちたところで緑青のような色におおわれた、ステュギオス(慄きの地)と呼ばれている。河が流れ込んでつくる湖がステュクスと呼ばれる湖である。この湖の水のうちに異常なちからが生じると、流れは地中にもぐり地中を囲繞してピュリブルゲトンとは反対方向に進み、アケルシアス湖のところで反対側からやってきてそれと出会うことになる。この流れの水は他の流れと交じり合うことはなく、地中を廻りピュプレゲトンと反対の側でタルタロスに流れ込む。この河の名は詩人たちの語るところによると、コキュトス(悲傷の流れ)と呼ばれている。

 死者たちがそれぞれ神霊(ダイモーン)に連れられ、ある場所(『ゴルギアス』のミュートスでは「ミノスとラダケンテュスとアイアコスが二股の途が分岐する「牧場」とある。)にやってくると、敬虔な生を送った者とそうでない者とが裁きの前に立つ。たいした善事も悪事もなさなかったと判定された判定された者たちは、アケロン(冥府の河)まで行き、しつらえた舟に乗ってアケルシアス湖(冥府の湖)までやってくる。彼らはそこに住み、みずからを浄めながら、不正をおかした者は罰を受け、不正のとがめから解放される。善行があった者は報賞を受ける。おかした罪過があまりにも大きいため、癒しがたいと判定された者たち(例えば殺害を犯した者など)は悪行にふさわしい定めにより、タルタロスに投げ込まれ二度と出ることはない。またおかした罪過は大きいが癒しうると判定された者(例えば、父母に対する暴虐をおかしたが、悔い改めて死後の生を過ごした者、似た事情で殺人をおかした者)には、タルタロスで一年を過ごすと、さかまく浪が彼らをそこから外へ投げ出す。しかし、殺人者はコキュトス(悲傷の流れ)に運ばれ、父母に暴虐を加えた者はピュリプレゲトン(灼火の流れ)に運ばれる。アケルシアス湖のあたりで殺した人々、暴虐を加えた人々の名を叫び、呼びとめると哀願して、河を出て湖に入ることを許し、受け入れてくれと乞う。聞き入れられれば彼らは河の外に出るが、そうでない場合は再度、タルタロスに運ばれ、不正をおかした相手が納得するまでつづく。

 これに対して、生涯を敬虔に送ったと判定された人々は大地の内部の諸々の地域から自由となり解放されて、上方の清浄な場所へいたり、真の大地に住むことになる。このような人たちにあっても、真実に知を営み浄化した者はそれ以後、肉体を離れて生き、大地のおもてよりさらに美しい居処へと到るのである。ソクラテスは、自分が長々と語ってきた事柄は、真実であると断言するのは、知性に関わる人間にはふさわしくないことであろうと語る。だが、魂がいま不死であることが明らかになった以上、このような想定に賭けることは美しいことだとつけ加えた。

 

 ハデスへの旅立ち

 長い神話(ミュートス)を語り終え、沐浴を済ませようとするソクラテスに、クリトンは「この人たちにでも、あるいはわたしにでも、いま君がいっておくことはないか」と尋ねた。それに対してソクラテスは、「いまさら、新しいことは何もない。ただ君たちが君たち自身の配慮をおこたりさえしなければ」という。「きみをどのように埋葬したらよいか」と尋ねるクリトンに、ソクラテスは答える、「クリトンにはわたしは了解されていないのだ」と。ソクラテスが毒杯をあおいだ後はこの世を去り、「至福なる者たちの、よき神霊に恵まれてあるという状態におもむくのだ」と語ったことも、慰めのほんの無駄話だったように見えてくるとソクラテスは嘆いた。「わたしが死ねば、誓って留まることはなく、わたしはここを離れて立ち去っていくであろう。またそうすれば、弔いの時にあたって、彼が、ソクラテスを安置するとか、葬送するとか、埋葬するとかの、そういう言葉を口にすることはなくなるだろう。いいかね、よきクリトンよ、よくない言葉を語るということは、ただその言葉のうえだけでの不協和音というのではなしに、それは、われわれのたましいのうちになにかある禍いを植えつけもするものなのだ。」とソクラテスは戒めるのであった。埋葬の仕方はしきたりにかなうと思う仕方でしてくれればよいとソクラテスは付け足した。

 

 ソクラテスは沐浴のためにクリトンだけを伴って別の部屋に向かった。沐浴を終えて戻ると、二人の小さなソクラテスの子供たちのところへ連れてこられたが、ソクラテスは子供たちを帰すように伝えた。その時、十一人の刑務委員に仕えるものがやってきた。「むろんなにを告げにやってきたかは、お分かりでしょう……、ごきげんよろしゅう。どうにもいたし方ないものを、せめてはできるだけ、こころやすらかに担われますように……」といいつつ涙を見せ立ち去った。ソクラテスはクリトンに毒を誰かにもってこさせてくれと頼む。クリトンは日がすっかり沈むには時間があるから、毒をのむことを遅らせてはというクリトンの言葉に、すぐにもってこさせるようにいうと、クリトンは近くいた僕童に合図すると、彼は毒を渡す役目の男を連れてきた。男は毒の入った杯をソクラテスに手渡すと、ソクラテスは受け取り「この世から、かしこへと居どころをうつす旅路に幸あるように――。まさしくこれが、いまわたしのいのるところだ。かくあれかし」といって杯を口にあて飲みほした。この話を友人に報告することになるパイドンは、その時、「それはわたし自身の不幸、かくばかりすぐれた友なるひとから見離されてしまうわが身の不幸になげいたのです」と語っている。クリトンをはじめ、そこにいたすべての人は涙にくれたのであった。「……死は静謐のうちにこそあるのだから。さ。静かにしたまえ。たえなくては」とソクラテスは否めた。

 訳者松永氏は註で、オリュンピオドロスの言葉を引用している。それによると、「その静謐さは、魂が、肉体の滅びの苦痛にとらわれてしまうことのないようにするためにも、……また、神々が、導こうとしてそこに現われることを、けっして妨げないようにするためにも、必要なのである」というピュタゴラス派の考えを伝えている。

 

ソクラテスの最後の言葉

 すでに下腹のあたりは、ほぼ冷たくなっていました。そのとき、ソクラテスは、顔に覆衣がかけられてあったのですが、それをとっていわれた。そして、これがあの方の口からもれた最後の言葉となったのです。「クリトン、アスクレピオスに鶏を一羽おそなえしなければならなかった。その責を果してくれ。きっと忘れないように」「うん、たしかにそうしよう」とクリトンはいった。「しかし、君、ほかになにかいうことはないか」こう彼はたずねたが、もう答えはなにもありませんでした。すこしたつと、ぴくっとからだが動き、係りの者が覆衣をとりのぞくと、あの方の両眼は、じっとかたくすわっていました。それをみて、クリトンが、あの方の口もとと、まなこを閉じたのです。(『パイドン』118)

 

 仏語訳からの日本語では「クリトン、我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。私の借りを返してくれ、忘れないようにしてくれ」となっている。アスピオクレスとは人間に治癒をもたらす神である。(訳者松永氏の註によると、アスクレピオスはアポロンとコロニスの間に生まれた子であり、ケンタウロスのケイロンに育てられた医療の神であり、その神への供犠には鶏が用いられたという。)ジョルジュ・デュメジル(1898~1986フランスの比較神話学者)は、この部分の様々な解釈に納得していなかった。「私の借りを返してくれ」と言う表現は、神が誰かに治癒を施ししたとき神に感謝を捧げる行為である。ソクラテスはアスクレピオスに借りがあったとすれば、どのような負債なのであろうか。ラマルティーヌの詩句では、「生きるという病から治癒したのだ」とあるが、デュメジルは否定する。なぜならソクラテスは仏教徒ではないし、生は一つの病であり死が我々を生から治癒させるという考えはプラトン的やソクラテス的な考えではないからであるとフーコーはいう。しかしラマルティーヌ特有の解釈ではなく、ロバンやバーネットらによって伝統的に解釈されてきたものであった。「生、それは病であり、死、それは回復した健康である」という解釈であるとフーコーは説明している。ニーチェは『華やぐ知恵』で「おお、クリトンよ、生は一つの病なのだ」という記述があることをフーコーは指摘する。しかしニーチェは、生という病からの解放に関して感謝するという解釈に満足せず、「彼(ソクラテス)がその生の最後の瞬間にも沈黙を守ってくれたらよかったのに。もしそうしていたら一段高い精神段階に属したであろう」と記す。「生は一つの病なのだ」というソクラテスは生に悩んでいたことになる。絶えず平静を保っていたソクラテス像とは大きな矛盾である。したがってニーチェは、ソクラテスは力尽きて自分がしたことを打ち消してしまったのだと解釈したのである。しかしフーコーは別の解釈をする。

 ひとつの秘境的な言説(ピュタゴラス派の格言)によれば――われわれ人間の生は、なにものかの見張りにおいてあるのであり、その見張りからわれわれはみずからを解き放ってはならず、逃げ出すことも許されない――というのだが、これはなにか、深い意味をもった言葉であり、それを見通すことは、容易ではないとわたしには思える。しかしながら、――われわれを配慮したまうのは、神々であり、われれ人間というのは、神々にとって所有物(牧畜)のひとつにすぎない――ということは、ケベスよ、わたしにもこれはすぐれた言葉であると納得しうるのだ。君にはそうは思われないか」『パイドン』62-B

 

 フーコーによると、「我々は神々による配慮と心遣いの対象であるということ」であり、「生は一つの病であり、人は死によってそこから解放されるのだ」という考えとは矛盾する。ソクラテスは哲学的生を送り「自らを統御している」人物として、プラトンの全著作で描かれている。哲学的生とは「やむをえない場合を除いては、身体との交わりや付き合いをできる限り避け、身体の本性によって汚されず、逆に身体に対して清浄であり続けるようにして、神ご自身が我々を解放されるときを待つ」ような生であり、「彼は生から自らを引き離すのではなく、生のなかで自分の身体から自分を引き離すのであり、神々が我々に合図を送ってくるときまでそのように汚染されず純粋に生きる可能性を考えること」であるとフーコーは解釈する。したがってこのような生を病のようなものと考えることはできないのである。

 デュメジルは、確かに一つの病、一時的ではなく重大な病が問題になっていること、つまりニーチェのいうようにソクラテスは力尽きて発した言葉ではなく、彼の教えのなかで最も本質的な明白なことを語ったのだと主張する。その病とは何か。この言葉は、ソクラテスがクリトンに向けて発した言葉であることに注意を向ける。しかも、「我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある」とある以上、クリトンだけでなくソクラテスとそのほかの人々が負っている負債でもある。しかしクリトンが呼び止められたのであるから、彼この負債を完璧に知っていることになる。それを理解するにはソクラテスとクリトンの対話を読み進めなくてはならない。

 

  ソクラテス、きみが行なおうとしていることは、正しいことではないように思われるのだ。きみは、助かることができるのに、自分自身を見捨てようとしているのだからねえ。きみがきみの一身上に成就しようとして、一所懸命になったかも知れないようなことなのであって、事実またかれらは、きみを破滅させようと思って、一所懸命のそれらの努力をしたのだ。またその上、きみはきみの息子さんたちを見捨てようとしているように、ぼくには思われる。つまりあの人たちを、きみは供養し、教育してやることができるのに、それを置き去りにして、きみは行ってしまうことになるのだ。『クリトン』45-C~D

 

