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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

古市古墳群をあるく(藤井寺市編)⑫ ~青山古墳・稲荷塚古墳~

2017-06-11 16:31:21 | 史跡を歩く
 野中ボケ山古墳から東へ、外環状線を渡り、青山病院の裏の住宅街の中に青山古墳がある。古墳の南側は児童公園になっていて、公園の中に説明板が立っている。

 

 青山古墳は、二段築造の直径62mの円墳であるが、西側に造り出しを持っているため、造り出しを含めると72mの大きさになる。確かに、実際に古墳を見た時も、西側の部分が低くなっており、ちょっといびつな形をしているのでそこが造り出しの部分であろうと思われる。

 

 青山古墳の周りには、周濠がめぐらされている。古市古墳群の中では、宮内庁が管理している古墳以外で、墳丘や周濠が、珍しくほぼ完全に残っている古墳である。

 

 周濠は、北側は広く、南側は非常に狭くなっている。周濠の中は、葦みたいなのが、いっぱい伸びていてあんまりきれいな様子ではない。墳丘も、雑然としていてそんなにきれいでもないな。(笑)

 

 青山古墳は、堀の中から、円筒埴輪や形象埴輪が出土しており、それらから5世紀の中ごろの築造だと考えられている。

 

 また、青山古墳の周辺では、11基の古墳が存在していたと考えられており、藤井寺市側の7基を青山古墳群、羽曳野市側の4基を軽里古墳群と呼んでいるが、一まとまりの古墳郡と考えてよさそうである。軽里古墳群の一つに若子塚古墳と呼ばれる古墳があり、銀行の横に案内板が立っている。

 

 青山古墳群を築造した一族は、古市古墳群を形成した大王の一族ではなく、在地色の強い豪族であったと考えられそうである。面白いことに、青山古墳群のいくつかの古墳は、古市大溝を作るときに破壊されており、古市大溝が6世紀に造られたという根拠の一つとなっている。

 青山古墳から、北へ向かい再び外環状線を越えて、住宅街へ歩いていくと稲荷塚古墳がある。

 

 古墳の周囲が住宅で囲まれており、なかなか見つけにくい。北側に回り込んでいくと何とか墳丘を見ることができた。

 

 古墳は、かなり後世の改変を受けて削られているが、墳丘の形がわかりにくくなっているが、墳丘長50m、後円部直径39m、前方部幅17mの帆立貝型古墳で、周囲には濠がめぐっていたようである。ただし、現存しているのは後円部のみである。

 

 堀から出土した円筒埴輪や形象埴輪によると6世紀の前半の築造と考えられている。

 

 写真を見てお分かりの通り、保存状態が極めて悪い古墳であり、古市古墳群の中では、松川塚古墳と稲荷塚古墳が、どうにかしていかないといけない古墳の双璧だと思う。(残念ながら、両古墳とも世界遺産の構成からは外されてしまった。)古市古墳群として史跡指定をうけているのであれば、ここは覚悟を決めてきちんと保存をしてほしい。藤井寺市は、高度成長期に住宅開発に伴う乱開発に先駆けて、多くの古墳を史跡指定してきた実績がある。ぜひともお願いしたい。
 せっかくこの時代まで残ってきているのに、ゴミ置き場同然になっているのはちょっと悲しい。
 

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