ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

ボードレール「異国の人」 『パリの憂鬱』より小林稔訳

2016年01月02日 | ボードレール研究

パリの憂鬱

シャルル・ボードレール

小林稔訳

 

 

1 異国の人

 

「おまえが一番愛する人はだれかね、不可解な男よ、言っておくれ、おまえの父親かね、父親かね、姉妹か? それとも兄弟かね?

 

――わたしには父も母もいないし、姉妹も兄弟もいない。

 

――友人か?

 

――この日までわたしに意味の不明な言葉をあなたは使う。

 

――おまえの祖国かね?

 

――それがどんな経度に位置するか、わたしは知らない。

 

――美女では?

 

――不死なる女神なら、喜んで愛しもしように。

 

――金か?

 

――あなたが神を嫌うように、わたしはそれを憎悪する。

 

――ああ それならおまえは一体、何を愛するのかね、風変わりな見知らぬ人よ?

 

――わたしは雲を愛するのです…流れゆく雲をね…ほら…ほら…あのすばらしい雲を!

 

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「読者へ」ボードレール『悪の花』小林稔訳詩より

2016年01月01日 | ボードレール研究

ボードレール『悪の花』から「読者へ」の翻訳詩

小林稔

 

7 読者へ AU  LECTEUR

 

愚かさ、過誤、罪、吝嗇、それらは

われらの精神にどっぷり居座り、われらの身体を弄ぶ。

われらは愛すべき悔恨を養っているのだ、

乞食たちが蚤、虱を養い育てるように。

 

われらの罪は堅固で、悔悛はだらしない。

気前よく告白を支払ったつもりにでもなって

ぬかるんだ道を喜んで、もとのところに引き返す

すべての穢れを卑しい涙で洗い流せると信じて。

 

悪の枕辺で、魅入るわれらの精神を

いつまでも揺するのは、まさしく魔王トリスメジスト。

そして、われらの意志である豊富な金属は、

博学の化学者によって蒸発させられ、煙を立ち上げている。

 

そいつは「悪魔」だ、われらを引き寄せる糸を握るのは!

ぞっとするような物にわれらは魅惑を見つけ出し、

日々、われらは地獄の方へ一歩また一歩と、

悪臭放つ闇から闇を、怖れることなく墜ちてゆく。

 

昔の、虐げられた売春婦の乳房に

口づけし、齧りつく貧しい放蕩者のように

われらは秘密の快楽をゆきずりに盗みとる、

しなびたオレンジを力まかせに搾り取るように。

 

百万の蛔虫さながら、われらの脳髄のなかで

押されひしめく魔物の大群が騒ぎ立てる。

息をする度に、「死」は眼に見えぬ大河になって、

鈍い嘆きの音を立て、われらの肺のなかへ流れ落ちる。

 

強姦、毒薬、短刀、放火、それらの楽しい図柄を

われらの惨めな運命の画布にいまだ縫い取っていない

というのであれば、それはわれらの魂が

ああ! 大胆さをまだ十分に持っていなからだ。

 

とはいえ、金狼、豹、牝狼

猿、蠍、禿鷹、蛇、それらのなかで

鋭い声で鳴き、吠え、唸り、這い廻る、

われらの悪徳という卑劣な動物園のなかにいる、

 

いっそう醜く、いっそう邪悪で、いっそう胸糞悪い者が一匹いる!

大きな身振りも、大きな叫びも立てないが、

好んで大地を廃墟にするであろう奴、

ひと欠伸しただけで、この世を呑み込んでしまうそいつ、

 

それが「倦怠」というものだ! 心ならずも涙に覆われた眼をして、

そいつは水パイプを燻(くゆ)らせながら、死刑台の夢を夢見ている。

読者であるきみよ、知っているかい、この繊細な怪物を。

――偽善者の読者よ、――私の同類よ、――私の兄弟よ!


ボードレール「白鳥」(『悪の花』より)小林稔訳詩

2015年12月29日 | ボードレール研究

ボードレール『悪の花』から「白鳥」訳詩・小林稔

 

12 白鳥 Le CYGNE

 

アンドロマケー、私はあなたを想う! この小さな河、

それは哀れにも悲しい鏡、かつて、寡婦であるあなたの、

あなたの数々の苦悩に対して大いなる尊厳を映した鏡、

あなたの涙で嵩を増した、それは偽りのシモイス河。

 

突然、豊かな記憶が実を結んだのは

私が新しいカルーセル広場を横切っていたときだ。

古いパリはもう、ない。(都市の形態は

すばやく変わる、ああ、人のこころよりも!)

 

私は、こころのなかだけに見ているに過ぎない、

あの仮小屋の野営地、積み上げた粗仕上げの柱頭と円柱、

雑草、水溜りの水で緑色に染めた大きな石塊、

ガラス窓に光っている、乱雑に置いた、古道具類を。

 

そこに、かつて動物の見世物小屋が掛かっていた。

そこに、私は見た、ある朝、寒く明るい空のした、

「労働」が目を覚まし、道路清掃車が

静かな空気のなかに、暗い激風を押しやる時刻に。

 

檻から逃げた一羽の白鳥が

水かきのついた足で渇いた敷石を引っ掻きながら、

でこぼこの地面のうえ、水のない排水溝の側で

鳥が嘴を開け、白い羽を曳き摺っている。

 

いらだたしげに、翼に埃を被って、故郷の美しい湖で

こころを満たし、言っていた、「水よ、いったいおまえは

いつ雨を降らすのか? 雷よ、おまえはいつとどろき渡るのか?」と。

私は見る、奇妙で宿命的な神話である、この不運な者が、

 