 クリトンの言葉はあるいは行動に向けられ、しかもソクラテス自身と関係するソクラテスの言葉の意味することは何か。デュメジルはクリトンがソクラテスに脱走を提案するエピソードを介入させる。右に引用した部分では、「自分自身を見捨てようとしている」という表現から自分自身を裏切ることになるとクリトンがいい、「きみは君の息子さんたちを見捨てようとしている」という表現から「子供たちを裏切ることになるといおうとしていることになるとフーコーは説く。右の引用の後で、「われわれは自分たちが何か無能であり、勇気を欠いているために、事件をすっかり取り逃がしてしまった」と世間の人々から思われ、「恥辱となるかもしれない」とクリトンはいい脱走を勧める。このようなクリトンの提案(忠告)に対してソクラテスの返答ほどのようであったろうか。万人の意見、人々に共有されている意見を考慮に入れる必要があるのか、それとも意見を考慮に入れるべき人々とそうでない人々に分かれるのだろうかとソクラテスはクリトンに問う。ソクラテスは、盲目的に人々の意見に従うことはできないといい、体育の例を挙げる。身体への気配りが問題となるとき、人々は万人の意見に従うことはないだろう。どんな人の意見にでも従うのであれば害悪を受ける。また身体に関してよく知っている人の意見に従うとしたら正しい養生法を与えることのできる体育教師に従うだろう。そのように正義と不正に関して、「正義と不正、善と悪のあいだの差異を知らない人の意見に従うことは、正義と不正とに関わりをもつ我々自身の一部分」が損なわれ、破壊される怖れがあるのではないかとソクラテスはいう。この「一部分」とは魂のことであるとフーコーは説く。なぜ魂といわなかったのか。それは、ここでは「魂が形而上学的に基礎づけられる以前」が問題になっているからだとフーコーは指摘する。結論としてフーコーがいおうとすることは、万人の意見には「配慮」せず、何が正義で何が不正であるかを可能にするものにだけ配慮することが大切であるということである。つまり真理に配慮すべきだというのだ。

 大切にしなければならないのは、ただ生きることではなく、よく生きるということなのだというのだ。……その<よく>というのは、〈美しく〉とか、〈正しく〉とかいうのと同じだ。(『クリトン』47B)

 魂の損傷、魂の破壊は真理によって避けられ、真理の観点から吟味もテストもされず試練にもかけられていない意見によって魂は堕落し、破壊され、損なわれ、悪い状態に置かれるという考え方がソクラテスの言葉に表れているとフーコーは指摘する。魂の堕落した状態を「病」とするなら、健康な状態に回復させるものが「アレーテイアによって武装された意見であり、理性的なロゴス」なのだとフーコーは説く。クリトンが冒された病とは、万人の意見から解き放たれ、自分自身と真理との関係に基礎を置く真の意見によって選択し、決定し、決断できるようになったときに治癒する病のことであるとフーコーはいう。従ってアスクレピオスに感謝しなければならないのは、その病からの治癒であったと考えられるとフーコーは指摘する。

 ホモロギアとエピメレイア

ソクラテスの最後の言葉、「我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。私の借りを返してくれ、忘れないようにしてくれ」(フーコーのテクストに使われたフランス語訳)が何を意味しているのかという考察の途中から、私のこの論考は『パイドン』全体の内容に触れていくことになった。このプラトン中期の作品といわれる『パイドン』には様々なテーゼが盛り込まれ、相互に関係しあっているからである。

フーコーによれば、魂の病のようなものとしての、誤った意見からの治癒は、ロゴスによってもたらされる。できの悪い意見は魂を損ない堕落させて健康の外に置く一つの病のようなもので、そこから治癒すべき病のようなものであるという考えが『パイドン』のなかで反響しているとフーコ―はいう。クリトンは、ソクラテスにとっては死ぬよりも生きる方がよいとのだと彼に信じ込ませる病に冒され、シミアスとケベスは、人が死ぬとき不死の魂が解放されるとは限らないと信じ込ませる病に冒されていた、とフーコーは説く。従って、アスクレピオスに雄鶏一羽に借りがあるのは、この種の魂の治癒に関してなのだ、つまりクリトン、シミアス、ケベスの魂の治療に関してなのだと、デュメジルの解釈を説明して見せる。つまり、病に冒されているのがクリトン(シミアスやケベスも含めて)であるなら、なぜ「我われはアスクレピオスに借りがある」というのか。なぜ「クリトン、君たちはアスクレピオスに借りがある」といわないのか。「我われ」という表現にはソクラテスが含まれるのだというデュメジルは、次のように解釈する。「ソクラテスと彼の弟子たちとのあいだには共通と友愛の絆がある」と。さらにソクラテスは、クリトンに説き伏せられて脱走をしたかもしれない、魂を堕落させたかもしれないという危険があった。しかし、ソクラテスは真理に対する勇気によって病から治癒したのであり、最終的にはソクラテスの死の瞬間によって成就するものであるといえるのである。このようなデュメジルの解釈に加えて、フーコーは次のような見解を示す。すなわち、「議論に加わっている全員が議論の企てに関して連帯しているという事実は、まさしく、あらゆるプラトンの対話篇のドラマツルギー全体をしるしづける一つの特徴である」と。悪しき言説が勝利を収めれば全員が敗北したことを示し、よき言説が勝利を収めれば、全員が勝利を収めたことになるという、つまりホモロギアの原則に従って連帯していたということになるとフーコーはいう。ホモロギアとは議論する相手と同じロゴスを持つということである。クリトンが病に患えばソクラテスも病を患っていたかもしれないということを意味する。結果として治癒に感謝しつつ全員の名においてなされなければならないことになったとフーコーはいう。ホモロギアが真理の形式と試練の場という側面を持つためには、相手に対して友情の範疇に属するような好意の感情を持っていなければならないと、『自己と他者の統治』でフーコーは主張する。さらにフーコーは、このように神によって治癒をもたらされた活動を、精神疾患としての誤謬と考えてはならないという。「エピメレイア」と呼ばれる実践哲学の領野に属するものであるである、つまり、エピステメー(知識)、エウノイア(好意)、パレーシア(率直さ)がホモロギアの真理の基準となるとフーコーは指摘する。ソクラテスの死をめぐる物語は、『ソクラテスの弁明』に始まり、『クリトン』に引き継がれ、『パイドン』に終わるが、まさしく「エピメレイア」(自分自身および他の人々への気配り、諸々の魂への気配り)のテーマに貫かれているとフーコーはいう。クリトンのソクラテスに対する愛情の深さ、ソクラテスのクリトンに対する気配り(なんという優しさ!)を読み取ることができるのだ。

 『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスはパレーシア(勇気を持って真なることを語ること)を神から遣わされた使命として人間たちが自分自身に専念するように説く人物として描かれていた。『クリトン』では、クリトンはソクラテスに脱走を勧める人物である。そうしなければソクラテスは彼の子供に専念できなくなるだろう。ここにもエピメレイア(魂への気配り)の主題がある。「もし私が脱走するとしたら、国法が私の前に立ちはだかるだろうと君は思わないのか。国法は私に言うだろう。お前の誕生に専念したのはいったい誰か。お前は都市国家において結婚がなされるやり方に不満なのか。お前が子供の頃、お前に専念し、お前を育てたのはいったい誰か」というエピメレイアに関わる箇所をフーコーは引用しつつ、「都市国家の国法が、世界全体にとっての神々と同様、市民たちに気を配り、市民たちに専念し、注意を払っているからなのだ」と説明する。ここにも国法の気遣いを見出すことができる。『パイドン』の終盤で、クリトンはソクラテスに「いま君が言っておくことは、何かないだろうか」と尋ねる。ソクラテスは返答する。「いまさら、新しいことって何もない。ただ君たちが君たち自身の配慮をおこたりさえしなければ」。これがソクラテスの遺言であるとフーコーは指摘する。また、『ソクラテスの弁明』の最終部で、ソクラテスは自分の息子たちについて次のようにいう。「わたしの息子たちが、成人したら、どうか、諸君、わたしが諸君を苦しめていたのと、同じことで苦しめて、仕返しをしてくれたまえ。もし諸君の目にかれらが、自分自身をよくすること、(徳)よりも、金銭その他のことに、まず心を用いていると思われたり、また何の実もないのに、すでに何ものかであるように考えているようでしたら、わたしが諸君にしたのと同じように、心を用うるところに心を用いず、何の値打ちもない者なのに、ひとかどの者のように思っているといって、かれらの非をとがめてください。そうすれば、諸君がこれらのことをしてくれる時に、わたし自身も息子も、諸君から正しい仕おきをうけることになるでしょう。」これは有罪判決後になされた子供への言及の第一のものであり、二番目の言及はクリトンによる反論に対してなされたものであり、三番目は『パイドン』のなかで「いま君が言っておくことは、なにかないだろうか。子供さんのこととか、他のどんなことでもいいのだが」というクリトンに対して、「君たち自身に配慮したまえ」と答えるそのやり取りの部分での言及があった。そしてその後に、これまで長く論じてきた、「アスクレピオスに負っているものへの言及、アスクレピオスへの約束が語られる。「それは、治癒をもたらすその神によって、ソクラテスとその弟子たちにもたらされた助けに対する感謝のしるし」である。つまり「自分自身に配慮する人々に助けをもたらしてくれる神に捧げられる感謝である」、とフーコーはいう。我われが自分自身に配慮するとすれば、それは、神々が我われに配慮してくれたからであり、我われに配慮するからこそ、神々はまさしくソクラテスを送り出し、自分自身に気を配る術を我われに教えようとしたのだと、フーコーは説く。ソクラテスのパレーシアの行使は死の危険にさらされたものであり、それによって命を落としたのである。『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』の三つの作品に絡み合う数々の糸を、プラトンは最後のソクラテスの二つの勧告のなかで、最後に再び結び合わせる。一つは「私の最後の望みは君たちが君たち自身に専念すること」と語るときであり、そしてもう一つは人間たちが自分自身に配慮するように仕向けようとする神々の人間たちに対する配慮が、アスクレピオスの捧げものというかたちで指し示されているとフーコーは指摘する。そして「ソクラテスの死は、哲学を預言とも知恵ともテクネーとも異なる真理陳述の一形態」、「まさしく哲学的言説に固有の真理陳述の形態」を創立したのであり、「その勇気は、政治的演壇には自らの場所を持つことのできない魂の試練として、死に至るまで行使されなければならない」のであると主張する。

 ソクラテスの遺言は、「君たち自身に配慮したまえ(humôn autôn epimeleomenoi)。」であった。

 

 参考文献・「プラトン全集1・11」(岩波書店)、ミシェル・フーコー「真理の勇気」「自己と他者の統治」(筑摩書房)

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長期連載エセー『自己への配慮と詩人像(十四)』小林稔「ヒーメロス」13号2012年10月12日

2012年11月16日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)その三

小林稔

祭杖をたずさえる者(前回の続き)

 ソクラテスが語り終えた後、ケベスは魂の存在について疑問を投げかけることになる。魂は肉体を離れると、もはやどこにも存在しないのではないかという疑念である。訳者の註によると、「ホメロスを主流とするギリシア思想伝統では、死後のたましいには冥府(ハデス)でのまったく影のごとき生活、つまり無にひとしいそれしか与えられていなかったという。「肉体から離れてその外に出て行くやいなや、ちょうど、気息(いき)やけむりのようにちりぢりになり、飛散し去って、もはやどこにもいかなる存在もとどめなく散るのではないか」というケベスの言葉にそれが窺える。魂自身がどこかに存在するとするには議論が必要であることをケベスは申し出た。ソクラテスはそれに対して「ひとの死後、その者たちの魂は、ハデスに存在するのか、しないのか」という命題を掲げて長い考察を始めることになる。

  『パイドン』(70-c)十五から三十四までを図式的にまとめてみよう。

 ひとの死後、その者たちの魂は、ハデスに存在するのか、しないのか。

    ↓

 死せる者から生きる者がふたたび生ずるのだとすれば、われわれの魂はハデスにある。

   ↓

 およそ生成をもつかぎりのすべてのものについて、万物の生成はどのようになされるか。

   ↓

 反対関係のあるかぎりでのものどもは、一方の生成は反対である他方のものから生じる。

   ↓                  (美しいものと醜いもの、正しいものと不正なものなど)

