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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

宇陀地方の古墳巡検⑦ ~奥の芝2号墳~

2023-12-02 12:20:14 | 古墳紀行

 奥の芝1号墳のあるひのき坂古墳公園からまっすぐ南に向かうと奥の芝2号墳があるひのき坂南公園がある。ここは奥の芝2号墳が所在する山の尾根が一部尾根ごと残っている感じである。おそらくは奥の芝1号墳も同一の尾根上にあったんだろうと思われる。

 

 公園のフェンスを開けて古墳の敷地内に入ると、すぐに大きな説明板が立っている。その奥に奥の芝2号墳の石室が開口している。

 

 ここも今回、宇陀市の教育委員会から鍵を借りて入室。(こうやってきちんと手続きを取れば鍵を開けさせてくれるところは本当にありがたい。)

 

 さて、扉を開いて入室すると、いきなり箱式石棺が眼に入る。たいぶ緑色の苔に覆われはして、一部損壊しているが、こうして残っているのは貴重である。

 

 この組合せ式箱式石棺は、調査時は、石室内に敷石として再利用されており、調査後、現在の形に復元されたものらしい。この石棺、板石を木棺と同じように枘や枘穴を作って組み合わせている。丹切33号墳、34号墳も組合せ式の箱式石棺が残っており、この辺りの古墳の被葬者の埋葬には、箱式石棺が使われていたのかもしれない。となると、この辺りの古墳の被葬者は、家形石棺を作るような豪族でもないが、かなり新しい技術を導入することが出来た豪族と言えそうで、飛鳥時代の渡来系の官人説もうなづけるところである。

 

 ちなみに石棺の置かれている位置は、この経過からすると元の位置ではないのは言うまでもない。

 

 石室は、ここも奥の芝1号墳などと同様に磚積石室となっている。

 薄く切石状の榛原石(溶結凝灰岩ともいう)を小口積みにおよそ16段ほどに積み上げて石室を作り上げている。少し持ち送りになっており、壁面が緩くカーブしている。

 

 見た感じ、奥の芝1号墳よりは、石材が大きく、積み上げ方も粗いように思われる。大きさは、石室の全長は、7mとやや奥の芝1号墳よりも大きい。玄室は、長さ3m、幅1.9m、高さ1.9mとなっている。ちなみに築造されたのは、7世紀の前半と考えられている。

 

 石室の形は、両袖式である。近代のレンガ造りの隧道などを思わせる雰囲気である。

 

 墳丘は、奥の芝1号墳や丹切33、34号墳などと同様に斜面を掘りこんで築かれており、封土自体が少ないのが特徴である。(群集墳などによく使われるものらしい。)

 手前の大きな石は羨道部の天井石(?)か。

 最後に、奥の芝2号墳がある尾根のさらに南にもこんもりとした丘が残っている。大和福地城址とされているが詳しいことはわからない。中世の山城の一つなのかな。

 

 この後は、宇陀市教育委員会に鍵を返還してこの日の古墳巡検は終了。意外と時間がかかった。

 振り返ってみると、宇陀地方の磚積石室を持つ古墳をいくつか見て回ったが、丹切33号墳が一番古く、奥の芝2号墳→奥の芝1号墳→南山古墳の順に築造された感じである。南山古墳は、他の古墳の被葬者よりも、1ランク上かもしれないという印象を受けた。

 宇陀地方にはまだまだ特徴ある古墳があるようで、もう少し深堀はしてみたい。

 


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