テレビの明日
岡村 黎明著 岩波新書
職場の仕事の関係で読んだ本です。テレビ関係の90年代の状況が書かれているのだが、ここで書かれている問題状況が今も引き継がれているような気がした。
今回おこったNHKの詐欺問題でも、結局下請けプロダクションとの関係が今もかわらない事からおこったのだと思う。
また受信料にしても自分達の営業努力が反映しているのでもない、TVが売れれば必然的に契約されるものなのだから特段意識を払う必要がないのかもしれない。民放のように広告収入に依存しているわけではないので、不況の影響をそんな大きく被るわけでもない。そんなところから出てきた事件かもしれない。受信料については、サービスの対価として妥当なものなのかという議論はあるような気がするが・・・。ちなみに私はちゃんと受信料を支払ってます。(結構周りに不払いの人はいますが・・・。)
TV番組の問題でこのころからすでに番組のマンネリ化として、一部の有名タレントが、仲間を集めて悪ふざけやダジャレ、身内話をするような軽チャー路線か性や暴力シーンを売り物にする番組が増えてきていると指摘している。この状況は今もって変わらないというかもっとひどくなっているような気がする。こんな番組なにが面白いのかなと思うのだが、こんな番組しかないのだから見るしかないのだろう。しかし思うのだが、これらの番組で思うのは「恥」が「恥」でなくなっていることである。知らないことが正しい。常識的であるのが笑いものになる。おかしなことである。(確かにそういった権威を笑う、風刺的な笑いは認められるが)そしてこの延長線上には道徳意識の崩壊があるのではないか。昔、TVを評して「一億総白痴化」なんて言葉があったけどそのとおりになってきているような気がする。
(役所で思うのは、最近大声で職員にごり押し当然みたいに話す若いやつがいて、それを誇らしげに見ている女が横にいるという構図をよく見かける。恥ずかしいという観念がどっかに行っている例ではないか)
視聴率なんて幻想にごまかされているからこんなおかしな現象が出てきてるんだろうな。視聴率がそこそこ取れて、お手軽に作れるとなるとこんなバラエティ番組ばかりになるのだろう。確かに真面目に社会に取り組む番組もあるのだがあるのだが、視聴率が取れないと片隅に追いやられてしまう。本当に視聴率が唯一の評価でいいのかどうか、考えていく余地はあるのだろう。
情報の東京集中化はいまも変わらず。特に大阪は以前に比べて独自性が失われている状況にあるようだ。大阪には東京に対して独自の文化を主張しうる立場にあるのだが、TVに関してはもうそういったものは失われてしまったような気がする。TV局も地域性を主張するならば、地元文化の普及に努めていく必要があるのではないか。(だからといってフラッシュボールハイライトを復活せよということではない。
甲子園ボウルの場合むしろ毎日放送がバックについたばっかりにどんどんマイナー化しているような気がする。)
などなどいろいろと思うことはあるのだが、著者は本書の10年後、「21世紀のテレビ」という本を岩波新書から出版している。機会があれば読み比べてみたいと思う。
岡村 黎明著 岩波新書
職場の仕事の関係で読んだ本です。テレビ関係の90年代の状況が書かれているのだが、ここで書かれている問題状況が今も引き継がれているような気がした。
今回おこったNHKの詐欺問題でも、結局下請けプロダクションとの関係が今もかわらない事からおこったのだと思う。
また受信料にしても自分達の営業努力が反映しているのでもない、TVが売れれば必然的に契約されるものなのだから特段意識を払う必要がないのかもしれない。民放のように広告収入に依存しているわけではないので、不況の影響をそんな大きく被るわけでもない。そんなところから出てきた事件かもしれない。受信料については、サービスの対価として妥当なものなのかという議論はあるような気がするが・・・。ちなみに私はちゃんと受信料を支払ってます。(結構周りに不払いの人はいますが・・・。)
TV番組の問題でこのころからすでに番組のマンネリ化として、一部の有名タレントが、仲間を集めて悪ふざけやダジャレ、身内話をするような軽チャー路線か性や暴力シーンを売り物にする番組が増えてきていると指摘している。この状況は今もって変わらないというかもっとひどくなっているような気がする。こんな番組なにが面白いのかなと思うのだが、こんな番組しかないのだから見るしかないのだろう。しかし思うのだが、これらの番組で思うのは「恥」が「恥」でなくなっていることである。知らないことが正しい。常識的であるのが笑いものになる。おかしなことである。(確かにそういった権威を笑う、風刺的な笑いは認められるが)そしてこの延長線上には道徳意識の崩壊があるのではないか。昔、TVを評して「一億総白痴化」なんて言葉があったけどそのとおりになってきているような気がする。
(役所で思うのは、最近大声で職員にごり押し当然みたいに話す若いやつがいて、それを誇らしげに見ている女が横にいるという構図をよく見かける。恥ずかしいという観念がどっかに行っている例ではないか)
視聴率なんて幻想にごまかされているからこんなおかしな現象が出てきてるんだろうな。視聴率がそこそこ取れて、お手軽に作れるとなるとこんなバラエティ番組ばかりになるのだろう。確かに真面目に社会に取り組む番組もあるのだがあるのだが、視聴率が取れないと片隅に追いやられてしまう。本当に視聴率が唯一の評価でいいのかどうか、考えていく余地はあるのだろう。
情報の東京集中化はいまも変わらず。特に大阪は以前に比べて独自性が失われている状況にあるようだ。大阪には東京に対して独自の文化を主張しうる立場にあるのだが、TVに関してはもうそういったものは失われてしまったような気がする。TV局も地域性を主張するならば、地元文化の普及に努めていく必要があるのではないか。(だからといってフラッシュボールハイライトを復活せよということではない。
甲子園ボウルの場合むしろ毎日放送がバックについたばっかりにどんどんマイナー化しているような気がする。)
などなどいろいろと思うことはあるのだが、著者は本書の10年後、「21世紀のテレビ」という本を岩波新書から出版している。機会があれば読み比べてみたいと思う。
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