 反対関係にあるものは相互から生じる。そこには相互へのそれぞれの生成過程がある。

   ↓

 死にゆくことに反対の生成過程はよみがえることである。円環構造。

   ↓

  われわれが学び知るというのは、じつは想起(アナムネーシス)にほかならない。

    ↓

 ひとが何かを想起するということがあろうなら、そのものを以前に知っていたはずだ。

   ↓

 竪琴を見て持主を思考のうちに捉える。これが想起だ。忘れてしまった事柄についての経験。

   ↓

 画かれた馬、竪琴を見てひとりの人間を想起することもある。

   ↓

 想起は類似したものから起こる場合と、類似していない場合から起こることもある。

   ↓

 という何かがあると主張するかどうか。等しいものを見てを思い浮かべた。

   ↓

 等しいものどもというのと、〈等しさ〉そのものとは同じではない。

   ↓

われわれは〈等しさ〉そのものというのをあらかじめ以前に知っていたのでなければならない。

   ↓

「A」を見て「B」を思い浮かべるかぎり、類似したものであってもそうでなくとも想起である。

   ↓

われわれは生まれる以前に〈等しさ〉そのものの知識を得たのではないか。

   ↓

〈美〉や〈善〉、〈正しさ〉、〈敬虔〉などについての知は生まれる以前から得ていた。

   ↓

すでに知識を得ていて誕生の時にも忘却せず知ったまま生涯を通じてその知識をもちつづけるのか。それとも、生まれてくるときに失ってしまい、後になって感覚を使ってふたたび捕らえ直すのか。その場合は想起と呼ばれる。

   ↓

 何かについて知の状態にあるなら、それを定義することができるのではないか。しかしそれはソクラテス以外にはいないのではないか。

   ↓

したがってひとはかつて学び知ったものを想起するといえる。生まれる以前に魂は存在していたことになる。

    ↓

 魂は、人間というもののうちに存在する以前にも、肉体から離れて、知をともないつつ、存在していた。

   ↓

美とか善とか、存在の本来的なものがあるとするなら、それぞれの存在の中にある似像として、以前からわれわれのものとしてあるものを感覚で捉えられるものを遡行させていく。

   ↓

 死後もなお魂は存在するという論証はまだ完全ではない。(シミアスからの反論)

   ↓

 魂が肉体から出ていくとき、風に吹き飛ばされちりちりになってしまうのではないか。(ケベスからの反論)

   ↓

 散り散りになるという状態はどのような種類のものにふさわしいか。人工的に合成されたもの、自然に合成されたものでは分離・解体はある。しかし多から合成されたものではないものにはそれはない。常に同一性においてあり、同一のあり方をたもつものは他から合成されたものではない。つねに同一性においてあるものについては思考のもつ純粋な推理のはたらきによる以外は、他の手段はこばまれている。見えるものではない。〈見えざるもの〉の方は、つねに同一性においてあり、〈見えるもの〉の方は同一性をもたない。

   ↓

 肉体は〈見えるもの〉、魂は〈見えざるもの〉である。

   ↓

 感覚を通じての考察は肉体を通じての考察であるであるから、同一性においてないもののほうへと、魂は肉体に引きずられていく。魂は彷徨し混乱する、めまいをおぼえるのではないか。

   ↓

魂が自らにおいて考察するとき、純粋のもの永劫のもの、不死であり不変なるものへと赴き、つねにかのものへと共にありつづける。かのものとかかわりつつ魂もまたつねに同一性においてある不変のものとなる。〈知〉とよばれるものは、魂のそのような状態にあることを名づけたものある。

   ↓

魂が肉体と一緒にいるとき、自然本性は、肉体に対して隷属し支配されることを命じ、魂には支配し主導することを命じる。

   ↓

魂は神的なものに似ているし、肉体は死すべきものに似ている。魂は知性のみがかかわりをもち一なる形相をもち、分離・解体を受けることがなく、不変のあり方に自己同一性をたもつものが存在する。

   ↓

魂は不可視なものとして、自らに似た不可視な領域、ハデスの(見えざる)邦へとおもむき、善く賢き神のもとに至る。このような魂は肉体から離れ去るや吹き飛ばされ無に帰すことはない。魂は自ら進んでにくたいといっしょにあったこと一度もないから離別のとき肉体に関わるものを引きずっていくことはない。真正の仕方で知を求めてきたそのままに、こころやすんで死にきることを習ってきたそのままに、肉体を逃れて純粋な魂に結集する。知を求めることは、まさに死の練習である。

     ↓

 肉体との交わりと結合によって魂のうちに植えつけられたもの、欲望や快楽に魅了されてきた魂は肉体から離別できるのだろうか。

    ↓

 このような魂は物体的なものに取りつかれているのだ。このような魂は軽やかさを失い、かの見えざるところ、ハデスを恐れこの目に見えるところへ引きもどられてしまう。劣悪な者たちの魂は、碑や墓のあたりを彷徨しなければならない。その彷徨の果てそのような魂にいつまでもつきまとう、かの肉体的なさがの持つ欲望から、ふたたびなんらかの体の中(獣の種族など)へとつなぎとめられてしまうのだ。

    ↓

おのおのの者の行き先は、その者のつねの習いとしてきたものに似通い、それに相応じてくる。公共の市民として徳をおさめた者がもっとも幸福で最上のところへ行く。節制とか正義とか呼ばれているもの、知を求めることの営み(哲学)や知性そのものはこれにかかわることなしに、ただ慣習と習熟から生じた徳を身に

つけた者は蜜蜂や雀蜂、蟻などの種族、あるいは善良な人間として生まれてくることもある。

    ↓

哲学に徹し、一点のくもりもなく清浄となって世を立去る者、学びにひたすらな者は神々の一族に至る。知の希求者は愛財家ではなく不名誉や悪評を怖れず、もろもろの欲望をはっきりと遠ざける。哲学と、それがなす解放や浄化に反するような行いはなすべきではないと信じて、それにしたがい、哲学が途しるべするままに、その途のほうへ向かっていくのだ。

    ↓

いかにしてその途しるべはなされるのかという質問にたいしてソクラテスはいう。哲学を学び始めたころは魂は肉体に縛りつけられていて、肉体を通じてでなければ存在するものを考察できない。この囚われの状態を作り上げているのが欲望である。このような状況にある者の魂を哲学がひとたび傍らに引き取れば、励ましの言葉を与え、縛めをとこうとする。視覚的な考察やその他の感覚的考察が魂をあざむく。そこから遠ざかるように勧告する。そこには何一つ真実はない。魂がそれ自身によって見るものは、知性のみのかかわりうるものである。強烈な快楽や恐怖や欲望を感じることによって受ける害悪は、知を愛する者であれば自分自身から遠ざける。病気にかかることや財産を使い果たす以上に最大の害悪をこうむることをひとは知らないでいる。

    ↓

人間の魂は激しい快楽や、あるいは苦痛を感じると、そのよう感覚をもたらしたものごとを真実であると信じ込まされている。それらは可視的なものである。快楽や苦痛は魂を肉体に釘付けしてしまう。魂は肉体の肯定するところを真実であるとみなす。なぜなら肉体と思いをともにし、同じことに悦びを見出していると、魂は肉体と同質になるからである。魂自身が肉体のさがをおびたものとなってしまうのだ。

    ↓

そのような定めゆえ、学びにひたすらな者はみずからに慎みを保ち、自らに勇気ある者なのである。知を求める人の魂は、情念の動きにはつねに凪の状態を考え、ただ思惟の働きのみに従い、そのうちにあって真実であり真実であるものを観照し、そのものよって養われ、生ある間はかくも生きるべきであり、死せる後は自らと同族であるもののほうへと到り、そのような神的である存在のもとへと到りついて、人間的な諸悪から離脱し終える。従って、肉体から離れ去るとき、魂は吹き飛ばされたり、引き裂かれ飛散することはない。

 

白鳥の歌―かの白鳥たちは、自らの死期がきたと感知すれば、平常にも無論歌うことはあるものの、そのいまわの

際の歌声は取り立ててはげしく、また際立って美しくもある。(『パイドン』84―E)

 

 ここまでソクラテスが語り終えると、沈黙がつづいたが、シミアスとケベスがなにかを言い出しかねている様子を察したソクラテスは、これまで語られた議論に反撃があれば語るように促す。するとシミアスは「いまは(ソクラテス)の不幸な時でもあるから、面倒をかけるのは躊躇っている」という。するとソクラテスは、現在の事態(ソクラテスの最期)を自分は不幸と思っていないと述べ、死期を感知した白鳥の話をする。

 白鳥は自らの仕えまつるアポロン神のところへいくことを悦び激しく歌っているのであり、人が考えているように、死を嘆いたり苦痛を感じたりして激しく鳴いているのではない。ソクラテスは自分も同じように、「ハデスの邦における善事を予知して」、「白鳥たちと同じ主に仕える者」であれば「白鳥たちに劣らぬ預言の術を、あらかじめ神からさずかっているのであり、けっして暗澹たる気持ちでこの世を離れ去るのではない」と語る。そのように聞いてシミアスは反論を開始する。

 肉体は反対的諸性質がつくりだすところの一種の緊張関係にあるとして、魂はそれらの諸要素の調和と考えられる。そうであるなら、肉体が病やその他の災悪によって弛緩させられたり緊張させられたりする時、魂は滅び去らねばならないのではないか。それに対して物体の残骸の方は焼かれるか腐敗するまで長期間形をとどめる。つまり魂の不死はどのように主張したらよいのだろうか。これがシミアスの反論である。ソクラテスはシミアスの反論に答える前に、じっくり考えるために時間が必要であるから、ケベスの反論を聞いてから答えることにしようという。

 ケベスの反論は次のようであった。「われわれの死後もなお魂はどこかに存在する」という論点に対して反論しようとする。年老いた機織師が滅び去ったとき、着用していた衣服は残されている。機織師は何度も衣服を着つぶしてはまた織りつづけ、最後の衣服が滅び去るより先に彼は滅び去るという場合を考える。魂というものは、数多くの肉体を次々に使い古していくのであるが、最後の着物だけは後に残して魂は先に滅び去るのが必然である。そうであるなら魂がわれわれの死後もどこかに存在しているという言論は正当ではないであろう。死後も魂は何度も輪廻を繰り返し生まれてくるに絶えるほど強靭であろうとも、数多くの生成を繰り返すうちに疲労してやがて滅び去る時がないとはいえないのではないか。従ってひとが死に直面するとき、つまり魂が肉体から分離するときに、魂が完全に滅び去るのではないかという怖れを抱かなければならないのは必然である。これがケベスの反論である。

 二人の反論によって、ケミアスの魂の調和説とケベスの魂の疲労説、それらと矛盾する魂の不死説が浮彫りになったのである。事後にエケクラテスに語るパイドンのソクラテス礼賛は、シミアスとケベスの議論を好意と賞賛をこめた態度でソクラテスが心地よげに聞いていたことにあった。そしてソクラテスの素晴らしい反論が始まるのであった。

 われわれが用心しなければならない、ひとつのこころの情態(病い)がある。それは言語嫌い(ミソロゴス)であるとソクラテスはいう。言論を憎むようになるというのは、こころの情態のうちで最悪のものであるからだ。人間嫌い(ミサントローポス)と類似的なものである。ある人間をすっかり信用し、信頼できる人間と思い込み、しばらくしてそうでないことを知る。また別の人間に同じことを繰り返す。そうしているうちに、万人を憎むようになる。最初に人間についての心得(テクネー)をもたなかったからである。まったくよい人やまったく悪い人は数が少なく、中間にある者が多数を占める。人間と言論が類似しているというのはこの点にはなく、言論というものに対する心得なしにまことの言論と思い込み、まもなくそれがいつわりだとわかり、また別の言論で同じことを繰り返す。「その混迷の原因を自分に帰せず、みずからの心得のなさにも帰着させずに、ついには苦しみのあまりに、自分自身の責任を言論のほうへと転嫁して、いい気になってしまうというのはね! そして、そうなってしまえば、以後の生は、すべて言論を憎みののしりながら始終することとなり、存在するものの真実と、その知識にはあずかりえぬ者となってしまうのだ」(『パイドン』90-D)このように言論に対する注意を促した後で、ソクラテスは反論を開始した。

