天理市の天理大学を中心としてその周辺に杣之内古墳群があり、その中の古墳で、石舞台古墳に匹敵するほどの巨大な横穴式石室を有する塚穴山古墳を見学に行くことになった。
塚穴山古墳は天理高校の敷地内にあり、古墳を見学する際には、天理高校の事務所に連絡を入れて、事前に承認を得ることが必要である。今回は、天理高校の事務室に連絡を入れたうえで、鍵を借りる。
しかし、天理高校の校舎の立派なのにはびっくりした。これが高校なのという校舎である。ここからぐるっと裏に回って、目的の塚穴山古墳に向かう。
以前、西山古墳を訪ねたとき、このフェンスの扉を見て、立ちすくんだ記憶がある。その時に入ることが出来なかった塚穴山古墳にいよいよ入ることが出来る。心沸き踊る中、いざ突入である。
天理大学のグラウンドと墓地の間を抜けて墳丘に向かう。
周濠の跡らしきところを通っていよいよ横穴式石室に潜入と行きたいところだが、石室までが長い。
石室に向かって歩いていくのだが、両側の盛り土がどんどん高くなる。
遠くに見える石室の姿は、遠くギリシャのクレタ島の城門を思わせる。
羨道から玄室の側壁。かなり高い。
ちなみに塚穴山古墳は、石室全長は、17.12mで、そのうち玄室は、長さ7.04m、幅2.9-3.24m、高さ3.6メートルを測り、羨道は長さ約9.4m(東壁)・約10m(西壁)、幅2.14-2.24m、高さ約3mとなっており、同時期の古墳としては、石舞台古墳が、石室の全長が19mなので、それと比較してもそうとう立派な古墳である。
奥壁は、二段に石が組まれている。側壁も上部の石があまり残っていないがおそらく二段組になっていたと思われる。
側壁の石材もかなり大きい。大阪城の石垣の石材を思わせるほどである。
加工されているためか案外厚みはないのだなこれが。
そして、中世に墓地として再利用されているためか石の間にはこんな石仏などが挟まっていたりする。
塚穴山古墳は、直径約65mの円墳であり、その周りを幅約10mの周濠が巡っているという巨大な円墳である。現地で見ると、余りの大きさに円墳という感じがしなかった。(昔は、前方後円墳と考えられていた時期もあったようだ。)
築造時期は、7世紀の初めと考えられており、河内の愛宕塚古墳と石室が類似していると言われている。
被葬者については、おそらく物部氏の一族であろうと思われるが、物部氏の中心であった物部守屋の一族が587年丁未の変で滅んでいるのにも関わらずこのような巨大な古墳を造ることが出来たということは、意外とこの辺りには、まだまだ勢力を持っていたということなのだろう。実際に奈良時代には、石上氏と改姓し、石上麻呂、乙麻呂、宅嗣と中央の高官を輩出している。
塚穴山古墳を見学しているときは、ちょうど天理高校の生徒たちが周辺の清掃活動をしている時間だった。自分たちが社会奉仕しているのに、古墳見学とは暢気なおっさんやなあと思ったかもしれないなあ。(笑)
この後は、塚穴山古墳と接するように所在する西山古墳に向かうことにした。
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