時折空の方へ、オウディウスが歌った男のように

皮肉な、残酷なまでに青い空に向けて、

まるで神に、数々の非難を浴びせかけるように、

飢えた頭を、痙攣した首のうえで伸ばす姿を。

 

パリは変わる! だが、私の憂愁のなかでは、まったく何も

動かなった! 新しい宮殿、建設工事の足場、石材、

近郊の古い街々、すべて私には寓意になり、

私の忘れがたい思い出は岩よりも重いのだ。

 

それゆえこのルーヴルのまえで、あるイマージュが

私の胸を締めつける。――私は想うのだ、私の偉大な白鳥を。

愚かな身振りで、流謫の人たちのように、滑稽でしかも気高く、

間断なく願望に悩まされる姿を! それからあなたを!

 

アンドロマケー、偉大な夫の腕から、

卑しい家畜のように、尊大なピュロスの手に落ち、

空の墓の近くで、恍惚に身をたわめる、

ヘクトールの寡婦、ああ、ヘレノスの妻よ!

 

私は想う、痩せた結核を病んだ黒人女を、

泥濘に足踏みし、血走った眼で

至上のアフリカの、ここにはない椰子の木々を探す姿を、

靄の立ち込める巨大な城壁のうしろで。

 

私は想う、誰であれ、決して二度と

ふたたび見出されえないものをすでに失ったすべての人たちを、

涙に濡れ、喉を潤そうと、優しい雌狼の乳を飲むように

「苦痛」を飲む人たちを! 花々のように萎れてゆく痩せた孤児たちを!

 

このように、私の精神が遁れゆく森のなか

息を大きく吸い込んで、年老いた「追憶」が角笛を吹き鳴らす!

私は想う、島に忘れられた水夫たちを、囚人たちを、敗者たちを! 

……さらに他の多くの者たちを!

 

copyright 2013 以心社

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ボードレール 「通りすがりの女へ」 小林稔訳詩『悪の花』より

2015年12月24日 | ボードレール研究

ボードレール『悪の花』から「通りすがりの女へ」訳詩・小林稔

 

 

13 通りすがりの女へ A UNE PASSANTE

 

 街路は私の周囲で耳を聾せんばかり吠えていた

背が高く、ほっそりとした、正装の喪服に厳かな苦悩を抱え、

ひとりの女が通りすぎた、右手を気高く持ち上げ

裾の花綱飾りと花柄をつまみ揺すりながら。

 

軽やかで気品ある、彫刻の脚をした彼女、

私は度を超した男のように、身を引きつらせ

彼女の眼のなかの、嵐の兆しである鉛色の空

私は飲んだ、幻惑する優しさと、命を奪い取る快楽を。

 

閃光・・・・・・そして夜! ――逃げ去る美、

彼女の眼差しで、私はとつぜん真実、われに目覚めた、

もう永遠のなかだけでしか、私はきみに逢えないのだろうか?

 

他の場所で、ここからずっと遠く! 遅すぎた! 絶対に、おそらく! 

きみが逃れいくところを私は知らない、私が行くところをきみは知らない、

おお 私が愛したであろうきみ! おお そのことを知っていたきみよ!

 

copyright 2013 以心社

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ボードレール「秋の歌」 小林稔訳詩 詩集『悪の花』より

2015年12月24日 | ボードレール研究

ボードレール『悪の花』から「秋の歌」訳詩・小林稔

 

 

11 秋の歌 CHANT D´AUTOMNE

 

  一

もうすぐ冷たい暗闇へ、私たちは身を投げ沈むだろう、

さらば、私たちの短過ぎる夏の鮮烈な光よ!

私にはすでに聞こえている、中庭の敷石の上

たきぎの束が倒れ、不吉な爆発音を響かせているのを。

 

まったき冬が私の身に戻ってこようとする。怒り、

憎しみ、戦き、恐れ、強いられるつらい仕事、

そして、地獄の極に落ちた太陽のように

私のこころは、赤く凍った塊りにすぎなくなるだろう。

 

身震いしながら私は聴く、薪の一つ一つが倒れる音を。

断頭台を築く音は、もう密かな響きを立てない、

私のこころは、疲れを知らない重厚な金槌に打たれ、

押しつぶされ、崩れ落ちる塔と同じだ。

 

この単調な身を揺する爆音は、どこかで

ぞんざいに、棺に釘を打つ音のようだ。

誰を埋葬するための?――昨日は夏、そして、今日は秋を!

この不可思議な物音は、出発を告げるように鳴り響く。

 

  二

私は愛する、あなたの切れ長な眼の、緑がかった光を。

優しくて美しい人よ、だが今日は、私にはすべて苦く

何ものもない、あなたの愛も、閨房も、暖炉も

海のうえに注ぐ太陽ほど価値を見出せないのだ。

 

それでも、私を愛せよ、優しい人! 母親になりたまえ、

恩知らずな者のため、それとも邪悪者のために。

恋人であるにせよ妹であるにせよ、輝かしい秋の、

さもなくば沈みゆく太陽の、しばらくは穏やかなる者になりたまえ。

 

何という短い務めよ! 墓は待つ、貪欲なる墓よ!

ああ! 許したまえ、あなたの膝のうえに私の額をのせ

灼熱の真白い夏を惜しみつつ、

晩秋の、黄色く心地よい陽射しを味わうことを!

 

copyright 2013 以心社

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