 シミアスの反論をソクラテスは要約してみせる。「肉体よりも、魂のほうが神的であり、より価値の高いものであるにしても、魂というのは調和の一形態であるとする以上は、それは肉体よりも先に滅んでしまうのではないか」という点を確認する。ケベスの反論も同様に要約した。「魂は、なんどもかず多くの肉体を着つぶした後に、いちばん最後の肉体をあとにのこして、こんどは魂自身がさきに滅んでしまうのではないか」という点を確認する。そこから哲学的問答が始まるのであった。

  学知は想起であり、そうであれば必然的に、われわれの魂は、この肉体のうちに縛りつけられる以前にどこかに存在していたことになる。(『パイドン』92)

 ソクラテスは右のことをケベスとシミアスに確認する。彼らは承諾する。そしてシミアスにいう、調和とは多から合成されたものであり、魂は一種の調和だとし、肉体における緊張から合成されたものであるというシミアスの考えは、魂は人間の肉体にいたる以前にも存在していたという主張を認めていながら、そのときに存在していなかった諸要素(肉体)から構成されているということと矛盾するとソクラテスは指摘する。

魂の調和説と学知の想起説の矛盾を指摘したといえよう。シミアスは自分の考えは多くの人々に見かけのよさだけで同意されているので自分も同意していたに過ぎないことを認めた。いくつかのもっともらしさを挙げるだけで論証したかのように見せかける議論の危険性を問題にしている。しかしソクラテスは、魂の調和説と想起説は否定したものの、それだけで終えずに魂の調和説そのものの否定を試みる。存在のあり方はそれを構成するさまざまな要素のあり方と異なっていない。だから、その構成物が何かに作用を与えたり受け取ったりするとき、その構成要素が作用を与えたり受け取ったりするのである。したがって調和が構成要素を導くというのは間違いである。調和というものはどのように調和されるかが重要であり、強い調和や弱い調和というものがあるということは魂において起こることはない。魂は知性と徳を備えている場合に「よき魂と呼ばれ、無知と悪徳を伴う場合、あしき魂である。魂の調和説をとなえる人たちは、よき魂は調和されたものであり。あしき魂は不調和であるものといえるのだろうか。程度の強弱は魂には決してなく、調和されるとき、つねに等しい程度に調和にあずかるのである。したがって悪徳は不調和であり、徳は調和であることになる。もし徳が調和であるとするなら、いかなる魂も悪徳はあずからないことになる。このような論理展開からすれば、すべての魂はよき魂ということになる。魂が支配して肉体的なもろもろの情態に同調してなされることはない。熱があって飢えているとき飲まないように強いたり、食べないように強いたりする。魂は肉体を導き、統帥するものであり、調和でなくもっと神的なものであるとして、シミアスの主張する魂の調和説をソクラテスは根底から否定したのであった。

 アナクサゴラス批判

 ソクラテスはケベスの疑問に答える前に準備段階として、次のような議論を始めた。一般的に、ものが生成し消滅することについて考える場合、原因・根拠となるものを究めなければならないとし、ソクラテスは自分の経験してきたことを話し始める。ソクラテスは若い頃、『自然についての探究』と呼ばれる知識を求めることに熱中していた。われわれが思考するのは、頭脳が聴く見る嗅ぐなどの感覚をわれわれにもたらし、それらの感覚から、記憶と思いなしが生まれ定着すると、そこから知識が生成する。またそれらがいかにして消滅するかを考察したが、ソクラテスは自分がこのような探究に以下に向いていないかを思い知る。例えば、人が大きくなるのというそのことは、何に原因し根拠づけられているのか、ということがある。以前には飲食によってであると思っていた。肉に肉がつき、骨に骨がついて小さいかさであったものが、大きいかさになる。つまり小さな人が大きな人になる。さらに十が八よりも大きいとか、一たす一は二になるとかの原因は集まるということが原因であり、一を分断することは反対に離されることが原因である。そもそも一が生じる原因は何かと自分は知っていないのだとわかった。ものが生じたり消滅したりするのは何が原因・根拠となるのかを考えたとき、右のような考えでは納得がいかないので、別の方法を考えようとソクラテスはいう。ある人がアナクサゴラスの書物から学んだ、次のような言葉をソクラテスに教えてくれたという。

 すべてをひとつに秩序づけ、すべての原因となるものは、ヌッス(知性)である。(アナカサゴラス)

 ソクラテスはそれを聞いて、ヌッス(知性)が秩序づけているからには、「いかにあるのが最善なのか」という仕方ですべてに秩序を与え、しかるべくすべてを置いているはずである。したがって「いかなるありようにおいてあるのが、そのものにとってもっともよいのかということを見出すことがよいとソクラテスは考えたのである。それは、最高の善とは何かということである。悪も同じように知るだろう。両者は同識に属するのである。このようにしてソクラテスはアナクサゴラスをすっかり信じるようになった。ヌッス(知性)のよって、すっかり秩序づけられているとすれば、現にあるような仕方であることがそれらにとって最高の善であるという原因以外に考えられなかった。ところがソクラテスは、アナクサゴラスの書物を読み進めるうちに、ヌッス(知性)は役に立たず、空気やアイテールや水などを持ち出し説明を始めたとき、突き放されたような思いになった。アナクサゴラスは、物体は無限に小さく分割されうると考え、最小の構成要素を「スペルマタ」と呼んだイオニア出身の哲学者である。その無数のスペルマタが知性のよって整理され秩序が生まれたと考えた。デモクリトスの原子論の近いが、知性を措定するところが大きく異なる。原子論では者を分割してこれ以上分割できないものを原子とする。「原子論における世界の真実とは、物質の構成要素である原子とそれが運動する虚空間があるだけで」、「知覚と価値を無関係にして世界の基本的なあり方を考えた」(藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』)のである。アナクサゴラスにしろデモクリトスにしろ、科学的な思考へ向かう思考である。これに対してソクラテスの、〈現にあるような仕方で、あることが、それらにとっての最高の善なのだ〉という考えとは相容れないことは明白である。「ヌッス(知性)によって、すっかり秩序づけられる」と主張するアナクサゴラスに期待したが結果的に失望したのである。『パイドン』の訳者の補注Ⅱによると、「aというヌッス=原因と、bという必須条件でしかありえないものの区別」が問題であり、「プラトンにとって大切なことは、aというヌッス=原因は必ずcという『善』による決定ということと結びついていなければならないことであった」。そこからソクラテスは「第二の航行」(アナクサゴラスのような自然哲学者の説以外の考察)といわれる「イデア原因説」を展開させる。

 

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アルクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『自己への配慮と詩人像』(十四回)「ヒーメロス」22号

2012年11月06日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

小林稔・季刊個人誌『ヒーメロス』22号 2012年10月12日発行

長期連載エセー『自己への配慮と詩人像』(十四回)

42 アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』その二

 

 なぜソクラテスは政治に携わらなかったのか

『ソクラテスの弁明』においてソクラテスは、アテナイの市民たちとの関わりを説明する。彼らに対して父親あるいは兄のような役割を果してきたが、公の場では民衆の前に立ち、助言を与えてこなかった、つまり政治的役割を引き受けてこなかったことを述べる。「危険にもかかわらず脅威にもかかわらず、都市国家のために都市国家のために立ち上がることを承諾する者、そして場合によっては、死のリスクを冒しながら真理を語る者のことが、政治的パレーシアが念頭に置かれている」(フーコー)ということを示しているのであり、ソクラテスが真理を公の場で語らないことをいかに正当化できるかが問題になる。ソクラテスは自分が政治に携わらないのは、彼が真理を公の場で語ることを思いとどまらせる神霊(ダイモーン)の声を聞いたからだという。しかし、「もし私がずっと前に政治に身を投じていたとしたら、私はとっくに命を落としていたであろう」とソクラテスは述べる。ソクラテスは自身が経験した二つの令を挙げる。一つは紀元前四〇六年のアルギヌサイ島沖の海戦で勝利をしたとき、遺体を拾い上げなかった将校たちを民会が訴えた折、民会が全員一致で有罪判決をしたときソクラテスは反対投票をし、「拘禁と死を恐れて諸君の不正の意志の手を結ぶよりも、法と正義に与して危険を冒すことが私の義務であると考えたのだ」とソクラテスはいう。この発言は、ソクラテスが師の危険を冒してパレーシアを行使したことを主張するものであるとフーコーは指摘する。もう一つの例は、紀元前五世紀の終わりにアテナイで三十人僭主による寡頭制の体制下、僭主がサラミスのレオンという名の市民を不当に告発し捕まえようとしたとき、四名の市民にその逮捕を実行するように命じたが、その中の一人がソクラテスであった。しかしソクラテスは従わなかった。「自分が死を全く気にかけていないこと」、「不正や不敬虔は決して行なわないようにしたいと考えてそれを何よりも気にかけているということを、言葉によってではなく行動によって示した」とソクラテスは弁明する。寡頭制のこの例ではパレーシアは不可能であるが、同じやり方で危険を受け入れたのである。しかし、二度にわたって命を落とす危険を受け入れたことを語ることが、公の場で発言せず、政治に携わらない理由にならないだろう。命を落とす危険を恐れたのは、たんに自分の命を落とすことではなく、アテナイの人たちに自分が有用であることができないからである。フーコーは「そのポジティブな任務とソクラテスが授かっていた責務とを守るという効果をもたらした」のが神霊(ダイモーン)の合図の機能であったのだと指摘する。神がソクラテスに託した使命を守るために送り返された合図だからであるとフーコーはいう。この神による介入にはいかなるポジティヴな任務がありそれを守るのか。その任務とは、「政治的舞台に場をもつことのありうるような様式とは全く異なる真理陳述のある種の様式の実現」であり、「哲学の〈晨なることを語ること〉の創設をしるしづける」ものだとフーコーは説く。政治的なものから離れたこの〈真なることを語ること〉の真理陳述とはいかなるものかを、ソクラテスの授かった使命の契機とは何かを考えるとき、フーコーは三つの契機によって図式化できるという。第一はアポロンの預言との関係である。友人カレイポンがデルフォイの神に、「ソクラテス以上の知者は誰か」と訊ねにいったところ、「ソクラテス以上の者はいない」と神は答えたのであるが、神の言葉はいつも謎めいたものであり、友人にもソクラテスにもその真意は理解されない。注視すべきは、ソクラテスがその言葉にして解釈を施さず一つの探求を企てることであるとフーコーはいう。それは、信託の解釈をすることなく異論を唱え、いろいろな人々を訪ね歩き検証し、異論の余地のないものであるか、真理であるかを検証する。通常では神託を解釈し、実現を待つか、不幸の預言であれば回避しようとする。つまり、通常は「解釈と待機」の態度であるのに対して、ソクラテスの態度は「探求と試練」であるとフーコーは説く。

 第二の契機。具体的にどのように検証のための探求をするのか。まず一人の政治家を訪問し、次に詩人、最後に職人たちである。いろいろな分野の個人ないしは市民を訪問するが、そうするにつれて判ることがあった。「無知な政治家であろうと物知りの職人たちであろうと、共通しているのは、彼らが、実は自分が知らないことについて、自分はそれを知っていると思い込んでいる」ことにソクラテスは気がついたのである。しかしソクラテスは、自分が知らないことについて、それを自分が知らないということを知っている」がわかる。自分との比較において吟味し、試練にかけ、ソクラテスの魂と対決させること」であるとフーコーはいう。

 第三の契機。このような検証は敵意を招くということ、そしてソクラテスは引き留まることはなかったことをフーコーは指摘する。「多くの人たちの中傷と嫉妬がわたしに罪を負わせ」、「それでもソクラテス、君は恥ずかしくないのか、そんな日常を送って、そのために、いま死の危険にさらされているのは」というソクラテスが想像した世間の反論に対して次のようにいう。

 君の言うことは感心できないよ、君。もし君が、少しでもひとのためになる人物なら、いやしくもことを行なうに当たって考えなければならないのは、それが正しい行いとなるか、すぐれた善き人のなすことであるか、あしき人のなすことであるかという、ただそれだけのことではなく、生きるか、死ぬかの危険を勘定に入れなければならないなどと思っているのだとしたらね。(『ソクラテスの弁明』28-b)

 このように見てきた真理陳述は政治的パレーシアとは異なりソクラテス独自のものであるとフーコーはいう。神から托されたソクラテスの使命とは何か。神(ダイモーン)によって政治的行動を止められたのは、命の危険からであった。彼個人の命の危険ではなく、彼を失うことはアテナイの損失であるからであった。彼の使命とは、他の人々に対して父親や兄のように気を配ることである。彼らが「自己に配慮する」ように気を配ることである。自己に気を配る自己を定義するものは、プロネーシスとアレーテイアであるとフーコーはいう。前者は実践的な理性であり後者は真理である。アレーテイアにプロネーシスが結びつきよい判断がなされたとき、真理に対する関係が魂の本性のうちで存在論的に基礎づけられていることになるとフーコーは説く。これがソクラテスが神から托された使命であるが、「各個人が、自らの魂の存在そのものに基礎を置く一つの関係を真理との間に結ぶ理性的存在としての自己に専念するようにすること」であり、パレーシアが求められ、「そこから出発して理性的な行いが魂の存在そのものに応じて定義されうるようになる原理として、エートスを創設すること」が新たな形態におけるパレーシアであるとフーコーは主張する。政治的真理陳述は探究の実践ではなく、勇気を持って民会や僭主に耳を傾けさせ、自己に専念するようにさせることではなく、なすべきことを語るだけで、人々が持つ真理との関係は彼らに任せてしまうものであるとフーコーは指摘する。政治的ではない、もう一つの〈真なることを語ること〉の実践をソクラテスはするが、また別の危険に身をさらすことになるのである。先に「〈真なることを語ること〉の四つの根本的な形式」として述べた、つまり、預言者の〈真なることを語ること〉、賢者の〈真なることを語ること〉、教師や技術者の〈真なることを語ること〉、パレーシアステースの〈真なることを語ること〉、これらが『ソクラテスの弁明』ではすべて登場する。パレーシアステースであるソクラテスは、自分の使命がどのようなものであるかを定義するため他の三つの真理陳述との差異化を示しているとフーコーは要約する。

一、預言について。神の預言を出発点としパレーシアの使命を果す。ソクラテスの取った行動は探求と調査であるから、「預言的真理陳述が真理の領野へと移し替えられたことを意味する。

二、賢者について。ソクラテスは「天上および地の底で起こっていることを知ろうとして、弱論を強弁する」という不敬虔を挑発される。それに対して「自分が専念しているのは、知恵の言説の対象およびその領域をなすものとしての事物の存在や世界の秩序ではない」と否定し、魂の試練を語る。ここではソクラテスのゼーテーシス(探求)と賢者のゼーテーシスの対立を描いている。

三、教師や技術者について。ソクラテスは自分が探求したことを教えようとしているという糾弾に対して弁明する。自分がソフィストや教師と違うことを主張する。彼らは自分が知っていると信じていることを伝達するが、自分は無知であり、彼らが知らないということを伝達するために、自分に専念しなければならないことを示すだけであるとソクラテスは反論する。

 右でフーコーが指摘したことは、預言、知恵、教育に対する批判であり、パレーシアの真理陳述に付随する危険に対して勇気が必要とされることである。その勇気とは、政治的パレーシアの形態のもとで行使される、哲学的パレーシアのそれであり、国家にとって有用であるがゆえにソクラテスが自分の命を守るのは国家の利益のためなのであると指摘する。

 

 国家は両親や祖先よりも尊いものである

 ここでこの壮大なプラトンの対話篇『パイドン』の冒頭部から問題を整理してみよう。この対話篇はソクラテスの死の場面にいあわせたパイドンが、後日友人エケクラテスに語る話として全体の構成がなされているのだが、パイドンの話によると、死を直前にしたソクラテスは悲しむ友人たちを前にして、「自若とした態度で、気高くも死につかれた」ようであったと語られる。なぜこうも自らの死を恐れなかったのか。二つの理由、つまりプラトンは『クリトン』から国家について、『パイドン』からは哲学(知を求めること)について、その理由をソクラテスに語らせている。前者では、自分が不正な目にあっても仕返しをし不正を行ってはならいことが主張される。ソクラテスが起訴されたことは不正であった。ソクラテスに有罪を宣告したのは国法である。その不正を犯した国家に対して承諾なく脱走することを勧めるクリトンにソクラテスは次のように反論する。私たちに生を与えたのは私たちの両親であり、その婚姻を認めたのは法律である。それに不服であるという理由で仕返しをすることはよくないことである。国家のもとで私たちの両親も生まれ、養育され、教育され敵たことは否定できないことである。父親に対しても国家に対しても対等の権利は存在しないのである。打たれたから打ち返すというような権利は存在しない。国家と祖国を破滅に導こうとするのは徳を心がける人のすることではない。さらに両親や祖先より祖国は尊いものである。何かを指令されれば受けなければならない。国家と祖国が命じることは何でもしなければならない。そうでないのならば、本来の正しさを満足させるようなやり方で説得しなければならない。脱走を勧めるクリトンにソクラテスはこのように説得する。さらに続けて、国法はすべての国民によきものを分け与えた上で、もし国法が気に入らないのであれば、他の場所へ出て行く自由を公示しているのである。国家に服従せず、説得もせず、国外へも行かず、一旦下された判決に判決が不正であるからといって監獄を脱走するような不正な行為は許されるべきでない。ソクラテスが祖国アテナイを他の誰よりも気に入っていたこと、上記のような国家の取り決めに誰より強く同意していたこと、出征以外はアテナイを離れることはなかったことが述べられる。ソクラテスには二人の息子がいたが、それはとりもなおさず、この国アテナイが気に入っていたことを示している。さらに今回の裁判では死刑のほかに希望次第で国外追放を申し出ることができたのに裁判で死刑に同意したことを挙げる。人間にとって最大の価値を持つものは徳であり、なかでも正義であり、しきたりであり、国法であるとソクラテスは日頃から論じてきたのである。それが国外に追放されてきたとなればソクラテスのエートス(行為)は信用させないであろう。子供たちのことを考慮し生きることも、正義という一大事に比べれば二の次である。いずれにしてもソクラテスがこの世を去るのは不正な目にあわされた人間としてであるが、それは国法による被害ではなく世間の人間から加えられた不正である。クリトンの提案にのってはいけない。このようなことがソクラテスの脳裏に聞こえてきた国法の言葉としてこれらを述べ、クリトンの思いやりに感謝しながらも強く戒めたのである。これが死を目前にしたソクラテスが死を恐れなかった理由の一つである。もう一つの理由として、知を求める人の、死を恐れぬ理由が『パイドン』において展開されている。その話の中には直接ソクラテスの死とは関係しないくつもの大切なテーマが埋め込まれているので、長くなるが話の筋道を順に追ってみよう。

 

 知を求めるひとは死にゆくことをつとめとする

ソクラテスの死の現場にい合わせたケベスは、ソクラテスが詩作をしているということを耳にした友人エウエノスから、その理由をソクラテスに聞いてくるように頼まれたことを告げ、ソクラテス自身からの説明を待つ。この問題は一見死を恐れぬソクラテスとは無関係のようであるが、議論が進むうちに魂の問題に運ばれていくのである。ソクラテスは詩作をする理由を次のようにいう。これまでにいく度となく同じ夢を見た。その都度異なる姿をした者が、「ソクラテス、ムッサイの術をなし、それを仕事とせよ」という。それまでソクラテスは哲学に励むこれまでの行為についていわれたと解釈していた。「知を求める営みこそ最高のムッサイの術」と思っていたからである。『パイドン』の註で、「ムッサイの術」を文芸や音楽という言葉で置き換えられない意味を持つと訳者松永雄二氏はいう。それによると、「肉体のために体育術があるごとく、魂のためにムッサイの術がある」と『国家』で語られているように、技芸・文芸のすべてをおおい、ほとんどパイデイアー(教養)という言葉と同じ意味であったと松永氏は説明する。哲学(ピロソピアー)は、魂の形式にあたって、一般の文芸・教養の究極にあるものであり、その最高のものだという意味で語られたと説く。私はこの考えに今日の文学状況を考えるならば、そうあるべきものであると思う。ソクラテスは、死刑の宣告を受け進行を待つ時となっては、ムッサイの術とは一般的な意味の文芸の方、つまり詩作を意味するのではないかと考えた。その夢に従い、詩作をしきよめられたものとしてこの世を去るのがよいであろうと考えるようになった。「詩人というものは、ほんとうにつくるひと(ポイエーテース)であろうとするなら、事実(ロゴス)をではなく、むしろ虚構(ミュートス)をこそ、詩としてつくるべきなのだ」と思ったが、「私」には虚構を作り出す才はない」のでアイソポスの物語を用いて詩を作ってみたというのであった。ケベスへの返答を終える、とエウエノスに「物事のことわりを知る健やかさがあるのなら、できるだけ早く、私の後を追ってくるように」と伝えてくれとケベスにいうと、側にいたシミアスは驚く。「わたしのあとを追う」ということは死を意味する。エウエノスが知を愛するひとであるならそうするだろうとソクラテスはいうのである。しかし自ら命を絶つことは神に許されざることなのでしないだろうと、ケベスがいう。「自分が自らに死を強いるのは、神に許されざることであり、しかもまた、知を求める者であれば、死にゆくひとのあとを追うことを願う」とはどういう意味なのかをソクラテスに問う。それに対してソクラテスは返答する、「われわれ人間の生は、なにものかの見張りにおいてあり、その見張りからわれわれは自らを解き放ってはならず、逃げ出すことも許されない」と秘教的な言説をソクラテスは挙げる。「われわれを配慮したまうのは、神々であり、われわれ人間というのは、神々にとっての所有物(牧畜)のひとつにすぎない」という意味ではすぐれたことばであるとソクラテスはいう。自分の牧畜がかってに自分を殺害するなら神々は腹を立てるだろう。それが自殺はすべきではないという理由である。しかし知を愛する者はすすんで死を迎えるのはなぜか。思慮のある人間ならばすぐれた者(神々)のもとにいることを欲するのではないか、神々のもとを立ち去るというのにソクラテスは平然としていられるのはなぜか、というケベスの疑問に対して、ソクラテスは説明する、「これから自分のおもむくかしこには、第一に、この世を統べたまう神々とは別の、賢くもまたよき神々がいますこと、ついでに、この世に生をもつ人々よりも、さらにすぐれた死者たちが、そこには待っているという」のだと。「よき者には、あしき者よりも、はるかにすぐれた何かが待っている」といまやその期待に満たされているとソクラテスはいう。それではなぜ、知を愛することに一生をすごしてきた人間は死に直面しても恐れを抱くことなく、死後の世界で最大の善を受けるであろう期待に包まれているのか。その理由をソクラテスはいう、「知を求めることに、まっすぐに結びついているひとは、ほかでもなく、ただ死にゆくことを、そして死にきることを、みずからのつとめとしている」と。なぜなら死とはからだから分離されて、魂だけのものになることである。知を求めるひとはさまざまな快楽に熱中することはなく、そのようなひとの思いをいたすところは、肉体の上にはなく、可能なかぎり魂へと向けられている。「魂をできるだけ肉体との交わりから解きはなそうとしていることが、明らかになるのではないか」、「まったき死にほとんど一歩というところまで来ている」とソクラテスはいうのであった。

 

 知(プロネーシス)の獲得

見ること聞くこと、つまり肉体の持つ感覚は何かの真実を示すことがあるのだろうかという問いをソクラテスは投げかける。詩人たちのいうように見ること聞くことは正確なものでもなければ明晰なものでもない。そのほかの感覚はもっと劣ったものであろう。それでは「いつ魂はあることの真実に触れるのだろうか。」肉体と共に何かを考察しようとすると魂は欺かれるのだから、「魂に、まさに存在するものの何かがあきらかにとなる場がどこかにあるとすれば、それは思惟のはたらきのうちにおいてではないだろうか」、思惟のはたらきはというのは、肉体と接触することもなく、ひたすら、〈存在〉そのものにそれがいたろうとするときにこそ、最美の仕方でなされるのではないだろうかとソクラテスは説明する。「知を求めるひとの魂は、肉体から逃れ、みずからのみにおいて魂自身となることに努める」のであり、なにか〈正しさ〉ということが、それそのものとしてあるのだ。〈美しさ〉や〈善〉についても同様であるとソクラテスはいう。「もしもわれわれのうちに、みずからの考察の向かうべきものとした、そのおのおのを、まさしくそのものとして思考しようとする態度を、最大限にまたもっとも正確におのがものとしているようなひとがあれば、そのひとこそが、まさにそのおのおのを知ることに、もっとも近くまでいたりうるのではないだろうか」とソクラテスはいう。純粋に何かを知ろうとするならば、肉体を離れ魂それ自身によってことがらそれ自身を観なければならない。そうであれば知の獲得はわれわれの生きている間はなく、あるいは死後において可能となるとソクラテスは説く。肉体と共に純粋に知識することはできないのであれば、神が肉体との絆を最後に解き放つのを待ちつつ、「浄化の途」を取り続けなければならないとソクラテスはいう。ここには「魂の浄化」を説くピュタゴラス派―オルペウス教伝統の影響が見られると訳者は指摘する。「魂の、肉体からの解放と分離が、死と名づけられている」という言葉がソクラテスによって語られ、知を愛するひとは死にゆくことを勤めとする理由が示されたのである。それゆえ勇気と名づけられる徳は知の希求者にこそ帰属するものであると語られた。

 

 祭杖(ナルテコス)をたずさえる者

 知を求める者の勇気という徳に言及した後で、ソクラテスは節制という徳を考察する。節制とは欲望に打ち勝ち、節度ある生を送ることをいうが、肉体を軽視して知の探求に生きる者にふさわしく帰属するとソクラテスはいう。彼は一般の人たちが考える勇気や節制という徳と知の探求者に帰属するそれらを比べたときの大きな相違を述べる。一般の人たちは死を大きな禍悪と考え、死よりもさらに大きな禍悪への恐怖から死を甘受する。つまり怖れることが人を勇敢にし、恐怖ゆえにすべての人は勇気があるということになる。勇気があるのは恐怖や臆病によってであるというのは理に合わないではないかとソクラテスはいう。節度のある人々についても同様で、彼らはある種の放縦さのゆえに節制であるといえる。「そういうひとびとは、別のある快楽を奪われるのをおそれ、それを熱望するあまりに、他の快楽をしりぞける」からである。「ある快楽に打ち負かされて、他の快楽に打ち勝つということ」であり、〈徳〉を手に入れる正しい交換とはいえないのであり、「それとの引きかえにこそ、すべてを差し出さねばならないものというのは、たた〈知〉のみ」であるとソクラテスはいう。すなわち〈知〉を唯一の価値基準としてすべてのものが売買されるならば、勇気や節制や正義という真実の〈徳〉が生まれる。「〈知〉とは、まさにそれ自身、その浄化の秘儀となるものではなかろうか」とソクラテスは結論する。「祭杖をたずさえる者は多くあれど、真にバッコス神のともがらはかず少なし」という秘儀に関与する者たちの語る名句を引用し、真にバッカス神のともがらである者とは、真正の仕方で、知を求めるいとなみ・哲学に徹した者以外にはいないとソクラテスは主張する。訳者の註によると、祭杖(ナルテコス)をたずさえる者とはディオニュソス神を崇拝する者たちの意味であるという。このような理由から、この世を統べたまう神々から離れ、かしこにおいてよきあるじの神々に出会い、よき仲間たちにも出会うであろうと信じているので、死に直面しておそれることなく、かしこへの旅立ちによき希望がともなうのであるとソクラテスは述べた。

 

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アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。エセー『「自己への配慮」と詩人像』詩誌「ヒーメロス」22号

2012年10月31日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの
小林稔個人誌『ヒーメロス』22号のエセー(百枚)を四回にわたって掲載します。


長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十四)その一

小林 稔


42 アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。『パイドン』


 フーコーの最後のコレージュ・ド・フランス講義は、一九八四年二月から三月に行なわれた。三ヵ月後の六月十五日、彼は息を引き取った。そしてその講義録を書物化した、Le courage de la vérité『真理の勇気』では古代ギリシアからキリスト教までのパレーシアの変遷を詳細に論述している。ソクラテスの「死の三部作」、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』おけるパレーシアの究極の形を説き明かす。後半は、かなりのスペースをとって、ソクラテスの「真の生」を徹底化したキュニコス主義を論じている。
 日本語訳『真理の勇気』の後書きである「講義の位置づけ」という論文で、フレデリック・グロは、死の直前のフーコーの講義には「哲学的遺言のような何かを読み取ろうとする誘惑」に駆られながらも、この講義が「ソクラテスとともに哲学の根そのものに立ち戻ることによって、フーコーは、自分の批判的仕事の全体をそこに組み入れようと決意」するのが見られると指摘する。この書物には、パレーシアと民主主義の関わり、ソクラテスの死、生の試練としての哲学と魂の認識としての哲学の二方向からの哲学の考察などがなされている。フーコー自身の迫りくる死、「あとどのくらいの時間が残されているか」を危ぶみながら自らの哲学を完成させようとする姿に、『パイドン』に記述された、死を恐れぬソクラテスを重ね合わせるとき、感慨深いものがある。偽りの明晰さと人を欺く自明性という言説の病から哲学が治癒をもたらす(グロ)という主題、ソクラテスの最期の言葉、「それに配慮してくれ、わたしの頼みをなおざりにしないでくれ」という言葉をめぐって<真なることを語ること>への配慮についてフーコーは考えようとした。

真理表明術とは何か
パレーシアの研究はフーコーの晩年に提出されたテーマであり、いかにパレーシア問題にたどり着いたのかをフーコー自ら説明する。パレーシアにたどり着くまでの研究では、「主体と諸関係をめぐる問題は、「西洋哲学の核心そのものにある伝統的な問題から出発した」という。「つまり、いかなる実践から出発して、いかなるタイプの言説を通じてなされてきたのだろうか」、また「いかなる言説実践から出発して、語る主体、労働する主体、生きる主体が、可能な知の対象として構成されたのだろうか」といった分野の研究であったと述べ、「認識的分析」と呼ぶことができるとフーコーはいう。やがて、フーコーは同様の問題を違った角度から考察しようとした。「主体が自分自身に関して語ることのできる真理の言説について、たとえば、告白、告解、良心の吟味などといった文化的に認められ類型化されいくつかの形態のもとで語らえうる真理の言説について、考察を行おうとした」とフーコーは述べる。簡単にいえば、客観的(科学的)な考察にとどまらずに、主体が語る真理の方式の考察へ移行させたといえよう。フーコーはそれを「真理表明術」に関する諸形式の研究と呼んで、その枠内でパレーシアを考察している。

「真理表明術」とは、「主体が真理を語りつつ自らを表明するためになされる行為の分析」であり、「主体が真理を語る者として自分自身を思い描くとともに他の人々によってもそのような者として認められるためになされる行為のタイプの、諸条件と諸形式に関する分析である」とフーコーはいう。「自己自身に関する〈真なることを語ること〉の諸々の実践についての研究」を試行するようになったが、進めるうちに「自分自身に関して真なることを語らなければならないという原則」の重要性に気がついた。その中心軸となるのが「汝自身を知れ」に関するソクラテスの原則である。その実践としての「自己への配慮」がある。そこから発生した「自己自身に関して真なることを語らなければならない」という命令には他者の存在が必要とされる。十三世紀初頭の告解の制度化、ローマ教会の司牧権力の組織化などには「二人で行なう実践」、つまり他者の存在が必ずあることにフーコーは興味をもったのである。近代文化においても、精神科医や心理学者、精神分析家に他者を必要とすることがある。一方、古代文化では哲学者がその他者の役割を演じていたのであるが、彼らに要求されるのがパレーシアであったとフーコーはいう。古代における、自己陶冶のなかでのパレーシアおよびパレーシアステース(パレーシアを行なう者)を研究することは、後に組織化される「告解者と聴罪司祭、指導を受ける者と良心の指導者、病者と精神科医、患者と精神分析医」の実践の前史を研究するものだ」とフーコーは述べる。しかしパレーシアの起源はそのような霊的先導の実践にはないことにフーコーは気づいたという。つまり、パレーシアの概念は政治的な概念であるということである。そのことによって「自己自身に関する〈真なることを語ること〉の実践をめぐる古代研究から遠ざかることになったが、政治的実践におけるパレーシアを分析することによって、主体と真理の関係につきまとう、「権力の諸関係およびその役割というテーマ」に接近したこと、つまり「自己と他者の統治」という実践から主体と真理に関する問いを考える可能性が生まれたとフーコーは述べている。真理陳述の諸形式、統治性の諸技術、自己の実践の諸形式の間の諸関係を分析することが問題になった。この真理、権力、そして主体の間の諸関係を互いに他に還元することなく研究することが大切であるとフーコーは主張する。

〈真なることを語ること〉の四つの根本的な形式
 パレーシア概念を明確にするために、フーコーは〈真なることを語ること〉の四つの古代の根本的方式を考察する。

一、預言者の真理陳述。「預言者が真理を語る主体として自らを構成するとともに他の人々によってもそのようなものとし認められるやり方について」考えられることは、神の言葉の伝達にある。預言者は人間たちに別の場所からやってきて真理を告げる存在であり、現在と未来の間に身を置くものであり、仲介者である。時間が人間に覆い隠していること、目に見えず耳にも聞こえないことを明るみに出すが、晦渋なやり方で、つまり謎というかたちで包み隠しているので、解釈しなければならなくなる。預言者の役割とは、「人間の有限性と時間の構造とが連接される地点に自らを位置づける」ことであるとフーコーはいう。このような預言に対立するのがパレーシアである。自分自身の名において語り、自分自身の確信であることがその本質である。パレーシアテースは語る相手に、真理を受け入れ、行いの原則とし過酷な任務を残すことになる。解釈するという義務を残すことはないとフーコーは指摘する。
 二、賢者の知恵。預言者との相違は自分の名において語るということにある。「彼個人の存在様式としての賢者という資格を与え、知恵の言説を語る資格を与える」とフーコーはいう。パレーシアステースに近い存在であるが、賢者は自分の知恵を「引きこもり」の中に留保するという特徴があり、強制的に語る必要はな
いし、預言者のように謎めいた言説であることも起こりえるとフーコーは指摘する。預言者のように未来に
何が存在することになるかを語るのではなく、世界と事物の存在を語り、それは助言ではなく「行いの一般的原則」というかたちを取るとフーコーはいう。賢者の、口を閉ざし、自分が望むときに謎を語るという特
徴はパレーシアステースとは対立する。パレーシアステースはソクラテスのように、神から授かった任務を執拗に人々に語る。預言者のように「事物と世界存在の形式」に関して語るのではなく、「個人の状況や情勢の特異性に関して何が存在するのか」を語る、つまり「対話者が現にそうであるところのものを明るみに出したり、それを対話者が認める手助けをしたりする」のだ、とフーコーはいう。
 三、教育する者(技術者)の真理陳述。プラトンの対話篇に登場する、医師、音楽家、靴屋、大工、武闘術の教師、体育教師たちはテクネーとしての一つの知を所有している。つまり実践におけて具体的なかたち
をとる知識をもち、理論的な知識だけでなく訓練(アスケース)を含意するような知を保有し、他の人々に教えるこれらの技術者は、他の技術者からかつて学んだという伝統と結びつけられているので、知を伝達しなければならないという義務を背負っているとフーコーは分析する。パレーシアステースにもそれは見出されるが、技術者はリスクを冒さないという点で相違する。逆に絆を結ぶことがある。知の伝統の絆であったり友愛の絆であったりする。パレーシアステースは「真なることを語る」によって、反感、争い、憎しみ、死のリスクを冒すことがあるとフーコーはいう。他者とパレーシアのゲームをするとき結合と和合にいたることはありえるが、憎しみと分裂を開いた後でしかないとフーコーは付け加えている。
 このように、預言、知恵、教育、パレーシアという四つの真理陳述様式があり、互いに異なる登場人物を含意し、互いに異なる発言様式を必要とし、互いに異なる領域に関わるとフーコーはいう。異なる領域とは、預言は運命という領域であり、賢者は存在、教師はテクネー、そしてパレーシアはエートスという領域に関わるが、それらが社会的な登場人物でもなければ社会的な役割でもないこと、ソクラテスのようにこれら四つの様式が互いに混合された状態で見出されることがあることをフーコーは指摘している。ソクラテスは、預言の真理陳述、知恵の真理陳述、技術と教育に関わる真理陳述との間に、永続的で本質的な関係を保つパレーシアステースであるとフーコーはいう。また古代哲学史の特徴の一つに、知恵の様式とパレーシアの様式の結びつきがみられ、「真なることを語ることの哲学的方式となろうとする傾向があることをフーコーは重視する。また、中世キリスト教においては預言の方式とパレーシアの方式との結合がみられるとフーコーはいう。さらにフーコーは中世における二つの形態を挙げている。一つはフランシスコ会とドミニコ会から始まる宣教師たちの役割である。もう一つは聖職者養成機関という制度である。「事物の存在とその自然本性を語る知恵の方式と、教育の方式という、真理陳述の残り二つの様式を接近させる傾向があった」とフーコーは考え、ギリシア・ローマ世界のパレーシアと知恵の組み合わされた体制とはきわめて異なることを指摘する。フーコーは近代におけるパレーシアの関係を仮説として言及する。預言とパレーシアの組み合わせは革命的言説に見出されるという。革命的言説は既存の社会に対して批判するときパレーシア的言説の役割を果し、存在論的方式は哲学的言説のある種の方式の中に見出され、技術に関わる〈真なることを語ること〉は科学と教育に関わる複合体の制度によって組織されているとフーコーは推測する。哲学的言説は人間の有限性の限界を超えたものに対する批判においてパレーシアの役割があり、科学的言説では、既存の知や支配的制度、現在の振舞い方に対する批判として展開されるときパレーシア的役割を果すとフーコーは主張する。

民主的制度と「論理的差異化」
 パレーシアが民主主義体制の中で民主的批判を生んだのであるが、「プラトンからアリストテレスに至るまでの哲学的で政治的な思考の中」において、いかなる理由でなされたのかをまとめてみよう。
 民主制こそが「真なることを語ること」を生み出す最適の場所であるという「伝統的な自負」が、崩れ去り次第に危険なものになっていく兆候が現われてくる。フーコーによると、パレーシアはすべての人に与えられる発言の自由であるが、パレーシアは特権と義務を背負ったものではなく気ままに行使されるものなので、「真なる言説と偽なる言説、有益な意見と無益ないし有害な意見が混ぜ合わせになる」ということが起こり都市国家にとっては一つの危険なものになる。さらに別の危険もある。パレーシアを行使する者が「民主制において敬意を表されないかもしれないある種の勇気を呼び求める」ということが起こる。例えば、民衆に気に入られようとする追従者に対して真および善とは何かを語る者には耳を傾けないようになる。『ソクラテスの弁明』においてソクラテスが語る、「なぜ私は、自分が都市国家の中で有用であると主張しながら、一度も公的に行動しなかったのか、なぜ私は、自分の意見、自分の見解を語るため、都市国家一般に対して助言を与えるために、一度も演壇に登らなかったのか」という問題に、「政治に身を投じていたら」命をなくしたであろうこと、「都市国家の中で不正や違法行為を防ごうとほんの少しでも努めようものなら、どんな人間も死を避けることはできないだろう」とソクラテスは答える。以前にも論じたように、パレーシアは死の危険を冒す危険があることと、民会の前で民主的パレーシアを実践することにおける危険とは別の問題であるとフーコーはいう。フーコーの講義『真理の勇気』では、後日ソクラテスの哲学的パレーシアの部分で展開することになっているので詳細はここでは保留しよう。
 
まず第一の危険を要約すれば、民衆は自分たちに気に入られようと話す人(追従者)に耳を傾けることか
ら生じるパレーシアの否定的な面である。「真なる言説が出現し自らの真理を価値づけようとする際の制度的枠組みに帰すべき無力さ」である。つまり結論として「民主制においては、よき演説者と悪しき演説者を見分けることができず、真理を語り都市国家にとって有益であるような言説と、嘘と追従を語り有害なものとなる言説とを区別することができない」。このようなテーマは紀元前四世紀の間ずっと行なわれていたとフーコーはいう。クセノポンの『アテナイ人の国制』にはっきりとパレーシア批判をしている数行があるとフーコーは指摘する。そのテクストによると、都市国家にとってよき体制とは、「よき市民が罰を与え、手綱を締めて、悪しき市民に必要な懲罰を課して懲らしめ」、「誠実な人々が審議して決定を下す」が、「愚か者たちには発言権が与えられず政治のための審議および決定の機関の審議に参加することは禁じられる」ような体制であるとクセノポンは定義する。しかしアテナイはそのようなよき体制を受け入れていないという。その理由は次のように語られる。優れた人々は都市国家の利益にかなった決定をしようとするが定義上、都市国家における優れた人々である以上、都市国家にとって有益なこと、有利なことをしようとする。都市国家にとって有益な決定を下す方向へと都市国家を促すとき、優れた人々は自分たちの利益、自分たちの利己主義的利害に仕えることでしかないという。クセノポンはアテナイの民主制を真の民主制としながら批判的の述べているのだ。クセノポンの考えるよき国家とは、優れた人たち、誠実な人たちが決定を下し、愚か者たち、頭の悪い人たちには語る権利を与えない国家とする。そのように発言権を与えないよき体制をアテナイが受け入れないのはなぜか。アテナイの功績は、愚か者たちを評議会や民会の参加を許したことにあるとして、一方では讃え、もう一方では批判しているのである。真の民主主義というべきアテナイ、優れた人々が決定をするのではなく、多数派の人々が決定するアテナイではどのように行なわれるか。多数派は隷属状態を免れようとする。彼らは都市国家の利害に仕えたくないのであり、自分自身で指示することを望んでいる。多数派の人々というのは定義上、優れた人々とは逆に劣悪な人々である。すると劣悪は人々である多数派にとって悪いことは都市国家にとっても悪いことになる。そうなれば劣悪な人々に発言権が許されるべき都市国家が成立するであろう。もし優れた人々にだけパレーシアが与えられたなら、彼らは都市国家の益、つまり自分自身の益を押しつけることになり民衆には不利なものになる。アテナイの民主制において多数派の民衆に有利なことを語られるようにするには発言権は優れた人々にだけ与えてはならないし、悪人が発言権を持つようにしなければならないとすれば同類の悪人によいことを述べるようになるという堂々巡りになると結論する。
フーコーはこのようにクセノポンのテクストを紹介するが、その根底にはパレーシアの場所としての民主制に対する場所としての民主制に対する批判が一般的に認められていたという。西洋世界の政治思想にとって普遍の母型や脅威であったような原則があるとフーコーは考える。その第一の原則は量的差異化である。だれが統治すべきかを考えるとき、一方には多数派の民衆がいて、他方には少数派の人々がいる。その分割と対立が問題なる。第二の原則は、分割は優れた人々と劣悪な人々の対立に一致するということである。よき人々と悪しき人々の倫理的境界を画定するということになる。第三の原則とは、優れた人々と劣った人々の倫理的境界画定が政治的区別に一致するということである。つまり、優れた人々によいことは都市国家にとってもよく、劣っている人々にとってよいことは都市国家にとっては害悪であるという考えが流布していたということ。第四の原則は、政治的言説の次元における真なることは、都市国家にとって益であり、有用であるが、万人にとっての発言の権利を持つ民主制の形態では成立しない。都市国家の中で真理が語られるようになるには、よき人々と悪しき人々の分割をしるしづけ制度化しなければならない。つまり本質的な倫理的分割が政治的領野の内部でかたちをとり表明したとき、都市国家の益が持たされるであろうということ。
これらの原則は当時のテクストに見られる思考形態をフーコーが要約したものであるが、結論として言えることは、「語る主体の間に差異を設けないことによって定義される政治的領野の中では真理は語られないということであるとフーコーはいう。多数派と少数派の分割が、よき人々と悪しき人々、あるいは優れた人々と劣悪な人々との倫理的分割が不可欠なのである。したがって民主制においては「真なることを語ること」つまりパレーシアが不可能といえることになる。優れた人々が劣悪な人々に服従を強いられるからである。

 プラトンによる反転
 フーコーはプラトンの『国家』の都市国家を一艘の船に譬えている一節を指摘する。

  まず船主だが、これは、身体の大きさや力においては、その船に乗り組んでいる者たちの誰よりもまさっている。
 ただ、少しばかり耳が遠く、目も同様に少しばかり近い。そして船のことに関する知識も、その目や耳とおなじよ
 うなありさまだ。それから水夫たちだが、これは、ひとりひとりがみな、われこそはこの船の舵を取るべきだと思
 いこんでいて、舵取りの座をめぐってお互いに相争っている。そのくせ彼らは、舵取りの技術をかつて学んだこと
 もなく、自分にそれを教えた先生を指し示すこと、いつ学んだかを言うこともできないのだ。それどころか、舵取
 りの技術というものは、そもそも教授不可能なものだと主張し、それが教えられるものだと言う者があろうものな
 ら、その人を八つ裂きにしかねまじき勢いである。(『国家』第六巻488‐B)

 船主(操舵手)は民衆であり、水夫(乗組員)は民衆(デマ)扇動家(ゴーク)である。「乗組員は操舵手に追従を言って舵を奪い、何らかの知識に従ってではなく自分自身の利益に従って舵を取る」のだ。民主制に倫理的分割がかけている以上、パレーシアが見出せないなら哲学の形式において民主制を排除すべきだとプラトンは言いたいのである。「民主制は真なる言説に訴えることができない」のであればどう対処すべきか。プラトンは『国家』第七巻で、真理にたどり着いたとき、つまりイデアの世界を知ったとき、哲学者はそこに安住すべきではないことを主張する。

 されば君たちは、各人が順番に下へ降りて来て、他の人たちといっしょに住まなければならぬ。そして暗闇のなか
 の事物を見ることに、慣れてもらわなければならぬ。けだし、慣れさえすれば君たちの目は、そこに居つづける者
 たちよりも、何千倍もよく見えることだろう。君たちはそこにある摸像のひとつひとつが何であり、何の模像であ
 るかを、識別することができるのだろう。なにしろ君たちは、美なるもの、正なるもの、善なるものについて、す
 でにその真実を見てとってしまっているのだから。(『国家』第七巻520-C)

 哲学者は洞穴から再び都市国家に下降し、統治する者にならなければならないことをこの一節は述べている。先ほどの民主的パレーシア批判の後に、統治がよいものであるためには真なる言説に基礎を置き、民主派と民衆扇動家を一掃する必要があるというのが、フーコーがいう「プラトンの反転」である。
 
 アリストテレスの躊躇い
次にフーコーは、「アリストテレスの躊躇い」といいうるものに言及する。それは多数派と少数派の分割に基づき、それが裕福な人々と貧しい人々の対立に一致するだろうかと、『政治学』第三巻でアリストテレスは問う。裕福な人々が多数派であるとき民主制は成立するか、あるいは貧しい人々が少数派であるとしたら、彼らの権力を民主制と呼べるのであろうか。その問いにアリストテレスは答える、「民主制を特徴づけるのは、貧しい人々の権力である」と。「たとえ貧しい人々の方がはるかに少数であるとしても、彼らが権力を行使すしさえすればそれは民主制である」と。さらにアリストテレスのもう一つの問い、多数派は劣った人たちであり、少数派は優れた人たちであるといえるのかという問いを提出し、疑いをもつ。優れた人々と劣った人々との対立と少数派と多数派の対立との一致についても検討する。そして優れた人々とはどのような人々なのかを考える。市民の徳と有徳の士の徳を区別すべきではないかとアリストテレスはいう。徳によってよき市民として義務を果すと同時に、都市国家の利益を追求し都市国家のためによい決定を下すことが完全にできるのではないか。しかしそのような個人はよき市民であるが、有徳の人間ではない。つまり有徳の士でなくともよき市民であることもある。二つの徳の関係を、統治される人間と統治する側の人間において区別する。このように多数派と少数派、劣った人々と優れた人々の区別は簡単には解決できず、倫理的・量的な同型性をアリストテレスは問いに付しているとフーコーは解釈する。また優れた人は自分の利益を追求しつつ都市
国家の利益も追求するが、劣った人は自分の利益を追求するが、都市国家に対しては有害なことしか目指さないという、フーコーが名づけた政治的転換の原則をアリストテレスは疑問視する。『政治学』第三巻で、君主制、貴族制、万人による政治を検討するが、結局「いかなる政治形態であろうと、統治する人々は、自分の利益のために統治することができれば、都市国家の利益のために統治することもできる」ということ、アリストテレスは、都市国家を基礎づけるものは真なる言説でしかないが、民主制においては真なる言説はありえないという結論をアリストテレスはあいまいにしているとフーコーはいう。
アリストテレスは「君主制」と「王制」の区別をする。王制とは公共の利益を考慮する君主制タイプの統治であり、自分自身の利益を考えず都市国家の利益を目標にする王制がある。そして若干の人々による、都市国家と構成員の利益を考える貴族制があり、さらに多数派が統治する政治形態、名を与えることが困難な形態であるゆえに、ポリティアという一般的名称でフーコーが呼ぶ政治形態がある。フーコーはアリストテレスの『政治学』第三巻から、このポリティアについて解説している。アリストテレスの説明をフーコーは次のように説明する。「ただ一人の個人ないし少数の人々が徳において他の人々に勝ることは可能であるが、多数派の人々が〈あらゆる徳において申し分のない水準に達する〉のは困難である」。自分自身の利益ではなく都市国家の利益を目指す一人の王、あるいは少数の人々がいたと仮定すると、彼らが徳において他の人々より勝っていることは考えられる。つまりそれは「彼らの倫理的選択、彼らの他の人々との差異化こそが、他のすべての人々のために統治がなされる可能性を与え、それを保証すること」になり、逆は非常に困難であるというアリストテレスの主張をフーコーは紹介している。したがって多数派の人々が、自分自身の利益を考えず、都市国家の利益を考慮するような民主制、「真なることを語ること」が可能であり、そこに都市国家の利益を認める「倫理的差異化」を見出すのはほとんど困難であろう、形式的には可能であるが現実には存在しえない、なぜなら「民主制においては、倫理的差異化が作用しないから」とフーコーは説く。民主的なポリティアでは統治される者が統治する者になる可能性を持つ、交替の原則によって定義されているので、アリストテレスが提起する問題は、そのような原則の下で倫理的差異化が可能かどうかであるとフーコーはいう。

陶片追放(オストラキスモス)
アテナイにおいてなされた一個人の追放のことであり、彼が並外れた資質を持ち、一般市民よりもあまりにも上に置きすぎたときに民衆が追放できる措置であるとフーコーは説明する。アリストテレスは陶片追放について、それは正当化の可能な措置なのかという反論に、可能であると答えている。『政治学』第三巻を挙げ、フーコーはアリストテレスの主張を紹介する。それによると、アリストテレスは都市国家を一枚の絵にさらに彫像にたとえて説明しているという。一枚の絵や一つの彫像に、「全く完璧な細部」があると作品のなかの他の部分と調和を崩すので、画家によって、あるいは彫刻家によって取り除かれるときがある。同様の理由で、田に人々より明白に優れている市民とは決別せざるをえないという考えによるのである。このように説明した後にアリストテレスは、都市国家の中で並外れた徳を持つ者(際立って並外れた者に限られよう)がいたとするなら、「公共の規則に」従わせようとするのは正当なことではないと主張するのである。そのような人間に市民が服従し、王になるようにすることが唯一の解決法であるとアリストテレスはいう。「ほんとうの有徳の人物がいるとしたら、民主制は消え去るべきであり、人々は、その有徳の士に対し、倫理的なその人に対して、王に従うようなやり方で従うべきである」というのがプラトンと共有できるアリストテレスの考えであり、民主的パレーシアの危機といえるものから、エートス、および倫理的差異化の問題へ論及しなければならないことをフーコーは示唆している。

君主制と助言者
パレーシアが有効に機能するという自負を打ち破るように、民主制とパレーシアは両立せず、パレーシアとは反すると思われるべつの政治構造、君主制にその可能性をフーコーは見ようとする。フーコー自身の指摘にあるように、君主制が高い政治構造であると主張しているのでは決してないことに注意する必要がある。「君主の人物像、その専断的で君主制的な権力が、一つないし複数の危険を含んでいる」からである。君主
には僭主のイメージがあり、真理を受け入れない者という印象が強くある。アリストテレスの『政治学』においても、僭主は真理を知ることができない、なぜなら自分たちが語っていることや考えていることを隠すからであると述べていることをフーコーは指摘し、全ギリシアにおいてそのような図式は一般的であるという。それでも君主と真理を語る者との関係や君主と助言者との関係の中には、パレーシアの実践のための一つの場所が認められるとフーコーは指摘する。アリストテレスの『アテナイ人の国制』や、ペルシャの君主キュロスをパレーシアに接近できる君主として描いたプラトンの『法律』第三巻などから、君主とパレーシアの場所があるとフーコーはいう。先の論考で民主制には倫理的差異化に場を与えることができないことだった。フーコーによると、「個人の魂としての首長の魂が、それ自体、倫理的差異化が導入され、価値づけられ、具体化され、諸効果を産出できるようになるということであり、そのおかげで君主は、一方では真理に耳を傾けることができるようになり、他方では、その結果として、自分の権力を制限する術を学ぶようになる」のでパレーシアの場が成立することもあるという。一つの魂は教育や助言によって真理に耳を傾け自らを導くことが可能であるからである。以前、このエセーで詳しく述べた、プラトンとディオニュシアス二世の関係がすぐに思い出される。プラトンの『第七書簡』から知ることができるのである。ディオニュシアスの叔父であるディオンに向けられたプラトンの教育が成功し、ディオニュシアス一世の死後、権力を引き継いだディオニュシアス二世の若さと、哲学への情熱を読み取ったプラトンは、その魂に接近し、彼が支配する都市国家に接近することができるはずであった。プラトンは君主に助言を与える哲学者であろうとしたのである。しかし失敗に終わる。「ディオニュシアス二世の悪しき本性、彼の悪しき近親者たち」、ディオンの暗殺などの理由により失敗したのであって、プラトンの哲学的企てが失敗であると受け取られていないことが『第七書簡』、『第八書簡』から窺えるとフーコーは指摘する。つまりプラトンの失敗は具体的情勢上のものであり、民主制におけるパレーシアの失敗は構造上のものであるということになるとフーコーはいう。
結論としていえることは、君主制において<真なることを語ること>(パレーシア)が可能なのは、君主が都市国家を統治するやり方が、君主自身のエートス(個人としての君主が自らを道徳的主体として構成するやり方)に依存するからであるとフーコーはいう。君主のエートスは、真なる言説から始まり、彼の統治法
の母型となるものであるので、パレーシアが効果をもたらすことが可能であるとフーコーは説く。君主自身のエートスを介する統治であるのに対して、民主制は倫理的差異化の場を与えなかったためであり、エートスの場が不在であるからだとフーコーは主張する。

 パレーシアの政治からプシュケーへの変容
 パレーシアは、もはや一つの権利ではなく一つの実践であり、向けられる相手は都市国家ではなく個人の魂(プシュケー)になった、つまり「パレーシアの本質的相関物が、ポリスからプシュケーへと移行するということ」であるとフーコーは分析する。個人におけるある種の存在の仕方、振る舞い、行動の仕方の形成がパレーシアの目標になる。都市国家の救済よりむしろ個人のエートスを目標にするとフーコーはいう。つまり、「プシュケーをパレーシア的な〈真なることを語ること〉の相関物と定め、エートスをパレーシアの目標に定めるという二重の決定が含意しているのは、パレーシアが、〈真なることを語ること〉の原則を中心に自らを組織しながら、今や、真理陳述が魂の中に変容の諸効果をもたらすことを可能にするような操作の総体の中で具体的なかたちをとるということ」であるとフーコーは要約している。これらの背景には、紀元前五世紀ごろのギリシア文化におけるプシュケーの出現があり、民主制下のパレーシアの危機と批判、パレーシアの行使が政治から個人的諸関係のゲームの方へ向きを変えていったことがあるとフーコーは指摘する。
「民主制の制度的地平からエートスの形成という個人的な実践の地平へのパレーシアの位置の移動」は西欧哲学の根本となる特徴を理解するために重要になる何かがあるとフーコーはいう。フーコーはアレーテイア、ポリティア、エートスという三つの極を挙げ、「還元不可能性」と「必然的で相互的なそれらの関係」から一方から他方への働きかけ、その構造に支えられて、ギリシアから今日の哲学的言説が存在することになったとフーコーはいう。哲学的言説が科学的言説や政治的(制度的)言説や道徳的言説とも異なるとするなら、哲学的言説が他の二つの問題を提起するからであり、「科学的言説とは、その諸規則とその諸目標を、〈真なることを語ること〉とは何か、諸形式はどのようなものか、その諸規則はどのようなものか、その諸条件と諸構造はどのようなものかという問いに応じて定めるような言説のこと」であるとフーコーはいう。
 哲学的言説は、フーコーがいうところによれば、真理の問題を提起するとき、〈真なることを語ること〉の諸条件を、個人に対して倫理的差異化や〈真なることを語ること〉を発する権利、自由、義務が与えられる政治的構造との関連において考えるから科学的言説とは異なるのだという。さらに政治的言説と異なるのは、ポリティアに関する問題を提起するとき、権力の諸関係とその組織化を定義することが可能な出発点としての真なる言説に関する問題、つまり真理に関する問題を提起するからであり、政治的構造によって場を与えられる倫理的差異化の問題を提起するからである。道徳的言説と異なるのは、哲学的言説が、一つのエートスの形成をもたらすもの、道徳の教育法あるいは一つの規範の伝達手段となるものではないからであるとフーコーはいう。哲学的言説が一つのエートスに関する問題を提起するとき、真理について、そのエートスを形成することのできる真理への接近形態について考え、またエートスが特異性と差異を肯定する政治的構造を考えることになる。ギリシア文化以来今日まで、アレーテイアの問題が提起されると真理との関係でポリティアとエートスの問題が提出されるのであり、ポリティアについてもエートスについても同様であるとフーコーは主張する。
     
(その二につづく)

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